書いて、食べて、息をして|わたしが書く理由
わたしはいま、「書く仕事」でお金を得ている。
まずはライティング。テーマとターゲットにあわせて、リサーチしながら記事を書く。文字数によって報酬が決まるパターンが多い。
ブログも運営している。まだわずかな金額ではあるが、特化したテーマの記事を書いて、アフィリエイト収入を得ている。
オンライン事務は、「書く仕事」というイメージはわきづらいかもしれない。
でもクライアントとはテキストでコミュニケーションをとるし、資料作成や問い合わせ対応など、毎日文字を書いているのだ。時給制または月額制で、毎月の大きな収入になっている。
わたしにとって「書くこと」とは、「メシを食う」ための手段なのだ。
ごはんを食べるための仕事。「ライスワーク」とも言うらしい。
食費や家賃。毎日ごはんを食べて、屋根のある家で眠る。そんな最低限度の生活を守るために選んだのが、たまたま「書く仕事」だっただけで。
つい半年前まで、わたしは無職だった。
バリキャリを目指して転職をしたが、ゴリゴリな会社の雰囲気に圧倒され、毎日の残業にも毎週の土日出勤にも耐えられず、あっという間に体調を崩してしまう。
そのうち会社を辞めることになり、とんでもないスピード感で無職生活がスタートした。
手に職をつけたくて転職したのに、なぜか会社員という肩書きを失ってしまうなんて。情けなくて恥ずかしくて、人にも会わずふさぎ込むようになる。
元職場の優秀な同僚が活躍する姿をSNSで見かけとき、心から絶望した。
定額が振り込まれる毎月の給料日はもうこない。食費と家賃と税金で、口座残高はみるみる減っていく。こわかった。
1年ほど経過し、「いよいよこのままじゃ生活が破綻する」というところまできた。
もちろん最初は転職活動をするつもりだったんだけど。前回の転職が大失敗に終わったこと、毎朝泣きそうな気持ちで電車に乗ったことを、どうしても思い出してしまう。
1年の無職期間を経て、わたしのコミュニケーション力は最低レベルまで落ちた。だってコンビニの店員さんと、「袋いりますか?」「いりません」の会話しかしてないし!
とにかくもう、自信がなかった。人と対面で会うことも、言葉を発するのも、ぜんぶこわくて。また間違えてしまうかもしれない。
だって第一印象って、くつがえらないじゃないですか。発した言葉って、取り消せないよね。
新しい環境で、もう失敗したくない。けど、うまくやれるとも思えない。
そこでわたしは、はじめて会社員以外の選択肢を考えることになる。
人と対面で会わない、言葉を発する機会が少ない、電車に乗らない、残業も土日出勤もない。そんな仕事を探しはじめた。
なんてワガママなんだ!と思う。でも、バリキャリを目指していたエネルギッシュでポジティブなわたしはもう存在しなかった。前とはちがう自分として生きていかないといけない。諦めのような決意をした。
そんなときに出会ったのが「書く仕事」である。
もともとライターやブロガーを目指していたわけではない。はっきり言って、超消極的な理由から「書く仕事」を選んだ。
これならできるかもという気持ちと、これができなかったらもうおしまいだ、という気持ち。もちろん未経験だし、正直ぜんぜんわからない。でも昔から、読むことや書くことは好きだった。
あらゆる募集に応募しまくって、やっと獲得できたはじめての「書く仕事」は、飲食店や観光地のまとめ記事を掲載するメディアのライティング。
わたしの力不足で、書いても書いても、何度も修正が返ってくる。申し訳なさすぎて、「もうこれっきりにしよう」なんて思っていた。いまならわかるけど、見捨てず向き合ってくれたクライアントさんには感謝しかない。
なんとかOKをもらい、振り込まれた報酬はたしか500円だったかな。費やした時間を考えたら、時給はもはや100円以下。
だけど「書くことでお金を得られた」という経験はかなりの衝撃で。履歴書も肩書きもスキルもコミュニケーション力も、なにも持っていない無職のわたしが、文章を書いてお金を得られた。
「こんなの革命じゃん!!」としか思えなかった。
ここからは、少しずつではあるけどライティングの仕事を増やしていった。成功体験を積むことで、新しいことにも挑戦する気力がわいてくる。
ブログやオンライン事務もはじめてみた。半年も経たない内に、会社員の給料くらいの収入を得られるようになった。
自分の書いた文章が必要とされて、プロのライターさんが書いた記事にまぎれながら掲載されるのは嬉しい。
チャットを使ったテキストでのコミュニケーションは、丁寧さを保ちながらもいかに効率よく進められるか、考えるのが楽しかった。
「書く仕事」のよさは、文章を相手に渡す前に見直せるところだ。会話ってアドリブだから、こうはいかない。
それに記録として残るから、「次からはこうしよう」と振り返ることもできる。これがわたしの性質に合っていたみたい。
無職だったわたしは、こうしてなんとか仕事を得られるようになった。
毎日ごはんを食べて、屋根のある家で眠ることができるのは、「書くこと」を選んだおかげなのである。
「書くこと」=メシを食う手段でしかなかったけれど、ここ最近で少しだけ変わったことがある。
きっかけは、1ヶ月半前から始めたnoteだ。
「書くこと」で最低限の生活を手に入れることができたわたしは、「もっと好き勝手に書ける場所がほしいな・・・」と思うようになる。
というのも、仕事においては必ずクライアントの存在があって、求められるものを書くことが大前提にあるからだ。
そこで選んだのがnoteだった。ずいぶん前から読む専門で利用していたし、有料noteを購入することもある。あらゆるジャンルの記事があって、自分の好きなことを好き勝手に叫んでいる雰囲気が好きだった。
わたしはある程度テーマが決まっている中で書くほうが得意なので、仕事や働き方を題材にnoteを書くことにした。
複業フリーランスとして働くいまの生活や、うまくいったことをまとめ記事として書くこともある。
でも気がつけば、会社員時代の絶望、無職生活での空虚感、優秀な元同僚への嫉妬とか、ネガティブ盛り合わせみたいな記事が多くなっていた。その記事の多くは、オチがないし解決もしない。
自己理解とか思考整理とか、「書くこと」には心理的にいろいろな作用があるらしい。たしかに、と思いつつ、正直まだあんまりピンときていない。
わたしにとってnoteを書くということは、地元のファミレスで友だちに「聞いて聞いて!こんなことあってさ〜」と語りはじめる感覚に似ている。
いただいたスキやコメントは、「うんうん」「わかる〜」というような、優しい相槌に思える。
だれとも関わらず「地球上にひとりきりになってしまった」と感じていたメンヘラな気持ちが、少しづつ浄化されていく。
人付き合いが極端に減った元無職のわたしにとって、noteを書くことは、息をするのと同じくらい生きるのに必要なことになった。
喜び、怒り、哀しみ、楽しさ。過去の分も、いま感じていることもぜんぶ。言葉として発する機会がないからこそ、感情を指に込めて、まっしろな画面に文字を打ち込み続けている。
「好き勝手に書きたい」という気持ちからはじめたnoteだけど、つながる人が増えてくると「読みたいと思ってもらえるものを書きたい」と考えるようになった。
いまは両方の気持ちを、絶妙なバランスで保つことができている。だから今日だって、こうしてnoteを書き続けられるのだ。
投稿ボタンを押す瞬間、深呼吸をする。少しこわいけれど、でもどこかのだれかが「うんうん」「わかる〜」と共感してくれたときの嬉しさを、もう知っている。それを感じる瞬間、ホッと小さい息をはく。
書いて、食べて、息をして。
これがいまのわたしにとって、生活のすべてだ。
このフレーズは、映画『食べて、祈って、恋をして』を突然思い出してひらめいた。一緒に旅をしているような気分になれる、いい映画だ。
ちなみにわたしは、祈らないし、恋もしない。
人生最悪のつらいときに、神さまは助けてくれなかったから。
やっと仕事を手に入れたばかりで、いまは恋も愛もカロリーが高すぎるから。
所属する会社も、助け合えるパートナーもいない。小さなワンルームでひとり、書き続けている。
映画みたいにドラマチックな人生ではない。それでもわたしは「書くこと」と出会ったおかげで、毎日ごはんを食べることができ、まともに息ができるようになった。
バリキャリにはなれなかったが、いまの生活を気に入っている。だから今日も明日も書くのだ。
書いて、食べて、息をしている。
今回の記事は、藤原華さん主催のお題企画「なぜ、私は書くのか」に参加したくて書きました。
なんていいテーマなんだろうか・・・!
書く理由とかきっかけとかって、人の数だけあるわけで。それを読めるのってワクワクするしグッとくるね。
投稿期限は8/5までとのこと。書きたい欲が刺激されたnoterさんはぜひ!
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