小説『犬も歩けば時代を超える』(11話目)
11話 犬千代、あなたの名を呼びたい
私が戦国時代の犬千代としての記憶を有してしているのは、戦国時代で親不孝をしてしまったお母様へ「謝罪の気持ちを伝えたい」ということにあるはずだ。
ということは、お母様への謝罪の目的を果たした時には、私の前世の記憶は無くなるのだろうか?
私はどうなるのだろうか?
「ちょっと具合が悪いの。でも今日は会社も忙しい日だから、休むわけにはいかない。行ってくるわ。」
どう見ても顔色が悪いお母様は、ある朝家族の心配を背に出かけていった。
私はいつものようにケージでお留守番をしていた。
お母様は戦国時代の時もそうだったが、あまり体が丈夫ではない。気持ちだけが先行してしまって、後で寝込んでしまうタイプだ。
案の定、お昼を回ったあたりに玄関に音がしてお母様は帰宅してきた。
「ごめん、ゼット。熱が上がっちゃったみたいで。さすがに40度近いと廊下も揺れて見えるわ。あははは。」
お母様は冗談ぽく言って笑ったが、全然面白くないし、力が入ってなくてヨレている。
「お母様、薬を飲んで、水分をよくとって、氷枕をして寝たほうがいい。」
私が強くお母様に向かって祈るように念を送ると、お母様はまるで自動で動く人形のようにそうしていた。
そして寝巻きに着替えて、ベッドへと倒れるように入っていた。
私には水とご飯が置いてあったが、お留守番用のケージから出してもらえたので、お母様のベッドの頭のところに陣取って横になった。
私にはお母様が具合が悪くなる際に、懸念することがあったのだ。
「ゼット、おやすみ。」
お母様がそう言って目を閉じて、私も目を閉じたが耳は立ったまま、パラボラアンテナのように敏感だった。
お母様が具合が悪くて寝ていると、いつも誰かしらがその眠りを邪魔をしに来る。お母様は休めずますます具合が悪くなっていくのが、現代のお母様の通常なのだ。
だから私はお母様の用心棒(最近はボディガードとかいうらしい)になったのだ。
案の定、人間の子供たちが学校から帰宅すると部屋のドアを乱暴に開けて、
「お母さん大丈夫?」
と、ベッドに走りよる。
眠っているお母様は起きてしまい世話をしようとする。
子供たちが時間差で帰ってくるから、もちろん眠りはそのたび断絶される。
私はそれを知ってから、お母様が具合が悪い場合は、家族だろうが誰だろうが近づけないことを心に決めた。
「おい、お母様は寝ていらっしゃる。近づくな!近づくとこの牙で噛み付くぞ!」
と近づく者を威嚇する。
家族を労わるという方針の私としては異例中の異例で、でもこれだけは譲れない。
お母様の眠りを邪魔するものは、それが私を送り出してくれた閻魔大王だって許せない。
「私がお母様を守る!戦国時代で守って差し上げられなかった分、例えそれがただの風邪だとしても、お母様の苦痛は私の望むところではない!」
夕刻になると父親が帰ってきたが、
「氷枕を変えてあげよう。額のひんやりシートも・・・。」
と近寄ってきても油断ならない。
優しく近づいても、お母様を起こす結果になってしまう。
やっぱり威嚇する。
父親は自分に威嚇するなんてビックリだが、私のお母様への気持ちを汲んでくれるところあたりはさすがの洞察力だと思う。
氷枕を後でそっと置いていってくれるのだ。
お母様が40度近い熱でうなされている。何か夢を見ているのか、うわごとを言っている。苦しいのか・・。
熱がある程度下がって目が覚めたお母様は、
「ゼット、ゼット。」
と私を呼んだ。手でさぐって私を探し当てると、
「ああ、ここにいてくれたの。」
そして私のご飯と水を見て、
「飲まず食わずでそばにいてくれたの?そこまでしてくれなくても大丈夫。死にはしないから。」
と薄く笑いながら私の頭をなでてくれた。
「ねぇ、ゼット。」
お母様が私に落ち着いた声で言った。
「さっき寝ていて、不思議な夢をみたの。タイムマシンがあったら戦国時代へいってみたいって思っていたからかもしれないけど、私ったら戦国時代のお姫さま役だったのよ。」
私はドキッとして耳をピッとたたせたが、伏せたまま起き上がらなかった。
「それでね、すごい戦がおきて、たくさんの人が死んでいって、私は子供と城を逃げようとするんだけど、子供は戦に行ってしまって一人ぼっちになってしまうの。」
私は起き上がると、お母様の頬をペロッと舐めた。それは本当なんだよ。
「それから、侍女たちと一緒に脱出するの。すごいのよ、お城に脱出する通路までついているの。地下通路を使って脱出するんだけど、本当にこれじゃ夢といるよりファンタジーよね。うふふ。」
お母様は目を閉じたままだ。私はお母様の頬に自分の頭を寄せた。
「私の当時の家族は誰も戻ってこないで、その後侍女たちと暮しながら、次に生まれ変る時には戦のない世の中に生まれたいと願っていたわ。
寂しい日々で、涙が出てきそうなところで目が覚めたの。」
その夢を誰が見せたのだろう?熱のせいで前世の記憶がよみがえるなんてあるのだろうか?
それとも、閻魔大王か誰かの差し金なのか。
「ゼット、お前はずっと私と一緒にいてね。いつも私のそばに居てくれてありがとう。」
お母様は何回もその言葉を言うと、また眠ってしまった。
私はその時、そろそろ本気でお母様へ私の元来の目的である親不孝をしたことへの謝罪の気持ちを伝えることをしなければと思った。
こんな状態にくれば、もしかしてそれも可能かもしれない。
しかし、そんな機会はそう簡単には来なかった。
お母様はその後も具合が悪くなったり、私が寄り添う機会があったりしたのに、もうお母様の前世の記憶は蘇らなかった。
ある日、お母様は休日に出かけた先で占い師に見てもらったと饒舌に語った。
「ねぇ、前世占いっているのがあるのよ。それがビックリ、私は昔々戦国時代の姫だったっていうのよ。」
私はビックリして、口にしたオヤツをポロッと落としてしまった。
「でね、とても気の強い姫で、嫁いだ先の殿を夫とも思わないくらい横暴だったらしい・・・」
私は「え?」と思った。何か変だ。
「人を人とも思わないような横暴さで戦国の世を駆け抜けて、死ぬ前にそれをひどく後悔して死んだそうなのよ。次の世では夫や子供を大切にしますって。」
私は、それは違うと思った。
その占い師は最初は当たっていたが、後はかなり適当だ。
お母様は私の戦国時代のお父様を大切にしていた。兄や私のことも大切にしていて、とても寂しがりで穏やかな方だった。笑顔が柔らかくて、横暴なんてことはなかった。
その占い師、なんてひどいことをお母様へ言ったのだろうか。
その後はそのまま何年も同じような日々が続いた。
私はひそかにお母様へ寄り添い、その心身を癒して差し上げることに専心した。
それが私のあの頃できなかった親孝行なのだろうと思うようになっていた。
私と犬友のレオン先輩が出会って数年、私はレオン先輩が変なことに気がついた。目があまり見えていないようだった。話していることも、時々同じことばかり繰り返していたり、毎日のお散歩コースも分からなくなってしまったようだった。
「家ではほとんど寝ていて、オムツをしているのよ。」
レオン先輩のお母さんはそう言っていた。犬はやはり、人間のようには長生きはできずに衰えていくのだ。
「レオン君15歳ですね。うちの子ももう9歳になりました。人間で言ったら老齢にさしかかっていて、大切にしなくてはいけませんね。」
お母様が言っていた。
そうか、私は人間でいったらお母様の年齢を通り越してしまったのだ。
その後レオン先輩とはなかなか会えなくなっていって、ある日からパタリと会わなくなった。
それは夏だった。
夏の終わり、トンボがたくさん飛ぶ頃になったとき、他の犬友からレオン先輩が亡くなったことを聞いた。
お母様のショックは大きかった。レオン先輩はお母様の犬嫌いを知っていて、それを緩和させようととてもフレンドリーな対応だった。
飼い主のお母さんも、お母様にとっては良いおしゃべり相手で、日常から離れた楽しみがあったようだ。
「ゼット、お母さんとてもショック・・・。レオン君亡くなってしまった。もう会えないのよ。」
『死ぬ』ということは、会えなくなること。そして、その目が自分に注がれることはなく、その口が自分の名を呼ぶことは二度とないということなのだ。
お母様は具合が悪かったのか、朝の散歩でボーっとしていた。
私のリードを引きながら、道路を渡ろうとしていた。
この道は信号がない道路で、いつも車がスピードを出して通る。
ここは私の初恋の姫、やはり犬に生まれ変わった胡蝶姫が車に挽かれたところでもある。
「お母様、気をつけないと。」
と念を送ったが、瞬間猛スピードの車が向かっているのが見えた。
「お、お母様!」
急いでリードを引いて踏ん張ったが、お母様は気がつかない。
どうしよう、どうしよう?
私は思いっきり吠えた。
渾身の遠吠えに似た声だったが、年をとったのかかすれ声だ。でも、お母様は反応した。
「あ、危ない!」
お母様は急いで私を抱きしめると道路から離れた。
「ごめん、危なかった。危なかったね。お前を危険にさらすところだった。」
お母様、危険なのはお母様もですよ。と、私は心の中で言いながら、お母様の頬を舐めた。
ビックリしすぎたのか、お母様の目に涙がにじんでいる。
その瞬間、私を抱きしめているお母様と私の間に光が浮かんだ。見たことがある光だ。
どこで見た?と思ったとき、これはチャンスだと私は思った。
これは、私がお母様へ気持ちを伝えることができる光なのではないかと、瞬時に感じたのだ。
「お母様、犬千代です。前の世ではお母様の制止も聞かず戦場へ出向き、勝手に死んでしまい、お母様を一人にしてしまいました。本当にごめんなさい。」
私は強く強く念じた。全身の毛が立つくらい念じた。
「一人にして、ごめんなさい。」
光はそれほど持たない。すぐに消えてしまいそうだ。
私は最後の一筋の光まで諦めずにお母様に念じた。そして光は消えた。
「犬千代。」
どこからか聞こえる。それは戦国時代の私の名だ。
「犬千代。」
私の頭の上?上を向くと、お母様の顔があった。涙でぐしょぐしょだ。
道路から外れてへたり込んだまま、私を見ながらこう言った。
「私を遠いところから探しにきてくれてありがとう。あなたは私の息子よ。本当の息子よ。会いにきてくれてありがとう、犬千代。」
お母様が犬千代と呼んでくれる。記憶が戻ったのだ。
「ごめんなさい。親孝行どころか、親不孝者でした。」
私が言うと、お母様は何度も首を横に振った。
「どうやって私を探せたの?こんなにまでしてもらえるなんて、母親として幸せよ。」
私とお母様を再びあの光が包んでくれた。
これで達成できたのだ。
同じ時代に生まれ変わっても出会える確立は低いといわれていたが、出会えて謝罪もできて、そして一緒に過ごすこともできた。
しばらくそのまま光は留まっていて、やがてゆっくりと消えていった。
犬千代の、犬名ゼットとしての犬生が改めて始まる。戦国の悲しい記憶は、もうない。
(12話に続く)
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