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やっぱり変な2020だったと思う

今年のお正月、何を考えていただろう。

思い出せない。

遠い、遠い昔の気がする。そうだ、お正月にはディズニーランドへ行ったんだ。そして、友達と久しぶりの旅行の計画をたてていた、その旅行を2月に決行。今思えばあの時、ディズニーランドや旅行に行っておいて良かった。旅行から帰ってきたら、マスク売り切れ騒ぎが始まっていた。

その後子どもの学校が休校になり、わたしは在宅勤務、自宅待機の日々が来た。オリンピックでリモートワークをする計画はあったけど、早まった。ウイルスなんかのせいで。慣れないリモートワークではストレスがたまった。仕事が激減し、助成金がもらえるとはいえ自宅待機をしなければならない日は複雑な気持ちだった。経済的な不安もあったけど、それ以上に「仕事を失う」かもしれない寂しさと喪失感に心が寒くなった。

6月、久しぶりに出勤したら、レストランがいくつか閉店していた。その後も小売店や飲食店が相次いで閉店して、他の店舗が入ったところもあるけれど空き店舗のままの場所も目立つ。なんとなく暗い雰囲気が漂う。お気に入りだったお店も閉店してしまって、ランチ時の行き場がだいぶ減ってしまった。

暗いニュースが多かった。仕方ない。

有名人の自殺のニュースに自分でも予想外なくらい影響を受けてしまう。おそらくそのニュースはひとつのきっかけであり、元々世界に蔓延する不安感と不透明感のせいでこころが弱っていたのだと思う。1か月弱その女優の自殺の件をひきずる。気持ちがすぐに沈む。笑いたいのに。時間がもったいないぞ、前向きに考えよう、とわざわざ自分に言い聞かせなくてはならないのが哀しい。

秋くらいから幸いなことに仕事が忙しくなる。忙しさが復活してよかった、経済的なこともあるけど、バタバタしているほうが気が紛れるからだ。昔、つわりが仕事中だけ収まっていたことを思いだす。仕事が好きだけど、仕事に逃げるような癖があることも否めない。どんどん仕事を受け、こなす。冬からはちょっと無理かも、というようなギリギリなスケジュールでも働いてみる。「忙しいと心を亡くす」というのは本当である。つらいときや不安な時は忙しさをうまく利用するのもありだ。

予想外なことが次々に起きて、変な一年だった。

変化に対応する、ことのめんどくささを学び、何とかなるということも知った。

そして、改めて、一人でも平気なんだということに気づいてしまう。

昔から一人が好きだと思っていたし、一人の時間が本当に必要だということは自覚していた。それが、「友達とあえなくてさみしい」「飲みに行けなくてつらい」というよく聞くフレーズが、自分にはあてはまらないことで再確認できてしまう。なんというか、孤独がつらくないわけではないのだ。一人でいることが平気なだけ。会わなくても大丈夫、という感覚。直接会って話したりしなくても、リモートで言葉を交わせばもうそれで満足してしまう。同じ場所にいてわいわいしなくても繋がっている人がいる。それだけで十分なのである。ひとりなのがストレスにならないのは幸いだった。一番つらいのは仕事がなくなったときだったかもしれない。友人たちを騒いだり遊んだりするよりも、仕事をするのが好きかもしれない。さみしい人生かな?自分にとって何が必要で、何がいらないのか、確認できる日々でもあった。

リモートで時間ができたときに、久しぶりにベランダで植物を育ててみた。ミントは失敗し、バジルは成功した。楽しい。グリーンには癒し効果がある。バジルでいろいろな料理をするのも楽しかった。もっといろいろ育ててみたい。植物を育てる楽しさは、「変化」があるからだと思う。手をかければうまくいくこともある。思い通りにならないこともあるけど、それもまた楽しい。大きな変化に対応するのは面倒だけど、小さな変化を眺めるのはおもしろい。

成長できたような気もするけど、なんとなく委縮してしまったような気もする、変な一年だった。思ってたのとは違った、というのは確かだ。羽生結弦くんの、「世の中の状況を見ながら自分ができる最大限の努力を」ということばが胸に響く。

勇気もらってしまったなあ。

力のある人というのはすごい。

いろんなことがあるけれど、なんとかなるし、なんとかしていくのだと思う。

変な一年だったけど、かぜひかなかったし、生きてたからよかった。

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