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いじめ対策を考える 1

 この章では「いじめ」の概念をふまえながら、具体的ないじめ対策を考えていきます。

いじめをやめようから「いじめ」を知るへ

 私が定義した「いじめ」は、暴力など起きてはいけないことが見過ごされてしまう集団の力のことでした。 
 対策として真っ先に考えられるのはこのことを意識することです。
 現在は「いじめはいけない」「いじめはやめよう」というメッセージがよくいわれています。この思いをみなが徹底すればいじめはなくなると。
 ところが「いじめ」の定義を考えると、このメッセージが有効でないことが分かるはずです。いじめが行われる場合、これはいじめではない、これは許される行為だ、という認識が働くことがあるからです。正義の執行や被害者意識など、薄々はいじめと思っていたといとしてもブレーキがかからず、悪いことはしていないと思い込むメカニズムがあります。
 これを予防する為には、そのメカニズムを知ってもらうことが大事です。いじめはそうと気づかずに、またはそうと認めずに行ってしまう可能性があるということを子ども達に知ってもらうのです。具体的に過去のいじめ事件でどんな「いじめ」が働いたのかを知ってもらうのも有効でしょう。
 いじめは知らず知らずのうちにやってしまうものなのです。まずはその理解をし、自分や周りがそうなっていないか確認することが大切になります。

チクリについて

  チクリという言葉があります。そういったことを嫌う人も多いことでしょう。
 しかし、考えてみてください。目の前で犯罪が起こって、その証言をしない人がいたらどう思われるでしょうか。警察に伝えない方がいいことだと思う人はいないでしょう。暴力や器物破損などの犯罪を見たら警察に通報するはずです。それがなぜ学校などの閉じた空間になるとチクるとなるのでしょうか。
 このように、その空間だけの常識で社会一般と違うことを考えてしまうのが「いじめ」なのです。

私刑のタブーを意識する 

 前の章でいじめは正義の心と被害者意識が起こすことがあるということを書きました。自分は正しい、自分は被害者だと感じた時の自分の行動には注意が必要になります。
 どういった理由があろうとも自分達で相手を攻撃していいという私刑がいけないという意識が大事です。
 世の中では、自分が裁くということは基本的にはいけないことなのです。何が悪いことなのかは法律で決められていますし、方に背いた行為は警察などが対応します。
 もちろん、簡単に法律で割り切れないこと、悪いことだけど警察が動けないこともたくさんあります。それらを全て無視しろと言っているわけではありません。
 大事なのは、自分達で判断して制裁するという行為の危険性を理解し、意識することです。私刑は人を暴走させる危険性を持っていることを意識することが必要となります。
 

いじめかどうかの判断は厳禁

 次はいじめと思われることが起きた時の対策についてです。
 いじめが疑われるような何かが起きた時に、先生や周囲がこれがはたしていじめだろうかと検討することがあります。そして、この時にいじめでないと判断したことが大きな問題になってしまうことがあります。
 学校がいじめかどうかを判断することは大きな問題があることは、「いじめ」の定義で考えればよく分かるはずです。「いじめ」は起きている悪いことが集団の影響のせいで悪いと認識できにくくなる状況のことでした。先生達も集団の影響の中にいるので、起きていることを過小評価しやすいのです。
 逆にいえば、このことを意識することは重要です。問題行動が起きた時に普段から関わっている人だと過小評価をしやすいことを意識し、今までのことを無視して今起きていることを評価する視点を持つのです。
 それがいじめかどうかを判断しないで、起きたことをそのまま評価することです。いつもふざけあってるから今回もその延長だろうと考えず、暴力によってケガをしそうになったらそれは暴力として評価すればいいだけのことなのです。そこにいじめという言葉は必要ありません。

いじめは自殺の原因か問題

 これも報道などで見て、不可解で不満に思う人が多いところでしょう。
 教育委員会等がいじめは認めたが、いじめと自殺の因果関係は認めないということがあります。自殺した生徒には家庭に問題があった等、被害者の生徒をおとしめるようなことを教育委員会がいうのですから、怒りを感じる人も多いことでしょう。
 自殺については、単一の理由だけでなく複雑な理由となることも多いので、確かにいじめだけが自殺の原因と断定することは難しいかもしれません。しかし、大事なことは加害行為があったかどうかです。長い間続いていた、ケガをするほだった、そういった深刻な攻撃があれば、それは自殺の原因の何割かを占めていたことは間違いないでしょう。仮にそれに匹敵する理由が他にあったとしても、何割かはいじめが自殺の原因であったことは変わりません。いじめが自殺の原因が八割であったとしても、四割であったとしても、起きてしまったいじめの問題の大きさは変わりません。
 いじめが自殺の原因の何割であったかは裁判では問題になるかもしれませんが、それ以前の学校や教育委員会の責任の問題としてはほとんど関係ありません。
 もちろん起きていた被害がとても軽く自殺との関連は考えられないものだったという結論はありえます。しかし、深刻ないじめがあったと認めたのに、生徒に別の理由があったからといじめと自殺の因果関係はないという結論は出すべきではありません。
 いじめ以外にも自殺の原因があったかどうか、いじめが自殺のどれくらいの原因だったかどうかは司法で問われるべきで、それ以前の機関で勝手に判断することではないのです。

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