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未来を紡ぐひみつきち #4


「兄上」

 森がそこかしこで紅く黄色く色づき、葉が落ちて、高く昇り始めた太陽に新緑が眩しくなってきた頃のこと。嗣子として強いられている勉学から逃げるように、こっそり家を抜け出して森へ向かおうとしたリディオを後ろから呼び止める者があった。

 ――レゼル。

 双子の弟である。背の高さも顔のつくりも翼の色合いやかたちまでもが瓜二つ。違いをあげるならば――体格と表情、だろうか。ほぼ毎日森を翔びまわっているリディオに比べて弟レゼルは少し細い。肩や背中が薄っぺたで――、

「今日は少し早すぎるのではありませんか。父上に叱られてしまいますよ」

 無表情の兄と違って、こんなふうに苦言を呈するときでさえ、弟レゼルはとてもやわらかな表情をする。

 見つかってしまった、さてどうしたものか――リディオが無言で弟の顔を眺めていると、小さな苦笑が返ってきた。

「最近はいつも同じ方角へ翔んで行かれますね。どこへ行っておられるのですか」

 弟は、けっしてリディオの傍には来ない。一定の距離を保ったまま、いつも兄と会話をする。それは物理的なものでもあり、心の隔たりでもあり、立場上の壁でもあった。レゼルはちゃんと弁えている。幼い頃から、そうだった。

「……沢」

 まさか『ひみつきち』などと答えるわけにもいかず、リディオは濁すように声を低めた。

「沢――ですか」

 弟の耳にはしっかり届いていたらしい。反芻しながら大人しい瞳を森へ投げると、すこし遠慮がちに、けれどどこか可笑しそうに表情をくずした。

「御存知ですか、兄上。ここのところ、村の子供たちが兄上が帰ってこられるのをずいぶん楽しみにしているのです。なにか――そう、内緒だけれどおくりものをくれるのだとか」
「違ぇよ」

 違うのですか、と弟は不思議そうな顔をする。
 おくりもの――などではない。

「土産だ、ただの」

 レゼルから地面へ、視線をはずした。

 ひみつきちだとヤンが高らかに宣言して以降――宛てもなく翔びまわる日もあれど――リディオはあの沢をさして翔ぶことが多くなった。

 日が暮れるまで一人のときもあったが、ヤンが来たり、ゲンランが来たり、三人が揃ったりすることも少なくなかった。

 たまにラミン(野苺)を採り行くと、リディオは、自分があまり好きではないこともあって、食べるふりをしてそっと包んで持ち帰る。邑で遊んでいる子供たちに、栗鼠(ワンリー)族と小猪(ピグワ)族の友人からのおくりものだと言って渡していた。

 以前ヤンが言っていたとおり、近辺で採れるものよりめっぽう甘く、子供たちがはしゃいでいることも知っていた。今日は今日はとせがんでくるやんちゃものもあったりした。

「父上が喜んでおられましたよ。いささかズレてはいるが嗣子としての自覚が芽生えてきたのではないか、と。異種の嗣子方とも仲良くやっているそうではありませんか」
「…………」

 ――だから、内緒にしろと言っているのだ、子供たちに。こんなふうに誤解されるのが嫌だから。しかし人の口に戸は立てられぬ、子供ならばなおさらだろう。

「灰狼族とは反りが合わぬようだと……少々、心配されてもおりましたが――」

 言いにくそうに続ける弟を遮って、

「おまえも来るか」

 リディオは言った。
 は、とレゼルがびっくりしたように目をしばたかせる。

「俺、ですか? いえ、俺は――今日は、叔父上に色々と、ええと、護守ノ徒としての役目を――見廻りなどを、教えていただくことになっていますし」
「俺が代わるか」

 兄の意を察したか、レゼルは穏やかな目に力を込めた。

「……兄上」
「その沢には栗鼠族や小猪族の嗣子もよく来る。おまえも――会っておくといいんじゃねぇかと――思う」
「兄上」

 咎めるような声である。

「異種との交流が必要なのは、邑長となる嗣子だけです。俺は」
「護守ノ頭(かしら)を継ぐ、か」

 嫡子は邑長を継ぎ、下の子供は護守ノ頭――護守ノ徒と呼ばれる邑を護る者たちの、頭領である――を継ぐのが、昔からのしきたりとなっている。

 護守ノ徒はどうやら黒烏族特有であり、ヤンたちによると、栗鼠族には短剣を携えた猟採(りょうさ)ノ徒、小猪族には医術を継ぐ療癒(りょうゆ)ノ徒と呼ばれるものがそれぞれにあるらしい。

「俺には無理だと――お考えですか」

 弟が声を固くした。悔しそうに横を向いて、己の細い肩を右手でおさえている。

「鍛錬はしております。これでも、毎日」
「……いや」

 そういう意味で言ったのではない。
 逆のほうがいい――そう思っただけだ。

 弟は聡明だ。器用だし、真面目で人当たりもいい。本来なら嗣子がするべき勉学にも「書物を読むのが好きなのです」と言って積極的に励み、ゆえに父からの信頼も篤く、邑の者たちからも好かれている。

 リディオなど、ラミンを差し入れる前は、子供たちに避けて歩かれていたくらいである。顔が恐いのだそうだ。――同じ顔なのに。

 他の種族と良好な関係を築いていけるのは、おそらく弟のほうだ。ヤンの願いを叶えてやれるのも。

 もしも灰狼(イーニィ)族が――邑長に就いたマグィが、あの日のように傍若無人な振る舞いをしたとて、弟ならばきっと、事を荒立てることなく場を収めることができるのではないかと――そう、思う。

 筋肉だるまと揶揄されても笑い飛ばすどころか胸を張ってしまう現護守ノ頭の叔父や他の徒たちが、細身のレゼルを心配し、しかも当人の前でその念慮を口にしてしまっていることを、リディオもむろん知っている。レゼルがそれを必要以上に気にしていることも、だ。

 体格の問題などいずれどうにかなるだろう。
 けれど持って生まれた〈器〉というのはどうにもならない。

 弟は、護守ノ頭を継いでもきっと上手に務めあげる。
 しかし、自分に邑長としての〈器〉はない。己の性格を鑑みても、護守ノ頭のほうがまだ合っているのではないのか――。

 悔しそうな弟の顔を、リディオは眺める。

 伝えるべきか、否か。
 伝えるとしたらどう話せばいいのか。

 考えあぐね、口をひらきかねていた時だった。

「リディオ!」

 森のほうから声がした。

 聞こえるはずのない――聞き慣れた声。
 驚いて振り返ると、木立のあいだからゲンランが飛び出してくるのが見えた。


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*邑長を継ぎたくないわがままリディオの成長記* 森にすむ四ツの異種族間の交流や格差を描いたファンタジーです。 翼をもつ黒烏(スマル)族の…

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