「セクシー田中さん」笙野が自分の父親すぎてつらい
朱里ちゃんの推し活に「ストーカーだ!」とブチギレしている私の父は笙野そっくりです。
自分の中で確固たる「正解」があり、それから外れた人・モノは「邪道」。
自分の中の正解をもとに子育てしてきたわけです。
ちなみに音楽に関する偏見まみれの子育てはこちら↓
私は両親と一緒にこのドラマを観ているのですが、私と母は笙野が
大っ嫌いです。(第4話時点)
笙野が何か発言するたびに母と野次を飛ばす様は、まるで一昔前の野球場。
妖怪シェアハウスの酒吞童子で毎熊さんにキュンキュンしてたのに、このままじゃ毎熊さんも嫌いになりそうなので、どうかスネイプ先生みたいな展開になってくれ!と、原作を読まない視聴者として願っています。
なんだろう、父に面と向かって言えないことを、笙野への野次を通して
アピールしている感覚。
一方で父は朱里ちゃんが大っ嫌いで、余計なお世話だ!おせっかいだ!
とブチギレながら毎週録画して見ています。じゃあ見なきゃいいのに!
たぶん父としては笙野がなぜ悪役ポジなのか分からないんだと思います。
自分(=笙野)の言動は正解に基づいているのに、なぜ責められるのか。
朱里ちゃんは邪道なのに、なぜ支持されているのか。
私としては、大嫌いなんて可愛い言葉じゃ表せられないほど憎い人間
だけど、それでも私の父親だから、偏見まみれの頑固さに気づいてほしいと願っています。
でもね、このドラマの作品として好きな所は、社会に対するメッセージを
言葉にせずに表現しているところ。
登場人物が受けてきた痛みを、役者の表情やカメラワークで伝えようとしているところ。
これを言葉にしてしまったら、ちんけな道徳教材です。
ドラマにはドラマであってほしいから、視聴者に解釈の余地を残してくれている演出で良かったなと思います。
問題は、このメッセージ性に気づいてほしい人たちに、その受容体があるかどうか。
きっと無いです。
いや、絶対に無いです。
だって潜在的な無意識の偏見が表に出ることをハラスメントと
言うのだから。
自分の「正解」しか受容体が無い人に、新しい価値観を植えるなんて無理。
少なくとも私の父には届いていない。
でも、届かなくていいや。
って思えるのは、私の中の田中さんが芽生えてきたから。
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