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指圧と東洋医学

増永静人師が遺したもの

三島広志先生

先日、名古屋にうめむら指圧の梅村先生と、偉大なる指圧師の先輩である三島先生をお訪ねしてきました。

私も梅村先生も、三島先生にお目にかかるのははじめてでした。

私は、今年の春にこのnoteを始めるにあたって、増永先生についてのの記事を書こうと検索した際に三島先生の上記の記事を見つけました。

増永先生から直接指圧の指導をうけ、没後は「経絡と指圧」の編集にも関わられた…もう、それだけで私にとってはレジェンドです。

興奮して、梅村先生にこんな先生が名古屋にいらっしゃるのご存知ですか?とお伺いすると、
「そうなんですよ、僕のInstagramに繋がってくださってます!!!」
と、驚きのお答え。

梅村先生が増永静人著「経絡と指圧」についての投稿をされたときに、三島先生からコメントがあり、激励されたことを教えて下さいました。

もうその時点で、三島先生を囲んで教えを乞う図というものが、私のあたまの中には絵として明示されてしまいまして、お忙しい梅村先生にお願いして、更にお忙しい三島先生との御席を設定していただいたのでした。

ドキドキしておめにかかると、一言で表現するとダンディな、温和なジェントルマンで、一見すると大学の先生かな?というような、知性をまず第一に感じる方でした。

お食事しながらのお席だったのですが、とても濃厚な興味深いエピソードをたくさんお伺いすることができました。

昭和のたいへんな指圧ブームの中で、主流である浪越指圧を選ばず、そして当時の指圧として最先端にして最高峰であったはずの増永静人師の施術をうけ、学び、おそばでその空気感を感じ、世界観に触れていたというだけで、レジェンドです。

本物を知っている人のことばには、本物の輝きがあります。
ここでは、その端切れを断片的に再現することはしたくないので、三島先生のブログをどうぞ、ご拝読ください。

東洋医学=東洋哲学

あくまでも私の印象ですが、三島先生が増永先生に心惹かれ、師事されてこられたのは、増永師が東洋哲学を生きた方だからということだったのではないかと思います。

指圧という施術法は、技術的な側面がもちろんおおきくありますし、そこをないがしろにした哲学には意味がありません。

ですが現代があまりにも目にみえるものを、検証できるもの、エビデンスがあるものに価値をおく時代なので、鍼灸師、按摩マッサージ指圧師の教育についても、西洋医学的な思考に重心を置きすぎたものになっています。

専門学校では、東洋医学概論として、東洋的なものの観方、東洋哲学を学びますが、あまりにその宇宙が広大すぎて、とてもその全貌をとらえられるものではありません。

あくまでも、国家試験に出る程度の単語や、歴史、概念のいろはのいというところに触れて終わりです。

東洋医学の入口に立ったというだけで、とても東洋医学を学びましたとはいえない。

東洋医学とは、老荘思想、道教、儒教、哲学、易経など、東洋哲学すべてのものを含む概念です。それぞれにそれを研究の対象とすれば、一生は終わってしまうでしょう。

増永先生は、アカデミックな存在であったし、学問的な体系をつくりあげることを目指していらした。
またそれを当時評価されていたのも、学際的な探究をおこたらない学者の先生方であったと、三島先生は仰っていました。

エビデンス重視の医学ではなく、ナラティブ重視の医療のなかに指圧を位置づけようとされていたのだと。

きっと30年前の日本には、そんな指圧師はいなかったでしょうし、30年経った今もやはりいないでしょう。

東洋医学会という学会があります。
東洋医学を志すひとが集まる場で、医師、薬剤師、鍼灸師、按摩マッサージ指圧師などで構成されるのですが、増永先生は指圧師としては異例なことに評議員をされていました。

東洋医学会という名がついていますが、今はどうかわかりませんが、漢方薬の普及活動に大変功績のある、漢方薬を学ぶ医師、薬剤師のための学会のように私などは思っていて、鍼灸師や指圧師などは辺縁で仲間に入れてもらっているような畏れ多い会です。

そこでの増永先生のアカデミックな活動を三島先生はお話くださいました。

その中にでてくる津田篤太郎先生の高著がこちら。

実は、私の東洋医学の入口は漢方だったので、この著書については、増永先生を知る前に拝読しておりました。

津田先生はもちろん面識はありませんが、現代の漢方を牽引する第一人者として、ずっと尊敬してきた先生です。

私がはじめて津田先生を知ったのはこちらの著書でした。

当時、私は関節リウマチで闘病中で、自己免疫疾患や膠原病という病気の成り立ちを知りたくて、そういう本を読み漁っていました。

病院を変えても、違う医師に出会っても、抗リウマチ薬か当時治験中だった新薬での治療という選択肢しかなく、でもどうしてもその選択肢が自分のためのものと思えなくて、なにか違う解はないものかと探し続けていた時でした。

作家の森まゆみさんは、自己免疫疾患である原田病を患い、その過程で津田先生との対談本としてこの著書を著されました。

私は森まゆみさんのご活躍を以前からよく存じ上げ、シングルマザーの先輩として、その背を追うように生きてきたので、とても身近に身につまされながら読んでいたものでした。

でも、そこに増永師のことが取り上げられていたことをすっかり忘れていました…というより、結びついていませんでした。

今改めて読み返すと、尋常ではない分量での増永師のエピソード、引用での取り上げ方です。

西洋医学の長であり、東洋医学にも精通された医師が、ここまで増永師の凄さを理解され、紹介されていることは衝撃でした。

東洋医学は、人間精神を含むことで成り立っている。東洋医学は科学性を求めて西洋医学を追いかけるような劣位に置かれた存在なのではなく、患者のかかえる「精神的な問題」にも包括的に向き合う必要性を説く、対等な批判者となりうる存在なのだー。
指圧の大家であるM氏(増永)のこの鋭い指摘に、次の時代の医学をひらくカギがあるように私は感じました。

漢方水先案内 津田篤太郎

そこからはじまって、あるべき医療のかたちを、増永師の臨床における実践から読み解こうとされているのです。

以前、私は、野口晴哉師は天才ゆえに、その文章は凡才の私にはすんなりと理解できないところがあり、そういう時には奥様やお弟子さんの文章を補助線として読み解くとよくわかることがある…ということを書いたことがありますが、増永師の文章もまた、平易には書いてあるのですが、わたしには理解できずに、読み飛ばしているところがたくさんあるようで、津田先生の言葉を追って読むと、ああ、そうであったか…とか、そうそう、そういう言葉で理解すればよかったんですね!という連続です。

あたまのいい人同士…というくくり方をするのは乱暴ですが、増永先生もこんな頭脳明晰な理解者に時を越えて出会えて、本当に幸せだろうなぁ…とつくづく読みながら思ってしまいました。

またゆっくりこのnoteでもご紹介し、考え直す機会をつくりたいと思います。

いずれにせよ、再び津田先生の高著を読み直すきっかけまでいただいて、三島先生とお会いできたことは、自分のターニングポイントになりそうなおおきな出来事でした。

「後世に何かをお渡しするのは社会的、歴史的義務だから」とお会いになってくださった三島先生、お忙しいなかを本当に有難うございました。
しっかりと、目にみえないバトンを受け取った気分で、高揚した気持ちのまま家路につきました。

増永先生が遺して下さったものについて、私は一生考え続けます。


三島先生の手掌





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