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【完結】トガノイバラ #1~#93

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【和風味吸血鬼的現代ファンタジー】 伊明と琉里は高校2年生の双子の兄妹。 変な父に振り回されつつも普通の生活を送っていた。 そんなある夜、とつぜん琉里に異変が起こる。 廻り…
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『トガノイバラ』完結の御礼

おはようございます。 気づけば師走、今年も残すところあとひと月、キャーイヤーとなっているのは私だけではないはず…と勝手に思い込んでいる高埜です。 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。 昨日を持ちまして、トガノイバラ全93話、無事に連載を終えることができました。 ご挨拶のスキ、お返しのスキ、応援のスキと好きのスキ、そしてあたたかなコメントの数々……見に来てくださり、読んでくださったみなみなさま、本当にありがとうございました。 サポートくださった方もいらっしゃり、感謝の極

トガノイバラ #1 ー序章ー

 ――手遅れだった。なにもかもが。  そもそも間に合うはずもなかったのだ。  その報せは友人を経由し、家人を経由し――迂回を重ねてようやく彼のもとへ届いたのだから。命の灯など、その間に簡単に、呆気なく消えてしまう。  間に合うはずもない。  わかっていた。わかっていた、けれど。  居ても立ってもいられなかった。  彼は握り締めていた受話器を放りだし、平生の彼からは想像もできぬような慌しさで家を飛び出した。  家人の制止を振りきり、転がるように車に乗りこみ、通常なら

トガノイバラ #2 ―1 血の目醒め…1…

 幼いころから、変なことがよくあった。  普通に歩いているだけなのに、知らない人がばけものでも見たような顔をして逃げていく。青ざめた顔で話しかけてくる人もある。そのまま連れていかれそうになることもままあった。  恐そうなお兄さんだったり、優しそうなお姉さんだったり、明らかに日本人なのに外国人のような目の色をした人も、いた。  彼らは一様にユリのような甘い香水をつけていて、それがとにかく不快だったのを憶えている。  危ないときには、 「みきざきいめい」  ――御木崎

トガノイバラ #3 ―1 血の目醒め…2…

 見るたび思うが――医者に見えない。  もちろん悪い意味で、だ。  歳は四十そこそこで、白い筋のちらほら混じった剛い髪を適当に後ろに撫でつけている。秀でた額に濃い眉、太い鼻梁、骨格の際立つ彫の深い顔立ちは精悍だともいえるけれど、いかんせん、だらしない。  まばらにはえた不精ひげや、着崩したワイシャツ、くたびれまくりのスラックス――さすがに白衣はちゃんと白いが、それでもやっぱり、乾燥機から取り出してそのまま羽織りましたと言わんばかりのシワが目立つ。  さらには言葉遣いの荒

トガノイバラ #4 -1 血の目醒め…3…

 十分ほど休ませてもらいやっと調子を取り戻した伊明は、なにごともなかったような涼しい顔をつくって診察室を出た。  それとほとんど同時である。医院入口のドアが勢いよくひらいた。  上部に取り付けられている来客を知らせるベルが――通常ならちりんと優しく鳴る程度なのに――ヂリンヂリンッととんでもない音を立てた。 「あ、うわ、わっ」  ベルを鳴らした張本人がその音にびっくりしている。  150センチに満たない背をいっぱいに伸ばし、腕を伸ばして揺れるベルを押さえようとしているの

トガノイバラ #5 -1 血の目醒め…4…

 九月初旬。暦の上では秋だけれど、体感、まだまだ夏である。  それでも、午後七時半を過ぎて昼に蒸された空気が宵の風に流されきってしまえば、夏の終わりも近そうだ、とそんな情緒を肌に感じたりもする。  身勝手な父は院の駐車場に入っていった。伊明も渋々それに続く。  夜にひたされた静かな敷地内に、シルバーのレクサスが浮かびあがっていた。父の愛車である。いや所有物というべきか――情を切り捨てて生きているような人なので〝愛〟車ではない。  ほかに、いつ見ても新車ばりにぴかぴかなメ

トガノイバラ #6 -1 血の目醒め…5…

 父の手が足から離れ、肩から離れる。  ふつりと切れた緊張の糸。どっと押し寄せてくる疲労の波に浚われて、伊明は膝からくずれるようにその場にしゃがみこんでしまった。 「くっそ……」  息が上がっている。  ふきだした汗が額を、頬を、とめどなく流れ落ちていく。 「先月だったか――前回のほうがまだましだったな。どんどん動きが鈍くなってるぞ、伊明」 「わかってるよ、うるせーな」 「怠けるからだ」 「うるせーってば」  Tシャツで汗を拭う。  父を窺ってみると、呼吸はいた

トガノイバラ #7 -1 血の目醒め…6…

 診療所から徒歩十分。  小さなガレージのある二階建ての一軒家が、伊明たちの住まいである。  二階には兄妹それぞれの自室と、父の書斎兼寝室がある。バルコニーに続く一室は空き部屋で、家族共用の物置部屋として――といっても物はそんなに多くないけれど――活用している。  一階は風呂やトイレ、カウンターキッチンにちょっと広めのリビングダイニングなど生活の場として整えられており、伊明も琉里も、寝る以外のほとんどの時間をこの階下で過ごしていた。  学校の課題もリビングでやり、時間の

トガノイバラ #8 -1 血の目醒め…7…

 むせかえる甘い匂いに脳が痺れる。眩暈がする。  傷口が、焼きごてを押し当てられたみたいに熱かった。  体のなかを廻る血は、まるで炎の濁流だ。血管という血管がどくどくと脈打って――心臓が砕けて体中に散らばったみたいだった。  なんだ、この感覚。なんだ、この匂い。  声は掠れて音にならない。  指先さえも動かせない。  どろりと濁った、蜜のごとき沈黙のとばり。  それを動かしたのは、琉里の渇いた吐息だった。  まるで熱砂の大地を彷徨い歩く、迷い人の、最期の喉のひく

トガノイバラ #9 -1 血の目醒め…8…

 遠野はすぐに電話に出た。  ちょうど院を出たところだというのでそこに居てくれと引き留めて、いま父が琉里を乗せて車で向かっている、急に倒れたのだと事情を説明しているうちに、電話の向こうでブレーキ音が聞こえ、遠野、と切迫した父の声が飛びこんできた。  あとで連絡するから、と遠野は言った。  俺が診るから大丈夫だ、心配するなと続いて、慌ただしく通話は切られた。  安心なんて、できるはずがなかった。  伊明は父の携帯電話を傍に置き、ダイニングテーブルに突っ伏したまま――ただ

トガノイバラ #10 -1 血の目醒め…9…

 どのくらいそうしていたのか――。  携帯電話を手に持ったまま、メモ用紙に並んだ数字を見つめていた伊明は、玄関の物音にはッとした。  父が帰ってきたらしい。  とっさにメモをちぎって手の中に握りこむ。父の携帯はダイニングテーブルに放りだした。  廊下へ出ると、明かりのない玄関には靴を脱いでいる父の背中だけがあった。 「……琉里は?」 「今日一日、遠野が見ることになった」 「それ、入院ってこと?」 「心配するな。念のためだ」  淡々と答え、廊下に上がり、伊明を

トガノイバラ #11 -1 血の目醒め…10…

 ――昔からそうだった。  自分勝手で傲慢で、理不尽で、父親らしい懐の深さなんて微塵もない、クソの役にも立たないようなクソ親父な父親だった。  行き場のない苛立ちを抱えた伊明は、結局、一睡もできずに朝を迎えた。  時刻は午前五時である。  ベッドから身を起こして自室を出、居間に降りていくと、早朝の白い陽光が奥の硝子戸からやんわりと室内に入りこんでいた。  浮遊する埃が光の粒に見えるよう。  すべてが昨日のまま残っている。  作るだけ作った手つかずのみそ汁、レンジに放

トガノイバラ #12 -1 血の目醒め…11…

 まさか二日連続で来ることになるとは――。  とおの内科・小児科クリニックと記された小さな銀プレートの表札を、伊明は複雑な表情で眺めていた。  真ん中に縦長の細い磨硝子をはめこんだ木目のドアからは、中の様子は窺えない。看板も掲げられておらず、なにも知らない人から見たらきっとなんの施設か見当もつかないだろう。  ここが診療所だと示すのは、ドアにくっついたこの銀プレートのみなのだ。よく破産しないものだと伊明は思う。  迎えを頼むということは、琉里を連れて帰れということ。遠

トガノイバラ #13 -1 血の目醒め…12…

「――意外と繁盛してるんだな、ここ」 「繁盛って」  琉里は小さく笑って、 「午前中からひっきりなしだったよ、患者さん」 「へえ。……っていうか、お前、起きてたんなら返事くらいしろよ」 「返事?」 「携帯。何度も連絡したんだよ、見てねーの?」  琉里がぱちりと瞬いた。携帯、と呟いて。 「家だもん、携帯」 「あ」  ――そうか。  自分も琉里も、つねに肌身離さず持っているものだから、体の一部のように考えていたけれど――そういえば昨夜、琉里は父に担がれて手ぶ