トガノイバラ#88 -4 悲哀の飛沫…29…
「来海、なにをしている来海! ……くっ。彼らを中に入れるな、絶対に入れるな!」
張間の裏切りにあい、頼みの来海も殴り倒され、卦伊はほとんど半狂乱になっていた。ようやくうめき声を上げはじめた来海を叩き起こそうとし、母屋を護る襷掛けの女性陣に声を荒げて命令する。
母屋まであと一歩というところで、伊明たちの行く手がふさがれた――といっても、六尺棒を構えた女性がたった二人。ほかの女性陣は、おそらく御影たちが侵入するときに倒してしまったのだろう。それを見ていたからか、二人の顔には緊張と恐れがないまぜになって浮かんでいる。
遠野が、う、と小さくうめいて足を止めた。
「……女相手ってのはどうも……」
「私がいく」
後ろにくっついていた琉里が前におどりだす。
と、突然、目の前の障子がすぱーんッと威勢よく開けられた。
驚いて女性陣が振り返る。伊明たちの意識も根こそぎもっていかれた。
現れたのは風船のような男だった。見覚えがある。来海とともに安良井の事務所にやってきて、和佐を押さえつけていた黒風船――いや、今は上着を着ていないから白風船か。
白風船は、あのときとは打って変わったすばしっこい動きで庭に飛び降りた。
女性二人に安堵の表情が浮かび、琉里がとっさに身を引き、伊明と遠野がほとんど同時に琉里を護るべく踏みこんだ、そのときだった。
どういうわけか白風船は、素早く器用に女性の一人から六尺棒をひったくり、映画さながらの慣れた手つきでぶんぶん振り回した。もう一方の女性の持っていた六尺棒が弾き飛ばされる。かと思うと次の瞬間には、二人の女性はもう地面に沈められていた。
本当に、あっという間の出来事だった。
「え……?」
その場にいた全員が――卦伊でさえも呆けた声をこぼしていた。
白風船は、手の中で六尺棒を器用に回転させながら伊明を振り返った。とたんに申し訳なさそうに眉を下げる。
「さっきはなんもできず、すんません。なんせ、正体がバレたらあかんもんでしたから」
伊明がぽかんとしていると、なにか気づいたらしい遠野が「あ」と低い声をもらした。
「お前か、御影のスパイってのは」
「スパイ……?」
白風船がこっくりと頷く。
「御影征吾です。スパイやなんて、そんな格好いいモンでもないですけど」
照れくさそうに付け加えて頭を掻く。
「なんだって――……?」
愕然とする卦伊に、白風船――征吾は向き直り、
「ギルワーに恨みをもつ一般人として、侵入させてもろてました。細工に金も時間もえらい掛かりましたし、東京弁にも難儀しましたけど――無口な人が多くて助かりました。……感謝しておりますよ、卦伊様」
後半は関西のイントネーションを完全に消して、にやりと笑う。
顔面蒼白になった卦伊がわなわなとふるえだすのを後目に、
「さ、行きましょ。伊生さんのとこへは僕が案内しますんで。さっきも言いましたけどほんまもんの修羅場です、覚悟しとってくださいね」
そう言って、征吾は外廊下へ跳びあがり、開け放った障子の中へ入っていく。
状況把握がまるで追っつかない伊明だったが、だからといって馬鹿みたいに呆然と突っ立っているわけにもいかない。征吾を追って、遠野や琉里とともに急いで母屋へ上がった。
伊明たちの背中を睨みつけていた卦伊は、不意に身をひるがえし、憤然と張間に詰め寄った。
「お前のせいだぞ、どうしてくれる!」
拳を握ることすら知らない華奢な両手が、広い胸ぐらを掴む。張間は感情の読めない瞳で卦伊をただ見下ろした。
「張間、お前の仕事はなんだ。Kratはなんのためにある。御木崎家に――宗家に仕え、護るのがお前たちの役目じゃないのか!」
「父さまやめて、やめてください!」
由芽伊が二人の脚の間に小さな体をねじこんだ。張間をかばうように、卦伊の腰を懸命に押しやる。
「ちがうのです、はりまは悪くないです、ゆめが、ゆめが――」
「由芽伊……!」
卦伊の双眸が鬼のように吊り上がった。
振り上げられた手は、けれどすぐに、張間に抑えられて宙に留まる。
「罰を受ける覚悟はできております。しかし今は――この厄介な事態を収束させることに全神経を注がれたほうが宜しいのでは」
「お前がややこしくしたんだろう!」
「返す言葉もございません」
「……ぬけぬけと……!」
憎々しげな卦伊の視線を、張間は相変わらず静かな瞳でただ受け止める。卦伊は掴まれた手を乱暴に振り払うと、今度は庭に散らばって御影たちと格闘しているKratたちに向かって声を荒げた。
「有象無象を相手にいつまで掛かってる、この役立たずども!」
普段、穏やかな彼からは想像もつかない剣幕に、振り返ったKratたちは虚を突かれたような顔をした。御影の面々も「なんやあ?」とばかりに動きを止める。
「もういい、そんな奴らは放っておけ! こっちをなんとかしろ!」
と、卦伊は母屋を指さす。
「侵入者だ! なんとしても叩きだせ、喰い止めろ!」
もはやちゃんとした命令にすらなっていない。しかし従順なKratたちは互いに目を配せ合い、ぱらぱらと母屋へ向かいだす。
むろん、御影たちがそれを許すはずもない。
あちこちにできた闘争の小さなかたまりは母屋側へ少し移動しただけでふたたび膠着した。なかなか卦伊の思うとおりの動きには繋がらない。
「なにをしている、早くしろ! 早く!」
「ちょぉっと待ったあああああ!」
卦伊の苛立たしげな声を飲みこむように、突然、庭に響き渡った声があった。
塀のほうから竹刀を片手に、どたどたと駆けてくる小太りの男――御影佑征である。
卦伊の前で足を止めた彼は、仁王立ちよろしく片手を腰にあて、竹刀を肩に置いて真っ向から卦伊を見据えた。
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