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勉強ってダサいという世界から抜け出したくて

「先生だったら、この成績で〇〇高校目指そうと思いますか?」

中学三年生の秋、進路面談で聞いた言葉を今でも覚えている。
ガランとした教室の中で、固く結ばれた唇と腕。
強面だと学生たちに揶揄されていたその先生は、難しそうに考え込んだ。

私は地方都市の公立小学校を卒業し、その横にある公立の中学校に入学した。

決められた学区から、子どもたちが通ってくる世界。
狭くて、様々な家庭の子どもたちが集うごった煮の世界だ。
煮込み過ぎて、底も見えないぐらい。

小学校を卒業し、次の春に同じような面々を中学で見た時、「まだ3年あるのか」と内心うんざりした。
裕福な家庭ではないので私立中学へ進学する道もない私は、その世界で生きるしかない。

その世界の辛いところは、大いなるヒエラルキーが小学校高学年あたりから変わっていないことだ。
運動神経が良くて、声がデカくて、ちょっと派手な感じの子達が力を握る。
その下の層にいる我らは、トップの子たちに取り入ったり、何となく空気を読んだりしてやり過ごす。

トップの子達が気に入っているスタイルが、学校内でカッコいい、可愛いと流行り。彼らが嫌いな先生を一緒になって嫌いになった。そんな空気感。

そして、勉強も同じような理由で、浮いた存在になっていた。
ドラえもんの世界で、勉強ができる子が出来杉くんなんて呼ばれるように。
ざっくりいうと、ガリ勉ってちょっとダサくね?みたいな雰囲気が流れていた。

そんな中、中学生の私は勉強がそれなりに好きだった。
小学生の頃よりも遥かに高度で、新しい科目も増えて。
シンプルに面白いことが多かった。
別にめちゃくちゃ賢い訳でもなかったが、それなりに真面目に取り組んでいたので成績上位ではあった。

「ねぇ、テスト何点だった〜?」

テスト期間後の「この言葉」が心の底から嫌いだった。
クラスの男子だったり、上位層の子達だったりから、興味半分に聞かれる言葉。

私が答えると、大袈裟に、玉乗りした人を見るように「すご〜い!」「やば〜い!」と囃し立てる。
まるで自分たちとは別人種を見るように。呆れたように。

勿論、そんな言葉気にせず、適当にあしらって済ませたりしている子もいた。
(成績トップの子が正にそうだったなぁ)

けど、私はみんなと同じがいい、仲間外れになりたくないと必死だった。
だから、そう言われると困ったように「今回は運が良かったから〜」的な言い訳をして笑って誤魔化していた。

今振り返ると、その世界に無理やり合わせる道以外にも道はあったけど。
当時の私は必死だった。これが上手くやり過ごす方法だと思っていたから。

好きな勉強を頑張れば頑張るほど、世界で浮かないよう必死に言い訳を並べる。
それがすごく大変だった。誰にも言えなかったけど。

だから、高校ではもっと勉強が好きな人たちがいる所に行きたいと願った。
表立って勉強したり、先生に質問したりしても、浮かない世界に。

県外の私立高校という選択肢は経済的に不可能。
地方都市なので、高校の選択肢もそう多い訳ではない。
ただ、いわゆる県内トップ校、超進学校が1つ存在していた。

母校の中学からは毎年1、2人しか受験せず、受かる人間はさらに少ない。
私はそこに行きたいと内心思っていたのだけれど。
残念ながら、その高校の合格圏内にギリ届かないかぐらいの学力だった。


「安全圏は△△高校あたりだね。」
塾の先生からは別の高校を推された。多分、一般的に考えてそれが一番良い選択肢だった。

でも、私はこの世界を抜け出したかった。
安全圏の高校は、地元からも近く母校の中学からも10人弱は受験する。

なかなか志望校を絞りきれない中。中学校で進路面談が開かれた。
母親と私、そして担任の強面の先生。

直近の模試の成績。候補の高校。
放課後の教室で、それらを3人で眺める。

「で、第一志望は今どんな感じですか?」

先生にそう聞かれても、私は自信を持って志望校を言うことができなかった。

「〇〇高校に行けたら、トップ校だしそりゃいいなとは思うけど。C判定だし。県内私立は行きたいところがないので落ちたくはなくて。・・・そうなると△△高校もありかなとか。進学校でそれなりにいい高校だし・・・。」ウニャウニャ

先生は、そうだねぇと頷く。しかし、お互いに結論は出ない。

すると、それまでずっと受験に関してアドバイスも意見もしてこなかった母が口を開いた。

「先生だったら、この成績で〇〇高校目指そうと思いますか?」

先生は、悩ましげに唸った。
非常に、非常に答えにくいと言った顔だった。沈黙が流れる。
私は食い入るように先生を見つめた。

母親は付け加えた。

「先生のお子さんが、今の娘の状況で〇〇高校に行きたいと言ったらどうしますか?」

先生にも同年代ぐらいのお子さんがいた。
この質問を聞いて、先生の顔に力が戻った。
日に焼けた野球監督の顔がチラッと見える。

「私だったら。私だったらですよ。無理かもしれんけど、行きたいんやったらチャレンジしてみろ!て言いますね。」

「別に、今の成績を見ても、絶対確実に無理ではないし。これからまだ時間もあって伸びる可能性もある。」

「ー何せ、受けないと受からないですから。」


力強いこの先生の言葉を今でも覚えている。
想像上の自分の子どもに言ったのか、私に言ったのか分からないけれど。

結局のところ、おかげさまで
私はその場で第一志望は「〇〇高校」だと、選択することができた。

母親の心理は不明だが、この問答が私の選択を後押しことは確かだ。

そして、この選択をしたから、受験をしたから(勿論死ぬ気で勉強したが)
何とかギリギリで第一志望校に合格することができた。

そして、母校からはほぼ知り合いのいない、みんなそれなりに勉強好きの高校で新しく生活を始めることができた。
(他の子達が秀才すぎて、井の中の蛙大海を知る状態になったけれど)

高校以降の進路にも大きく関わったこの選択。
正にあの選択をしたから、今の私がいるなぁと思うのです。


ピヨピヨ🐥

#あの選択をしたから

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