「いじめ」でいじめを考える
この章ではいじめのいくつかのトピックを、いじめは行為そのものではなく行為が見過ごされるメカニズムであるという「いじめ」の概念で考えていきます。
いじめられる方にも問題がある?
いじめを巡る議論で必ずといっていいほど聞くのがこの言葉です。前の章でも取り上げました。
いじめられる側にも何らかの問題点がある。それを直せばいいのではないか。
これについても改めて「いじめ」を軸に考えてみます。
いじめられる側にも問題があるという言葉に対しては、犯罪を考えればすぐに反論できることです。泥棒に入られた時に防犯がしっかりしてないことは落ち度かもしれませんが、悪いのは泥棒であって、入られた被害者ではありません。
なぜこういう風に考える人が出てくるのか。これも「いじめ」というものが持つものだからこそなのです。暴力等の犯罪行為は普通なら加害者が悪いで終わるはずなのに、あたかもそこに犯罪がないかのように、もしくは例外のように考えてしまう。これが「いじめ」なのです。
では犯罪といえないようないじめについてはどうするかという問題はありますが、それはこの章の後ろの方で述べたいと思います。
体罰といじめ
学校での暴力という点では、体罰についてもふれなければなりません。
世田谷区長の保坂展人さんが指摘してるように、体罰もいじめと非常に似ているものです。それは外の世界では犯罪とされる行為が、閉じた世界の中でだけ犯罪でなく認められてしまう点です。
これはまさに「いじめ」と同じメカニズムです。
暴力は暴力であり、そこに余計な判断は必要ありません。そういった意味では、私はいじめという言葉も体罰という言葉も現実を歪めてしまうので必要ないと考えています。暴力のいじめも体罰もありません。そこにあるのはただの暴力でいいのです。
また、一部の非人道的な校則なども体罰と同じではないかと考えます。法律などの社会一般のルールを外れたその集団の中でのルールがある集団はいじめを発生しやすいのではないでしょうか。
犯罪性のない(?)いじめ
ここまで暴力や恐喝など分かりやすい犯罪であるいじめを軸に扱ってきました。
しかし、いじめはそういった分かりやすいものだけではありません。犯罪性の少ないものについても考えていく必要があります。
ただ、実際そういったいじめは非常に少ないのではないかと思います。物を隠す、相手を罵倒する、よくない噂を流すなどの行為も、学校の外で行えば立派な犯罪になります。もちろん何でも警察を介入させた方がいいとはいえませんが、わざわざいじめという言葉を使わず、起きたことをそのまま悪いことと評価することが大事でしょう。
数少ない犯罪性のないいじめは無視や極端な逆えこひいきといったものです。逆えこひいきというと少し分かりにくいでしょうか。例えば順番で回ってくる掃除当番をずっとその人にさせるとか、そういうことです。集団の中である人にだけマイナスが多く来るようにすることです。
しかし、こういったことも犯罪とまでいかないまでも、大人の会社などでは裁判で争って社内いじめをした方が負けることがよくあります。いわゆるハラスメントといわれるものです。
こう考えていくと、法的に問題のないいじめ行為というのはほぼないように思えます。
集団といじめ
無視は集団であるからこそできる行為です。赤の他人やたまたま一緒になっただけのその時限りの人ではほとんど意味がありません。学校のクラスのような出入りが自由でない集団で、初めて大きなダメージが生まれるものです。
そういった集団というものは単純な友人関係だけでは条件を満たしません。なぜなら、友達関係は自由に出入りができるものだからです。クラスや部活のメンバーなど、そこから簡単には出入りができない私的ではなく公的な組織であることが条件になります。とはいえ、小中学生にとっては大半の友人関係がクラスや部活といった簡単に出たり入ったりできない場の人間関係になりますので、この区別はあまり意味がないケースも多いですが、この違いは無視を考える上で大事になります。
大人の世界で例えてみましょう。会社で社内でいないようなものとして扱われ、一切仕事がふられないような目にあって体調を崩した場合、会社側の責任が問われることになります。つまり、訴えた場合に会社に勝つことができる可能性が高いでしょう。
しかし、社内の全員から仕事上のこと以外一切口を聞いてもらえない人がいたとしましょう。この場合は、体調を崩して会社の人々を訴えても、勝てるかどうかはかなり微妙になりそうです。
このように公的な関係の中での無視と私的な関係の中での無視は微妙に重さが違います。これを再度、クラスに置き換えて考えてみます。クラス内で全員がずっと無視するような場合は学校の一員として過ごせず、精神的な苦痛が大きいものになります。授業中は口を聞くが、あまり好きではないので、それ以外では会話をしない同級生がクラスの何割かいるというような場合は別に問題はありません。誕生会に呼ぶのは友達だけとして、ある同級生を呼ばなかったというような場合も当然いじめになりません。
ただ、そういったものが集団の力が強い場合だと少し事情が違うかもしれません。ある人に対して授業以外で口を聞かない人がクラスのほとんどだったりとか、同級生を全員誕生会に呼んだけど一人だけ呼ばなかったといった場合がそうです。あまりに集団の大部分を閉める人が無視や仲間外れに加担するようになると、そこには問題があるでしょう。それは集団の暴力になってしまいます。
「いじめ」はいじめを暴力などの犯罪的行為と見えなくさせる何かでした。「いじめ」を取ると、いじめはただの暴力になるのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?