見出し画像

トガノイバラ #13 -1 血の目醒め…12…


「――意外と繁盛してるんだな、ここ」

「繁盛って」

 琉里は小さく笑って、

「午前中からひっきりなしだったよ、患者さん」

「へえ。……っていうか、お前、起きてたんなら返事くらいしろよ」

「返事?」

「携帯。何度も連絡したんだよ、見てねーの?」

 琉里がぱちりと瞬いた。携帯、と呟いて。

「家だもん、携帯」

「あ」

 ――そうか。

 自分も琉里も、つねに肌身離さず持っているものだから、体の一部のように考えていたけれど――そういえば昨夜、琉里は父に担がれて手ぶらでここに運ばれたのだ。そりゃ既読もつかないだろう。

 我ながらまぬけがすぎる、と伊明いめいは思わず顔を覆った。

「……そんなに心配してくれてたとは」

 琉里は意外そうに目をしばたかせている。
 気恥ずかしさに伊明は無理やり話題を変えた。

「そんなことより。結局なんだったわけ? 昨日の。遠野先生、なんか言ってた?」

「ああ、うん」

 琉里が顎に指をあてて視線をあげた。記憶の中の言葉をたどるように。

「なんか私、もともと貧血気味なんだって。生まれつき――えっと、赤血球の数が少なくて、急に立ちあがるとクラクラしたり、倒れちゃうこともあるみたい」

「……はあ?」

 ――貧血? 昨日のあれが?
 思いきり眉をひそめた伊明に、琉里はちょっと戸惑ったらしかった。

「遠野先生は、そう言ってたけど」

「いや、……っていうか琉里、昨日のこと憶えてる?」

「ぼんやりと、なんとなく」

「どこまで憶えてる?」

「どこまでって……えっと、伊明が指切って、手当てしようとしたときに……倒れちゃったんだよね、私」

 ――憶えてないのか。

 あの奇妙な現象の部分だけが、どうやらすっぽ抜けているらしい。

 だからごまかしたのだ、遠野は。
 琉里の記憶がないのをいいことに、貧血なんて言葉を使って。
 あのクソ親父と同じように。

「伊明、私――」

 腕に触れようとした琉里の手が、ぴたと止まった。伊明の表情を見た瞬間に。

「……ごめん琉里。ちょっと待ってて」

 できるだけ感情を乗せないように言い置いて、伊明は病室を出た。遠野がいるだろう診察室の扉を睨みつけながら、受付に向かう。

 待合室にほかの患者の姿はなかった。
 カウンターの中に柳瀬だけがぽつんと座っている。なにか考えこむように難しい顔をして、伊明にも気づかない様子である。

 伊明はカウンターを指の背でゴツゴツと叩いた。
 柳瀬が驚いたように顔をあげる。

「あら。どうしたの、伊明くん」

「遠野先生と話したいんですけど」

 笑みかけた柳瀬の顔が、ほんの一瞬引きつった――ように見えた。

「今、診察中だから」

「わかってます。今じゃなくていい」

「ごめんなさいね、このあとも予約が詰まってるのよ。今日は難しいと思う」

 言いながら、柳瀬は伊明に背を向けるようにしてカウンターの左側に置いてあるノートパソコンをいじりだした。

 細い肩越しに、画面が見える。
 カタカタと文字を打っては消して、打っては消してを繰り返している。手元に意識がいっていないのは明らかだ。

 ごまかそうとしていると感じれば尚のこと、伊明は引かない。

「ちょっと訊きたいことがあるだけです。そんなに時間掛かんないんで」

「でも――」

「二、三分でいいんですけど」

「ごめんなさい、今日は無理なの」

 はっきりとした拒絶。かッと頭に血がのぼった。

「……あんたもかよ」

 うめくようにして呟いた伊明は踵を返した。

「伊明くんッ」

 柳瀬が慌てて立ちあがる。

 制止するような声にも振り返らずに受付を離れ、来たばかりの通路をとって返す。と、診察室の扉があいた。柳瀬の声が聞こえたのだろう、遠野がひょこりと顔をだした。

「おう伊明か、どうし――」

 伊明は暢気な遠野の顔を思いっきり睨みつけると、開いたばかりの扉を片手でぐいと押し返した。

「おお、なんだおい。おい、伊明!」

 どうせ無駄なのだ。
 大人たちに訊いたってなにも教えてくれやしない。今じゃないの必要ないのと、勝手な判断でごまかされてしまうのだから。

 病室に戻ると、琉里が不安そうに瞳を揺らしている。伊明、と呼ぶ声があまりにか細い。胸が握りつぶされるような感覚に、伊明は顔をゆがませ、琉里の手首をおもむろに掴んだ。

 体の中がざわついた。甘い匂いが感情を揺さぶる。眩暈がするのは激情に抱かれているせいだろうか。それとも。

 ――どうでもいい。なんでもいい。

 一刻も早く、ここから出たかった。琉里を連れ出したかった。

 足をもつれさせる妹の手を力任せに引っぱりながら、伊明は裏口から外へ出た。


――――――――――――――――

*前回のお話はこちらから🦇🦇


*1話めはこちらから🦇🦇


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?