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小説『犬も歩けば時代を超える』(16話目)

16話 犬千代、受難・その先には行かない

犬嫌いだったお母様が、私犬千代を必死育ててくれたことは奇跡に近かったという。
父親の話だと、以前は犬から最低2メートルは離れていないと怖かったというお母様。
私がやって来た時にいきなり抱っこして、寒い中暖めてくれたことは家族一同驚きの出来事だったらしい。

そんなお母様はその後私を本当の息子のように育て始め、こう言ったそうだ。

「この子に戸籍を作ってあげたい。」

周囲はさらにビックリである。
この話は、私がまだお母様の元に来て幾ばくもない頃のことである。

さて、その当時はまだ、私とお母様は戦国時代の親子関係の名乗りを上げていなかった。
にも関わらず、お母様は私を自分の息子だと言っていたのは、全く縁だとしか思えないのだが、お母様はだんだん自分の考えに暴走していった。

「役所へ行ってきます。」
ある日お母様は外出の仕度をしていた。

「どこへいくんだい?。」
と父親が聞くと、
「この子の戸籍を作りに。」
と言うではないか。

前世戦国の世に生きてまだ現世に慣れない私でさえ、それは無謀だと分かる。
しかし父親が止める間もなくお母様は出かけてしまった。
しばらくすると帰宅したが、戸籍はおそらく作れなかっただろうに、あまり落ち込んだ様子もない。

「さぁ、すぐに出かけるから仕度をしましょう。」

私にリードを付けると、お母様は私が以前兄弟の真一と予防接種をした動物病院へ向かった。
何をするのだろうか?予防接種は済んでいるし、健康診断というものでも受けるのだろうか?
しかし健康診断も我が家へやってくる前に済んでいるはずだ。

「お前は私の子供だって何か形を作りたいじゃない?別にそれが人間の戸籍じゃなくたっていいわよね?」

確かに戸籍や形ではない。
お母様と一緒にいることができて、いつか親子としての意思疎通ができたらそれで幸せなのだ。
しかしお母様は何か形が欲しいらしい。その形を動物病院で作るのか?

お母様は病院で受付を済ますと、私と一緒に診察室へ入り、獣医師に何か色々と話していた。医師は頷くと、一回別室に下がって何かを手にして再び診察室へ入ってきた。

「注射だ!」

私はすぐに気がついて、診察台から飛び降りようとした。
なぜ?もう注射は終わったじゃないか。
その注射が私を人間にしてくれる魔法の注射でもなければ、意味がないのではないのか?
そう思っている間も無く、私は看護師とお母様に押さえられて、すごく痛い注射を受けてしまった。
すごく理不尽な気がする。
これを受難といわずに何と言おうか。

その後、お母様は何か書類を受け取って説明を受け、私を家に連れ帰った。

「痛かったね。よく我慢したね。ちょっとちびっちゃったけど、仕方がないよね。」

お母様はそう言って私を労ってくれたが、ぐったりしている私を置いて再び出かけてしまった。いったい、お母様は何を考えているのだか・・・・。

しばらくするとお母様が帰宅して、すごく喜んだ様子で何かを父親に見せていた。

「ねぇ、これよ、この子の身分証よ。確かに人間の戸籍は作れないけれど、鑑札という形でこの子にうちの名字と身分証明が付くのよ。これで形式的にも我が家の子供だわ!」

後で知ったことだったのだが、鑑札というのは犬の登録のことで、これで犬の身分証明と飼い主の責任の所在が登録されるそうだ。
小さなカードに私の写真を貼り、私の名前とお母様の名を記入していた。
銀色の板に数字が書かれた札と、小さな色のついた札ももらってきていて、お母様はそれを私のリードに誇らしげに付けている。
お母様が嬉々としている様子を見ていると、痛かった注射も無駄ではなかったと思うのだ。
一回痛い思いをしてこれなら、まぁいいだろう。

この注射は狂犬病の予防接種といって、犬と人間にとって大敵の病気を防ぐものらしい。
誤算だったのは、この一回こっきりではなく、毎年この注射をしなくてはいけなくなったところだ。
毎年この注射をして、毎年身分を更新するのだそうだ。これをしないと鑑札がなくなってしまう。
それにしても、あれから毎年獣医師の顔を見ているが、悪い人間でも怖い人間でもないのだが、どうも苦手である。
反射的にブルブルっと来てしまう。
ちなみに私の名誉のために言っておくが、私が小さなチワワだから注射が怖いのではない。
身体の大きな犬だったり怖そうな目をした犬でも、注射を嫌がってキャンキャンと甲高い声で鳴くのだ。

お母様の暴走は戸籍騒動に留まらず、なんと次は、
「この子を学校に行かせる。」
ということだ。家族はもう呆然である。

「いつも思うのだけど、子供たちはみんなランドセルを背負って学校へ行っているわ。この子だけ何もないっていうのは、同じ私の子供としては不公平な気がするのよ。」

家族はお母様が気が触れたのではないかという様子だ。
ということは、文化の進んでいる現代の世であっても、犬に学校などないのだろう。
戦国時代の世に生きていた頃は、書や剣術の専門の先生が城にやってきて教えてくれたものだ。でもそれは私が城主の息子だったからだ。
しかしお母様は、何とか方法があるに違いないと調べ続け、

「見つけたわ!小学校みたいではないけれど、警察犬の学校で一般の犬でも受けられる教室がある!」

と、新聞か広告の切り抜きを手に興奮して知らせに来た。警察犬?

「警察犬って賢いのよ。でも最初から賢いのではなく、ちゃんと色々と教えてもらうの。ほら、これが警察犬よ。」

私はお母様が見せてくれた切り抜きには、シェパード犬という大型犬の写真があった。
お母様、私は今チワワなのですが?お母様は私に何を学ばせようと・・?私は硬直してしまった。

「お母さん、それちょっと違う・・・・・。」
人間の子供の留美も言う。

この私の「学校へ行かせよう!」作戦は、結局私が一人で通えるものではない。付き添うお母様のお仕事の都合もあって、お母様は渋々諦めた。

この出来事の後は、しばらくお母様は「我が子騒動」は無くなったが、私は毎年受ける注射の動物病院への道は絶対に楽しい散歩でも通らないことにしている。
注射の時期でなくても通らない。痛い思いをしたのは戦国の世だけでいい。
一時でも大切な人とは離れない。悲しい思いをするのは戦国のよだけでいい。

その先には行かない。

(17話へ続く)

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