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【短編】かにが住んでいた

砂利道をサンダルで走る。砂埃が足にからみつく。小石も痛い。棚田に挟まれた細い道。

「兄ちゃん、待ってよー」

ぼくの後ろを弟が嬉しそうに追ってくる。

山奥の祖母の家。山に囲まれている。棚田が広がる。空気が澄んでいる。山鳩の鳴き声が聞こえる。

車に揺られて4時間。やっと着いたのだ。

その足で駆けている。

「川に行ってくるーーー」「ぼくもーーー」

川は、細い砂利道を下ったところにある。川と言っても、生活用水だ。小川に大きな石を並べて、適度な溜まりをつくっている。近所の人は、ここで野菜を洗ったり洗濯をしたりしている。さすがに飲むことはできないが、水はきれいで、底の石もよく見える。

中に入れば、膝上くらいにはなる。ズボンをまくり上げて、ぼくらは水に入っていく。そして、石をそっと動かす。

見つけた、かにだ。小さなサワガニ。甲羅は赤く、小さな目が飛び出している。はさみを振り上げて、逃げていく。さっと上から指で砂に押しつけて、つかむところを探す。甲羅と足の間に指を潜り込ませて、動けないようにする。これだと、はさみではさまれない。父に教えてもらった。


もう30年以上前の話だ。

仕事で、祖母の家の近くに出かけた。片道4時間かかった道のりは、2時間30分に短縮されていた。カーナビがコンクリートで舗装されている道を示していた。道幅とその方向は昔のままだったが、景色は変わりかけていた。舗装された道路と棚田と山の静けさ。

車を停めて、川まで歩いた。砂利道はもうない。冷たいコンクリートの道。歩きやすく、砂埃も小石もない。

川はあった。水は清く、澄んでいた。しかし、生活用水ではなくなっているようだった。

蛇口をひねれば、水が出る時代に、川にわざわざ行くことはない。

しばらく川の流れを見ていた。同じパターンの流れはない。水の量や流れる向きは同じなのに、うねりの場所はばらばらで、変化し続けている。

冷たい水に手を突っ込んで流れを感じる。冷たい水が心地よく、手のひらを押してくる。

底にある石を動かしてみた。サワガニはいるだろうか。

サワガニはいなかった。

もう一つ動かしてみた。ここにもいない。川の底で小さな砂が舞っていた。

ぼくが歳を取り、道が舗装されてしまっているうちに、サワガニは、上流に行ってしまったのだろう。

随分時間をかけて、取り残されたものだ。

サワガニはもういないし、生活用水としても戻らない。

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