身体調整について

 手技治療専門誌『季刊マニピュレーション』№21(エンタープライズ社刊 1990年)に掲載さ れた文を紹介します。この症例報告は1994年7月に『マニピュレーション症例報告集』として合本再刊されました。

 本文中に登場する増永静人先生は私の経絡指圧の先生です。略歴は遺志を継いでいる息子さんの施術所医王会指圧センターのホームページから

https://www.iokai.co.jp/ryaku.htm

 増永先生が亡くなって40年立ちますが、今日でも増永先生の漢方思想は受け継がれています。海外では禅指圧 Zen Shiatsu として広く知られています。私のところにもその本を持参して教えて欲しいというアメリカ青年やイタリア人歌手がいました。過去に数十人の外国人に指圧を指導しました。

 その中には二人鍼灸師になってカリフォルニア州とワシントン州で開業している青年がいます。またアメリカ独特の医療ナチュロパシーという療法を行っている男性もいます。これは大学で六年間の教育を受けるものでドクターと呼ばれます。ブラジル人女性は帰国後マッサージ師になりました。惜しいことにカナダ人男性はナチュロパシーを勉強しましたが若くして食道ガンで亡くなりました。

 さらに指圧の世界だけで無く漢方治療を行う医師の中にも伝わっています。例えば『漢方水先案内』(医学書院)を書かれた津田篤太郎先生は1976年生まれと若い先生ですが、その本の中で多くの頁を増永静人先生に費やして下さっています。津田先生は奇しくも増永先生と同じ京都大学出身です。

身体調整について 胸の発作

 一般に治療と表現する行為及び理念を、私自身は身体調整と呼んでいる。なぜなら人のいのちの状態の過渡的一断面を見て、それを病気とか異常と決めつけることに一種のためらいがあるからである。したがってそれに対するアプローチを治療とか医療と呼ばず身体調整と呼んでいる。

 敬愛する福岡の鍼灸師筑紫城治氏は「医術は人の病いをヒトの<病気>として、療術は人の病いを生活者の<病い>として見る所に、双方の欠点と長所がある。」と 分類、定義する。けだし卓見である。その言に沿えば、私の目指す行為および理念は療術である。しかし別の観点から身体調整という言葉にこだわっている。

 それは<病い>と<非病い>の間にボーダーラインがあると仮定し、マ イナス状態をゼロラインに引き上げるのが<癒療>、 ゼロラインからプラス状態に高めることを<鍛練>とし、それらを一貫するものを<養生>とする。その<養生>に対するアプローチを<身体調整>とするので ある。そしてもとより仮定されたボーダーラインなどは無いのである。

 今その人が示している状態は、その人の生育の結果である。すなわちその人の人生史のヒトコマである。そのヒトコマである今がいかなる苦しい状況であろうともまず懸命に生きている人生の一瞬として「いとおしみ」、かつ冷静に「評価」したのち、然るべき対処をすべきで あろう。なぜなら今こそが未来の礎であり、苦しい今から素晴らしい未来に転換するには、相当の認識の転換を必要とするからである。「苦は楽の種」という有名な諺は体験を経験に変える認識の産物に外ならないのだ。その認識に癒しの術をもって働きかけるのが身体調整なのである。

 医大、病医院、保健所、保険制度など厚生省の管轄による体制規定の、いわゆる正当医療ではなく、非正当的で辺縁的立場にある手技療術関係者はこの体制からある程度の自由な立場にある。我々はその立場をこそ逆に利用すべきである。

 苦しむ人、悩める人の生育史及び環境をも包括した<癒しのまなざし(中川米造) >を伝家の宝刀として、病める人の苦しみの深奥に共感すべ<手>と<術>を磨き上げて「生活者の病い」を癒す道を尋ねて行くべきであろう。

癒しとは

 身体調整はコミュニケーション(触れ合い)の一形態である。その根底にあるのは苦しみ悩み、疲れている人に対する理解と共感であり、その行為は思わず手が出て、 触れ、さすり、手を当て、励まし、慰め、じっと抱きしめる介抱などの行為で表現 される。

 そしてそれらの行為は一方通行ではなく、同時にこちらの手も触れられ、さすられ、 じっと抱かれ、両者間に種々の情報の交換がなされているのである。本来、医療とはそうした対等の関係であったはずだが、今日では医師対患者という 権威主義とお客対サービス 業という経済関係にとって替わられてしまった。

 しかし、一部で本能的な手当ての歴史が受け継がれ、危険を廃し、有効性を高めな がら発展してきた。それは施す側と施される側との関係性を考慮した身体観に立脚する、おおらかで風 通しの良い、解放された対等関係に基づく触れ合いの手作り医療である。

 私達の目指す手技療術とはこの生命観と歴史性の上に立つ、素晴らしいものである ことを認識し、こころして日々の施術に当たるべきものである。

症例 心臓発作

 この症例は既に10有余年前のものであり、私の極めて初学時代の事例であるが、いろいろ考えさせられた経験であるから紹介したい。
 ただし、細かな事実を現在明らかにするべき資料が無いため、事実に基づいたエッセイのような感覚で読んでいただきたい。

 慢性関節リウマチで身体調整に通って来ていた婦人が、ある時「妹もお願いしたい」と言われたので、次回に予定していた。ところがみえたのは姉の方だけであった。姉によると「妹は昨夜急に心臓発作が起きてしまい、近所の医者に往診してもらっ た。今は症状は治まっているが、動けないでいるので往診してほしい。」とのことであ る。

 心臓ではちょっと手が出せないと断ったが、「診るだけでいいから」と懇願される ので仕方なく姉の運転する車で家まで乗せて行ってもらった。

 妹は布団に横たわっていたが思ったより元気そうであった。力は無いながらも笑顔で挨拶をされた。
 「昨夜は初めての発作であり怖かったから医者を呼んだ。医者の話では心臓自体は悪くないので心配はないが、安心のため薬を置いていくという。明日にでも心電図を とってもらう予定。」

 以上の話から多分心臓神経症であろうと推定し、それならば手を出してもよかろうと決意した。

切診

 当時、私は経絡指圧の増永静人に師事していたので、まず腹を診た。

 心下部にひどい痞硬があり、何か小さな袋でも詰まっているようであった。さらに右季肋部が堅く、季肋下には全く 指が入らない。そして少し熱くなっていた。

 下肢の内側、肝経に強いつっぱりがあり、押さえると痛いと声をあげた。その後方にある増永心経(増永指圧独自の経絡、古典の経絡には無い)は、表面的には力がなく芯に堅い平板なものを感じた。芯に 圧を加えるとじんじんした感じが足先まで響くと言う。

 腹のみぞおちのつかえと右季肋部の固さ・熱感、足の経絡の状態と症状から「心虚 肝実の証」(経絡指圧独自の診方。古典的には通常この組み合わせはない)とした。証とはさまざまな症状の集合をパターンとしてとらえる方法であり、そのまま調整の方法も示す。漢方薬なら証即処方である。

調整

 左手四指を心下部(みぞおち)に軽く置き、右手拇指で左脚の増永心経に深く、静 かな沈みこむような持続圧を加えていたら、1分ほどして心下部のしこりがググッという音と共に緩んできた。

 すると妹はフウーとため息をつき、何か胸のつっかえが除れたようだと言った。さ らに持続しながらみぞおちを撫ぜ降ろして、しこりの完全な緩解を促して調整を終了 した。肝の反応部(右脇腹)も緩んだ。しかし熱は変化なし。

 左脚を選んだ理由は、左右の増永心経を深く指圧した時、左の方が右よりみぞおちの心の部に響きが伝わり易かったか らである。脚の肝経は先程のつっぱりは薄らぎ、押さえても痛くなくなり、増永心経の重苦しさも かなり消失した。

 妹は安心感からか見違えるほど晴れ晴れした顔で横たえていた体を起こし、床に座って「とても楽になりました。」と礼を言った。

考察

 何故こんな十数年も前のカビの生えたような症例を持ち出したかというと、一つには私としてうまくいき過ぎた例だからである。もう一例似た症例がある。

 その女性は発作の最中に呼ばれた。行くと家族で手足を押さえ付けている。「そうしないと体が宙に浮いてしまう。」と本人が言うからと説明を受けた。この女性は今までに何度も施術しているので状況はほぼ分かっていた。

 急いでみぞおちに手を当て、その時は何も考えず速やかに膝の下にある足三里 を強く指圧した。これは氣を下げる効果があったらしく、数分するとゴボッと音がして落ち着いてきた。

 以上の二例はとても印象に残るほど鮮やかな効果をみた。むろん全てがこのようにうまくいくはずがない。ともに見た目ほど症状は強くなく、心臓自体は全く異常がな かったからこうした効果があらわれた。しかし両者ともその後再発を繰り返し、常備薬が離せない状態である。

 今一つの理由は、証の解釈について学ぶところがあったからである。心経の場合、精神的な問題を強く表現していることが多 い。増永静人は「心経は心臓ではなく心そのものだ。」と言っていた。

 増永静人の『切診の手引き』(医王会刊)によると心虚の症状は「気疲れ、ショッ ク。不安感、神経緊張がある。舌がつれ、あれる。気力がない。」、精神面として「精神的な疲れ、ショック、神経緊張、ストレスなどでノイローゼ、神経症ぎみ、心配による食欲不振、気ぜわしく落ち着きがない。物忘れしやすい。不安があり心労ぎみ、気が小さい。」、身体面として「上腹に力がない。鳩尾が固くつかえる。心臓症状、動悸がしやすい。腹壁の緊張が強い。舌がひきつれ、のどがつかえる。手が固く汗ばんでいる。心身症、疲れやすい、狭心症、心筋梗塞、目尻がきれやすい。」とある。

 症例に出てきた妹は、何か精神的な疲れが体の状態や顔付きから感じられて、診察・調整中 さりげなく聞こうとしたが、彼女は何も無いと言い張った。私もあえてしつこく聞くのは得策ではないと、その件には深入りせず、体の不安の 方に比重を移した。
 しかし、先に引用した増永静人の説にあるように、みぞおちが固かったり、ペコン とへこんでいたり、芯に凝りや袋のようなものがある時は心身に重大なショックがあ ることが多い。たとえば交通事故の後遺症などもそうである。

 調整後、彼女の姉が家まで送ってくれたが、その時、「実は妹の夫の勤務先が半年前倒産して、妹はその間必死で働いて家計をやり繰りした。そして最近夫の再就職先が決まったとたんにこうなった。先生の言うように彼女には相当な精神的重圧があったはずだ。」と教えてくれた。
 私は「やはりそうか」と自分の想像が当たっていたことを喜ぶと共に、彼女がそのところまで 心を開いてくれなかったことについて考えざるをえなかった。

 証は調整の方針、いわば治療の世界に関係するのみでなく、その人をより深く理解しようとするものである。人間理解の一手段なのである。証を診るとは調整法(治療法)の選定だけでなく、人間が人間に対してどこまで働きかけることができるかという大きな問題を含んでいる。

 彼女は私に心の世界まで入られることを拒否した。私は拒絶されたのである。体のことだけを何とかして欲しいというのが彼女の要求であり、その場での私と彼女との関係における身体調整の限界を示すものなのだ。

 これは悲観しているのではない。人間と人間との関係性の中にしか身体調整は成立しないことを示しているということだ。私自身がさらに成長をしていたら、また別の展開も考えられただろう。
 
 この経験から得たものは、もっともっと心の奥まで受け入れてもらえるような人間 になれということであった。この体験を彼女からの無言のエールとしてとらえたわけである。