トガノイバラ#87 -4 悲哀の飛沫…28
◇ ◆ ◇ ◆
――……ザザ……――……ザザザ……――
――……ちら……、こ……かげ……、……がい……ます……――
――……こちら……御影……です、……応答……い……ます――
――……こちら御影征吾です、応答願います。聞こえましたら応答を――
『よっしゃあ! ――俺や、佑征や。ようやった征吾、報告せえ』
『佑征さん。ジャミング装置の破壊は、あ、指揮とってるの俺やないですけど、このとおり成功したようです。僕らは佑征さんの指示どおり、おたから探しをしとるんですが――』
『うまくいきそうか? みんな無事なんか』
『無事です。なぜか誰も追ってこんのです。……おたからAは、御木崎卦伊の部屋にあるんは以前から確認済みですが、金庫にしまわれとって――その、暗証番号がどうやら変えられとるらしく、開きません』
『金庫ごと担いで――』
『重たすぎますわ』
『……まあ、そうか』
『やから御木崎卦伊に直接聞くしかないと思います。奴は外におるようなんで、佑征さん』
『任しとき。そんでおたからBは? 見つかったんか』
『一応、御木崎実那伊の部屋におるんは確認できました――けど、なんちゅうか……ほんまもんの修羅場です。――どうします? 佑征さん』
◇ ◆ ◇ ◆
「俺が行く」
不意に、遠野が言った。
それは遠野が合流してから間もなくのことだった。
家庭医はやってくるなり一も二もなく琉里と伊明の怪我の具合を確認した。
来海に対して、巨木のような張間と丸太のような己の背中で二重構造の壁をつくり――なぜ張間がこちら側についているのかを訊くでもなく、そんなことなど後回しだと言わんばかりに――てきぱきと、琉里は手首の打撲、伊明にいたっては左前腕と肋骨にヒビが入っているかもしれんとの診断を下した。
インカムから声が流れてきたのは、その直後だった。
御影佑征、征吾のやり取りは、インカムを琉里に預けてしまった伊明にはまったく聞こえていない。だから遠野の不意の言葉にも、ただきょとんとするしかなかった。
「その部屋ってのはどこにある?」
遠野がインカムに向かって続ける。伊明は説明を求めて琉里を見た。しかし琉里もまた、理解しているようでしていないような微妙な顔で見返してくる。
「伊明、簡単に説明するぞ」
回答を得られたらしい遠野が、琉里に代わって言った。宣言通り、彼の説明は二言で終わった。
伊生が母屋にいること、厄介な事態に陥っているらしいこと。
「おたからって、お父さんのこと? 修羅場って言ってたけど」
遠野に問いつつ、琉里が不安そうな瞳を向けてくる。
修羅場――。
「それがどの程度のもんか見当もつかねえが、とにかくお前らの父ちゃんは、俺が行って引きずりだしてくる。ここで待ってろ」
「俺も行く」
この科白を言うのは二度目である。遠野は辟易したような顔をした。
「修羅場だっつってんだろうが。骨折してるヤツになにができる」
「ヒビ入ってるだけなんだろ」
「ヒビったってくしゃみ一つで激痛だ。必要なのは安静であって、暴れまわっていいわけじゃない。大体、お前までここを離れたら誰が琉里を――」
「私も行く。それならいいでしょ?」
すかさず琉里が言った。遠野はさらに顔をゆがめる。
「なにがいいんだ、もってのほかだ。そもそもお前、動けなくなっちまうんだろうが」
「それが、よくわかんないけど大丈夫みたいなの。シンルーの血の匂いをがっつり嗅いだり、頭にかっと血がのぼったりすると、ちょっと――あれだけど。いまは平気。むしろ元気」
ぐっと胸の前で拳を握る琉里を、遠野は疑わしげに眺める。
ふとその後ろに視線をやり、
「その子はどうすんだ」
と由芽伊を顎で示す。
すると。
「私が」
来海の猛攻を防いでいた張間が、そうとは思えない平淡な声で言った。伊明をちょっと振り返り、
「どうぞ、私どものことはお気になさらず」
「でも」
琉里がいった。さすがにここにポツンと残していくわけにはいかないと、伊明も思う。卦伊の抹殺命令もあるのだ。
「よそ見たァ余裕ですねェ――」
愉しんでいるようでさえある来海の声。足が鋭く空を切った。
「はりまっ……」
ぱしん。
首目掛けて飛んできたそれを、張間は手のひらで受け止めた。
対峙してから初めてだった。ここまで押しもしなければ押されもしないまま、来海の攻めをただかわし、受け流していただけだったのに――と、思った直後だった。
どんなステップを踏んだのか、張間はほんの瞬くあいだに来海の眼前に迫っていて、次の瞬間には頑健な拳が、来海の顔面に叩きこまれていた。
見るからにとんでもない一撃だ。
来海は鼻から血を噴き出しながら、軽々と吹き飛ばされた。
張間はわずかに眉をひそめて、ひらいた拳を振りながら改めて伊明を振り返り、
「片付きましたので、どうぞ」
相変わらず平淡な声である。
「えげつねえパンチだな……」
呆気に取られたように遠野がいう。パンチなんてポップな響きでは片づけられない、それこそ砲丸を近距離で打ち込むような殴打だった。
来海は仰向けに転がったまま、びくびくと体を痙攣させている。死にかけの虫みたいに、四肢が無意味に土を掻いている。意識はあるが思い通りに体が動かない、そんな感じだった。
さすがとしか言いようがない。
が、これができるのなら――。
「なんでわざわざ……あんな、時間稼ぎみたいな」
「深い意味はありません。ただ――彼の性格上、持久力不足で自滅するか、激昂して殺すつもりで向かってくるか、どちらかに針が振れるだろうと思っていましたので」
言いながら、張間は落ちていた上着を拾いあげ、襟元に手をやった。
黒服たちが一様につけている白銀のピンバッジを外し、
「そのほうが私としても有難かったのですがね」
手の中にそっと握りこんで、静かに言った。
どういう意味かと問うよりも早く、肩を引かれる。
「呑気に話してる場合じゃねえぞ」
遠野に促され、支えられるようにして立ちあがる。
「じゃあ……由芽伊ちゃん、私たちも行くね」
「ルリ」
「助けてくれてありがとう。――いつか、一緒にお買いもの行こうね」
不安そうだった由芽伊の瞳がきらめいた。琉里に促され、少女も張間に駆け寄る。
「はりま」
「由芽伊様、お怪我は」
そんなやり取りを聞きながら、遠野、琉里と頷きあう。
遠野とも合流できた、琉里も助けだせた。
あとは一人――父だけだ。
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