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未来を紡ぐひみつきち #2


 合議は、樹齢幾百歳(とせ)の大樹のある〈聖なる泉〉のほとりにて行われる。
 樹には森を創った太陽ノ神が、泉には森を護る月ノ精がそれぞれ宿ると謂われており――一種の迷信であることは皆承知の上ではあるけれど――、ゆえにその一帯は、どの種の邑領(ゆうりょう)にも属さなかった。
 リディオがヤンたちと駆けまわっていたのも、そういったところである。

 その年は、太陽が高く昇るようになるにつれ、恵みの雨もよく降った。

 むせかえるような緑と土の匂いにつつまれた、リディオにとっては三度目の合議ノ席。

 灰狼(イーニィ)族の嗣子が――邑長に伴われて、やってきた。

 リディオはこの日を楽しみにしていた。独りで過ごす時間の多い彼にとって、共にやんちゃのできる友人が増えるのは、なんだかくすぐったくなるような、少々照れくさいような――いままで感じたことのないうれしさのようなものがあったのである。

 灰狼族の邑長は、謹厳を絵に描いたような自分の父と違って穏やかである。
 老齢らしく、長く伸びた眉と髭の下に目口は隠れ、しわくちゃの顔は好々爺といったふう。めったに口をひらかないから言葉を交わしたことはないのだけれど、初めて挨拶をした時は、ふぉ、と息を抜くようなやわらかな笑い声を発していた。

 その印象を、リディオはそのまま嗣子にも当てはめていた。

 しかし現れたのは、まるで正反対の青年だった。

 名をマグィという。ヒトでいえば十八歳くらいか、背こそリディオよりも低いけれど、そのぶん、とても分厚かった。筋骨隆々で、固く盛り上がった体のあちこちには太い血管が浮かんでいた。
 触れただけで切れてしまいそうな鋭い眼光は、リディオたちだけでなく、他の邑長たちをも硬直させた。

 本能的な、恐怖。

 そこからいち早く抜け出したのは――ヤンだった。

 ヤンは、マグィの前にぴょんと跳び出ると、快活に名乗り、明るく笑って「よろしくな」と片手を出した。
 リディオの位置から表情は見えなかった。声を聞くかぎりはいつも通りの彼であったが、ただ、しっぽはいつも以上にふくらんでいたし、肩は小刻みにふるえていた。

 マグィは威嚇するように牙を見せた。

 尖った犬歯が血を連想させる。
 立ちあがった灰色の尾は針山のように見えた。

 ヤンが、わずかに肩を引く。

「そう――警戒すんなよ。嗣子同士なんだし、いつか一緒に、合議の座につくことも――」

 終わらぬうちに声が途切れた。ヤンの小さな体は、風に煽られた小枝のごとく後ろに飛んだ。尻もちをつく。小さな呻き声を発して、片手をおさえた。

 栗鼠(ワンリー)族の邑長――ヤンの父親が、慌てて傍に駆け寄った。

 その一瞬のあいだに、肩越しに見えた。

 ぱくりと裂けた手のひら。
 溢れだした血の朱。
 こわばった頬を流れていく、汗の粒。

「卑小な栗鼠族ふぜいが。気安く俺に話しかけるな」

 吐き棄てるようにマグィが言った。

 その鋭利な爪にも――血の朱色。

 頭の芯がかッと燃えた。抑制が、できなかった。そんなことを考える余裕すらもリディオにはなかった。広げた翼が風をはらむ。音を立てる。脚絆から露出している鉤爪が、泥を撥ねた。

 マグィが驚いたようにこちらを見た。とっさに、片腕で自身を庇うように身構える――のと、ほとんど同時に、その腕をリディオの脚が、硬く強靭な爪をもつ四ツ指が、噛んだ。体当たり同然の勢いだった。マグィの体がわずかに傾ぐ。

 脚の指に、力を込める。
 互いに睨み合ったまま――一瞬たりとも目を逸らさぬまま――。

 マグィの皮膚に爪の先を食いこませんとした、そのときだった。

 父が背に飛びついてきた。羽交い絞めにされる。ばさり、と鼓膜を打つ翼の音。風が生まれ頬にあたる。
 リディオは反射的に身をよじった。けれど翼を封じられたうえ、大人の、それも邑長の逞しい翼に抗えるだけの膂力も彼にはまだ備わっていなかった。無理くり引きはがされてしまう。
 
 それでもリディオは抵抗しようとした。けれど。

 栗鼠族の邑長が、ぬかるんだ土の上に両膝をつき低頭しているのが見えた。尻もちをついたままの息子の頭にも手を掛けて、謝罪を強いている。

 目を疑うような光景だった。

 さらに、己の父もまた、唖然としているリディオを小猪(ピグワ)族に預けるや灰狼族の前に取って返し、謝罪の話に加わった。膝はつかず、けれど深い辞儀をして。

 息子が大変な失礼を――と。

 その声が、どこか遠く聞こえる。
 父が頭を下げる姿をリディオは初めて見た。

 いったい――なにを謝る必要があるのか。
 ――悪いのは、どちらなのか。 

 腹に燻っていた熱が、ふたたび脳へ駆けあがる。

 リディオは大きく――足を踏み出そうとした。が、すぐに止められた。ゲンランが胴にしがみつき、彼の父親がリディオの前に立ちふさがった。肩越しに、緊張した顔をこちらに向けて、いけない、とばかりに小さく首を振っている。ゲンランの腕からも、震えが伝わってきた。

 灰狼族の邑長が、ふぉ、と笑って片手をかざした。

「まあ、よい。此度は――そう、なにも知らぬ子供同士の喧嘩じゃて。ぬしも怒りを収めよ、マグィ」

 持ちあがった眉の下から、マグィとよく似た鋭い瞳がのぞいている。マグィは腕をおさえたまま、舌打ちをして横を向いた。

 ――森の王者。

 その意味を、リディオは初めて理解した。
 四ツ族の関係性を知ることも大事だと言った、父の言葉がよみがえる。

 マグィは横目で睨めつけてきた。リディオは睨み返しながら――拳を握り、奥歯を噛んだ。



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