不登校変化グラフ

不登校ってそもそも何? 不登校の定義論 2

年間三十日欠席で不登校?

 不登校の定義では理由の他に欠席日数も関係します。病欠などの他の項目の理由以外の欠席が三十日で不登校となります。年間三十日と聞いて意外な感じがしないでしょうか。学校は土日は休みですし夏休みなどの長期休みもあるので、年間二百日と少しくらいです。なので年間三十日の欠席というと週一日のペースで休むと越えてしまいます。ありがちなパターンは月に二、三日休むくらいの子が何回か数日単位でまとめて休んだりするというパターンでしょうか。こういう子たちは現場では欠席がちの子という認識になります。非行傾向のある子が多いですが、それ以外の子も多くいます。中には不登校になりそうな子や不登校だったけど休みながら学校に来てる子などその姿は多様です。
 もちろんほとんど学校に来ない、一年間に一回も学校に来ないという生徒も大勢います。ただ、不登校十万人という時の十万人の中には学校を休みがちくらいの子どもも二万人くらいいるということは頭の中に入れておいた方がいいでしょう。
 

昔の不登校は年間三十日じゃなかった

 そんな不登校イコール年間三十日欠席ですが、実はこれは最初からそうだったわけではありません。最初は年間五十日の欠席を不登校として扱っていました。それが九十一年から年間三十日の欠席を不登校として扱うようになりました。統計データとしては数年は三十日と五十日の両方を取っていましたが、それも数年だけで完全に三十日欠席が不登校になりました。
 なぜこうなってしまったのか。その理由についてはっきりしたことは発表されていませんが、何となく想像がつきます。
 不登校と関わっていて非常によく聞かれる言葉は早期発見、早期対応です。不登校になりそうな段階やなり初めで対応すると不登校が改善しやすいということで、これは確かにそうだと思います。
 年間三十日休む人はやがてもっと休むようになる可能性がそうでない人より高い。確かにそうでしょう。だからちゃんとデータとして残しておこうというわけです。ここまではいいことです。
 しかし、問題はいつからが統計の中では不登校になりそうな人が不登校な人にすり替わってしまったのです。しかも、それで不登校が十万人を越えて増えていると数字が一人歩きしてしまっています。なんだかおかしな話だと思いませんか。
 これを風邪をひいた人で例えてみましょう。ちょっと咳をしてるような人は確かにすぐに風邪になる可能性は高そうです。風邪かもと思ったら早めに養生するのがいいでしょう。だからといって、咳をしてる人を風邪とカウントして風邪をひく人が増えているというのはちょっと変な話です。
 難しいのはこのような対応は決して悪いことだけではないということです。この統計を変えた文科省(当時は文部省)の人達は不登校の問題を真剣に何とかしようと考えて、五十日から三十日へと不登校の定義を変えたのでしょう。そうした方が不登校問題の改善になるだろうと。
 実はいじめでも同じようなことが起きています。文科省でいじめの認知件数を報告するようにしたところ、それまではうちの学校ではないと報告していた学校がほとんどだったのが、多くの学校からいじめ件数が報告されるようになりました。
 不登校もいじめも確かに早期発見して対応してというのは正しいように思えます。まだその段階でなくてもその芽となるものをちゃんと把握しておこう。もうそれを不登校やいじめとカウントしよう。こう並べてみると、後になればなるほど正しいのかちょっと考えたくなってこないでしょうか。
 そしてもう一つ、不登校は果たして早期対応した方がいいのかという問題もあるのですが、これらについては後の章でじっくり考えることとしましょう
 不登校イコール年間三十日欠席というのは世間の皆さんにはあまり知られていないことだと思います。その中で、不登校が増えている、年間十万人を超えてているという事実だけが一人歩きしているように感じるのは私だけでしょうか。
 そんな私のような人たちの考えを意識したのか、近年文部科学省ではいわゆる全欠の生徒の数も調査、公表するようになりました。これは非常にいい取り組みだと思います。

不登校の定義と増加の関係

 ここで一つふれておかなければいけないことがあります。それは不登校の増加と不登校の定義が変わった時期との関係です。 北海道立教育研究所の不登校の変化のグラフを見てみてください。このグラフでは年間五十日欠席の不登校を青線で、年間三十日欠席の不登校を赤線で書いてあります。不登校の定義が九十一年に年間五十日欠席から三十日欠席へと変化したことは先ほど書きました。それ以前は年間三十日欠席のデータはありません。九十一年以降しばらくは年間五十日と三十日の両方を取っていましたが、その後年間五十日欠席は集計しなくなったようです。

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 当然、不登校の範囲が広がったので、年間五十日欠席より年間三十日欠席の方が多くなります。しかし、九十年代に不登校が増加したのはこの不登校の定義が変わった分だけではありません。三十日欠席と五十日欠席が両方書かれているグラフを見ればそれは明らかです。不登校が急増したのはむしろ九十年代後半であることが分かります。
 もし、不登校の定義を年間三十日にした理由が今後不登校がさらに問題化するのではないかという憶測を元に行っただとしたら、その先見の明には驚くしかありません。
 これほど不登校が増えたのはこの九十年代後半しかありません。それまでの八十年代は九十年代に比べれば一万人程度で微増と言える数字ですし、二千年代以降は増減を繰り返している状態です。
 重ねて言いますが、九十年代に不登校が激増したのは、九十一年に不登校の定義を広くしたからだけではないのです。この時に二万人程度の増加はありましたが、その後数年に渡って不登校が激増したことは不登校の定義変更とは関係ないのです。
 ちなみに、スクールカウンセラーが始まったのは九十五年なので、見方によってはすごくいいタイミングでこの制度が始まってその後の不登校の高止まりを抑えたとも見れますし、スクールカウンセラーなどを配置した頃からなぜか不登校が増えたという穿った見方もできます。
 いじめについては大津市のいじめ自殺事件を受けて文科省からちゃんと把握するようにお達しが来たことで数年前に一気に認知件数が増加したということがありましたが、不登校に限ってはそういった認知での激増は考えにくそうです。なぜなら欠席はいじめよりは明確にカウントしやすいからです。いじめはいじめかどうかの判断が単純ではなく、それまでいじめとしなかったものもいじめとカウントするということは多そうですが、不登校でそういったことは考えにくいのです。不登校以外の欠席が減って不登校が増えたという数字の変化が見られないようなので、実際に不登校が増えていたと考えるのが妥当です。
 やはり九十年代に不登校が激増した理由が何かあるはずなのです。これについては第二章の「なぜ九十年代に不登校が激増したのか」のところでじっくり考えていきたいと思います。
 この章ではもう少し不登校の定義について考えていきます。

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