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【年齢のうた】THE YELLOW MONKEY その2●「フリージアの少年」は17才の吉井の自叙伝

ゴールデンウィーク中でも、ちょこちょこ仕事が入っていたり、それ以外の連絡事項があったりで、わりと働いています。遅れている案件もあって、すみません(ここでは伝わらないのでメールで知らせないと)。

それでも、まあまあ出かけていてですね。たとえば家族でベルーナドームに野球観戦に行ったり(5/3、ライオンズvsホークス/なかなか渋い展開の試合)。

家族で来たのは10年ぶりでした

昨日の5/4はEVIL LINE RECORDSのイベントを観覧し、アニメ&声優界隈の盛り上がりに圧倒されたり。あ、ドレスコーズや特撮、ももクロも良かったです。

ELRフェスの会場、ガーデンシアターね

で、こどもの日の今日は、首都高でのイベント「銀座スカイウォーク」に参加。晴天の下、高速を歩きました。

左の向こう側は新幹線が通過したり
高速道路を歩く…貴重な体験

この高速道路の光景を見て思い出したのは、R.E.M.のMV。もう32年前か。今日は車はなかったけど。


降りて銀座を歩いてたら
青木優さんという方のアートを発見。
はい、僕じゃないですよ

で、この間には僕が書いた羊文学と、

THE YELLOW MONKEYのライヴレポートが、それぞれ公開されています。

『音楽と人』6月号の表紙巻頭特集では、イエモンの4人にインタビューしているので、ぜひぜひ、よろしくお願いします。

今回はそんな彼らの古い曲について。

ライヴハウスで妖しい輝きを放っていたTHE YELLOW MONKEY


THE YELLOW MONKEY、前回の「その1」では「カナリヤ」について書いた。これはバンドとしてのキャリアがかなり進んだ2000年リリースの曲(活動休止直前)。

今回は一転して初期の歌で、そしてもちろん年齢が唄われている楽曲。「フリージアの少年」である。
メジャー2作目のアルバム『未公開のエクスペリエンス・ムービー』の収録曲だ。発表は1993年。

この頃の歌は、僕にとって、ちょっと思い出深い。彼らを意識するようになった時期で、ライヴにも何度か足を運んだからである。

最初に日清パワーステーション(新宿にあったライヴハウス)で観た4人はとても妖艶だった。そのサウンドはハードでありながらなまめかしさも漂っていて、吉井和哉の唄い方には自分自身の底を吐き出すような濃厚さがあった。音楽的にはグラム・ロックと歌謡曲の影響が濃く、ライヴでマルコシアス・バンプを招いていたのも納得がいった。
近い時期のライヴが公式の映像にあったので、貼っておこう。

僕はそんな彼らに対して、さほど違和感は抱かなかった。というのは、自分は小学生の頃から沢田研二を聴いてきた人間で、おかげで男性がメイクをすること、そして歌謡曲的なメロディであることに、何も抵抗はなかったからだ(このこととは別に、80年代頃まではロックと歌謡曲が対抗軸にあったことには関心があるが)。

それもあって10代の頃はデヴィッド・ボウイやルー・リード、ロキシー・ミュージックにTレックス、それにJAPANなどの耽美的なロックにも親しんだので、イエモンに共感できるところは大きかった。
これを違う目線から見直すと、初期の彼らはそのぐらい60~70年代ロックの香りがプンプンしていたということである。93年、時代はもう渋谷系だの輸入盤店文化などが台頭している時期に、グラム・ロックをはじめとしたクラシック・ロックを信望するバンドとして出てきていたのだ。
そのパワステのステージで、ロビンこと吉井和哉が「こんな古臭いロックをやるバンドを観に来てくれて、ありがとう」みたいなことを言っていて、そうだな、たしかに昔ながらのロックの雰囲気が強いよな、と思ったものである。

あと、もうひとつ感じたのは、このバンドはヴィジュアル系のようで、しかしどうも違うよなぁ、ということ。これについては2016年の再集結後の取材で、ベースのHEESEYが「<ヘンなヴィジュアル系>って言われてたもんね(笑)」と話してくれたものだ。
ただ、V系自体は90年代に広く浸透していった文化ではあるものの、80年代まではロック・アーティストがメイクをすることはもっと普通にあった。そこにはグラム・ロックというより、パンク/ニューウェイヴの名残があったはずだ。たとえばYMOやRCサクセションがそうだったように。

もっともこうした昔のロックの文脈に埋没せず、もっとモダンな感覚を導入していったことでイエモンは大ブレイクを果たすのだが。それは何年か後の話になる。

さて、93年のイエモンのステージでは、自分には「アバンギャルドで行こうよ」や「Romantist Taste」、「審美眼ブギ」、それに出来立ての新曲だった「赤裸々GO!GO!GO!」や「A HENな飴玉」のような曲が心に残った。どれもアップテンポなロック・ナンバーである。

そして「フリージアの少年」は、これらと曲調はかなり違うものの、同じ時期の楽曲である。

青く、せつなく、ホロ苦く、甘やかな「フリージアの少年」


ダークな曲調で始まり、それから次第にディープな展開を見せていく「フリージアの少年」。歌詞には、17才の少年が登場する。そこには吉井和哉個人の体験が反映されているとのことだ。

この曲についての吉井和哉のインタビューが残っている。

(前略)
--青春時代から今までの生い立ちを綴った自叙伝。♪やがて少年は恥じらいもなく厚化粧でショータイム/汚れてしまった言葉をかき集めて大勢の前で歌い出した~17才で犯された僕のメロディー~~。なんで汚れちゃったんです?

「汚れた……汚れちゃってるんだよなあ。でもこれは訣別の歌なんです。あの頃は汚れていてあんなだったけど、こんな僕でも♪もしも貴方が今夜僕に釘づけで百年の恋が生まれるかもね~という……なんかステキでしょ」

(『ロッキング・オンJAPAN』93年3月号より インタビュアーは井上貴子さん)


17才当時の吉井は、静岡でアルバイトをしながら生活をしていた頃(まだ太っていた時期だろうか)。彼はこの後、「静岡のモトリー・クルー」と呼ばれたアーグ・ポリスというバンドのベーシストになり、バンドマンとして活躍することになった(それでもTHE YELLOW MONKEYの結成はずっと先の話である)。

まだ何者でもなかった17才の吉井に何があったのかは知る由もない。「汚れちゃった」という言葉のニュアンスが気になる。おそらくは青春時代ゆえの恋愛のような、少年が大人になるような……人間として大きく変わるような出来事があった、ということなのだろう。
それでなのか、「フリージアの少年」には、青さも、せつなさも、ホロ苦さも、そして甘やかさも埋まっているような気がする。渾然一体となったところに、初期のこのバンドらしさも混ざっているようで、それがとてもいい。

なお、前回の「【年齢のうた】THE YELLOW MONKEY その1」において、僕は「当初のイエモンの活動期に、彼自身のリアルな年齢と絡めた歌があったことは記憶していない。おそらく、実際にそうだったのだと思う」と書いてしまったが、それは事実ではなかった。正確には、僕は先ほどのインタビューをずいぶん前に読んでいたのだが、その内容をずっと失念していた。それゆえに「フリージアの少年」に対しての認識を間違ったまま思い込んでいた。このことは深くお詫びし、訂正する。すみませんでした。

あらためて。「フリージアの少年」は、17才だった頃の吉井のリアルな心情が描かれた歌である。

「フリージアの少年」は、リリース当時から何度かライヴでも演奏されていたが、やがてセットリストから外されるようになった。そしてバンドは2001年に休止し、2004年に解散に至った。
それから時が経ち、2016年。彼らが待望の再集結を実現させた際、なんとこの年、年末恒例の日本武道館「メカラ ウロコ・27」で「フリージアの少年」がパフォーマンスされたのだ。これには驚いた。

こんなふうに4人は、今でも昔の曲をよく演奏する。中には若気の至りだったと思えるような歌も、今思うとトラウマ的な曲だってある。ただ、それらだってバンドの歴史の一部であり、たしかに刻んだ過去の作品には間違いない。
時々でも、そうした曲をパフォーマンスしてくれる彼らのことを、うれしく思う。

それにしても……僕はこの春、4人へのインタビューや東京ドームでのライヴ、それにこの前回の【年齢のうた】イエモンその1と、主にシーズン1の半ばから現在までのイエモンを振り返ることが多かった。それが今回の【年齢のうた】は、本当にたまたまだが、初期の彼らを回想することになった。
おかげであの頃の、未成熟でトガっていて、その青くささのまま邁進していた4人の姿を思い出すことになった。それは今、すごく良かったと感じている。

4人にはいつまでも元気で、いつまでもトガったままでいてほしい。


ベルーナドームで食べたのは
とんかつ新宿さぼてんのソースカツどん、1100円。
食べごたえあった!
でも本当はチェーン店でなく、
もっとここしかないお店で
ここしかないグルメを食べたかったですよ。
ええ、ええ。
でもね、他はもっと並んでるし、めっちゃ混んでるの!
このソースかつ丼を買うまででも
過去の人生史上、最短の試合観戦時間にならざるをえなかったほど
球場内を歩き回ったという事実は記しておきたい。
飲もうと決めていた狭山茶のペットボトルすら
行列で断念した事実も記しておきたいっ。
武内投手はナイピでした…
タイガースとの交流戦ではお手柔らかに

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