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ラストは最高峰、夏目漱石【吾輩は猫である】岩波文庫チャレンジ100/100冊目

ついに100冊読み切った〜!!チャレンジ完走の感想は別記事にする予定なので、溢れる思いは一旦堪えて、まずはいつもの振り返り!

ラスト10冊は名作文学、最後の1冊は1番好きな夏目漱石にしよう!とずいぶん前から決めていた。だからこの1冊はご褒美としても楽しんだのである。

小さい頃読んだきりで、子供向けかと思っていたが、処女作でも漱石は漱石、なんなら漱石全開漱石感満載の漱石節、やっぱり読んで良かった!

日本語のシャワー、日本文学最高峰


漱石豆知識

漱石ファンには新しくもない知識だと思うけれど、これを機に自分的に整理しておきたい。

・漱石というペンネーム
沈石漱流」から。俗世間から離れ、川の流れで口をすすいで、石を枕として眠るような隠遁生活を送りたい、意

・鎌倉円覚寺に27歳の時に参禅
その経験は「」にも読めるが、「吾輩は猫である」にも禅の言葉が多数登場


・「木曜会」開催

私邸で開催した「木曜会」。芥川龍之介は知っていたが、岩波茂雄(岩波文庫創業者)は知らなかった!他に中勘助、鈴木三重吉、寺田寅彦などなど

漱石は大好きだったけど、最初に買ったのが新潮だったので、岩波文庫で読んだのはこれが初めて

注釈も良かったし、漱石と言えば岩波文庫というのがようやく繋がった。岩波文庫すごい、ありがとう!とは思っていたけど、夏目漱石が加わって・・
今更ながら激アツ(笑)。

・「猫」誕生
ロンドン留学で閉口した様子を、同い年で友人の正岡子規に手紙で綴る。それを「倫敦消息」として、子規が雑誌ホトトギスに掲載。これが縁となりホトトギス編集長高浜虚子の目に止まり、何か書けと勧められる。できたのが「猫」。短編のつもりで書き始めたが、面白いから続きを書けと言われて、長めの作品に。

・帝国大学(後の東京大学)で英語教師
前任はラフカディオ・ハーン(小泉八雲)

・「則天去私」と「自己本位」
どちらも漱石語で有名。前者は、天に則って私心は捨てる事。後者は、自分を大切にする事。西洋礼賛一辺倒の考えを払拭し、日本人の文学を作る事を発奮。

・出版社に印税を要求した日本で最初の作家

ここが好き

日本語がいい、リズムがいい。100冊古典を読んだ後でもやっぱりいい。定期的に読むのがいい。読むたび好きなだぁと思う。ゆっくり読んで味わって、漱石が残した言葉を味わえる幸せを噛みしめる(ファンだもの)。

滑稽と風刺満載の「猫」。餅と格闘する場面が文学になり、なんとなく勇気ももらえる。言葉の力。

猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしと言う意気込み

餅との格闘で猫が得た4つの真理
・得がたき機会は凡ての動物をして、好まざる事を敢てせしむ
・凡ての動物は直覚的に事物の適不適を予知す
・危うきに臨めば平常なし能わざる所のものを為し能う(天祐)
・凡ての安楽は困苦を通過せざるべからず

あえて紹介するまでもないけれど、本作は猫目線での人間観察の様子を綴ったもの。学校の英語教師(漱石モデル)である主人・珍野苦沙弥牡蠣的主人と評す

性の悪い牡蠣のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向かって口を開いたことがない。

人間もこのぐらい偏屈になれば申し分は無い。そんなら早くから外出でもすれば良いのにそれほどの勇気もない。いよいよ牡蠣の根性を表している。

この言い方がたまらんのよね(笑)。

比喩能力は頭が良い証拠だと、言ったのはアリストテレス「ずば抜けて偉大なのは比喩を見出す事。優れた比喩を駆使するには、同質性を見抜かねばならない」。

好きな所は語り尽くせない。単に面白い言葉使いがあったかと思うと、急に深く切り込む所もある。以下自分が好きな表現を抜粋、同じ趣味の人がいたらコメントでお知らせください!

平気で主人の顔の先へ荘厳なる尻を据えた。結婚後1ヵ年も経たぬ間に礼儀作法などと窮屈な境遇を脱却せられた超然的夫婦

言葉

細君はたった一言「まぁ!」と言ったが、そのまぁの中には驚いたまぁと、気を悪くしたまぁと、手数が省けてありがたいと言うまぁが合併している。

奥深さ

顔からヒゲが生えているのか、ヒゲの中に顔が同居しているのか

何種類か見られる言い回しテク

強情さえ通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場ははるかに下落。頑固の本人は死ぬまで自分は面目を施したつもりで、その時以後人が軽蔑して相手にしてくれないのだとは夢にも悟り得ない。

時々出てくる深い真理

「いやーよ。ばぶ」と言いながら雑巾を引っ張り返した。このばぶなる語はいかなる意義でいかなる語源を有しているか、誰も知ってるものがない。ただこの坊やちゃんが癇癪を起こしたときに折々御使用になるばかり。

漱石先生🤣

新たな発見

本書の中に実際の漱石の苦悩が書かれていたとは新たに知った事。本人が患っていた胃病や神経症、文明開化に伴う西洋信者への抵抗と日本人奮発。これらは次で詳細を取り上げるとして、この他5つ新たな発見をした。

①ずんずん牛
単純だけれど「ずんずん」「ぐんぐん」という言葉から元気をもらう。齋藤孝先生の本を併読していたのだけれど「牛のように超然と押していく」以外にも作中に「牛」を発見(どちらも禅語)。

露地白牛
(露地と言う清らかな場所に、白い牛と言う純粋な自分がいる、意。禅の悟りには「十牛図」というのがあり、真の自己が牛に例えられる)
鉄牛面の鉄牛心、牛鉄面の牛鉄心
(鉄でできた牛のように、テコでも動かない心)

②日本海海戦
時事として日露戦争の話題がよく出る。日本海海戦に猫vs鼠の戦争がかけられていたとは、子ども時分は知らなかった。鼠が3方面いずれから攻めてくるか(バルチック艦隊が対馬海峡を通るか、津軽海峡へ出るか、宗谷海峡を回るか)問題。

③チンギスカン説
義経=チンギスカン説はある界隈で有名だけれど、猫にその描写を発見!

④イプセン人形の家
以前の記事で、漱石初め明治の作家への影響に若干触れていたが、猫にも発見!終盤、未来記を語る節、個人の主張→親子の別居→結婚の不可能説が唱えられる。女性も学問をするようになれば、“夫の思う通りになるわけがない。夫の思い通りになるような妻なら妻じゃない人形だからね“。

⑤古典落語「蒟蒻問答」

言葉のかけ違えが面白ネタの「蒟蒻問答」。気になって調べたが、身振り手振りが売りだというので、YouTubeで落語を聞いてみた(本題は12:43〜)。調べていたら成田悠介氏の切り抜き動画まで見つけてしまった。教養のある人というのは、こういう文学からも学んでいるんだね、きっと。それも若い内に。


現代でも頷く!「猫」の漱石哲学

冒頭にも書いたように、西洋一辺倒の世の中にあって、日本人として一矢報いるという強い気概。いくらインターナショナル、グローバリズム、英語教育と言ったって、国産の良い所にも目を向けたい。広い視野を持つ意味でも日本の良さを蔑ろにしてはいけない。

西洋の文明は積極的かもしれないが、不満足で一生を暮らす人の作った文明。(どこまでやってもキリがないから)。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大いに違うところは、周囲の境遇は動かすべからざるものと言う仮定のもとに発達した。

世の中は到底意の如くなるものではない、(意の如く)できるものは自分の心だけ。心さえ自由にする修行をしたら良い。西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うのは少々誤っている。消極的の修養で安心を得る

( )は補足、中略あり

下は、自分がどう見られているかばかりに気を取られて、窮屈な毎日を送っていませんか、というメッセージにも取れる文。今でも大いにあると思った。世間体を気にして腹の内を明かせない、良い子ちゃんばかりでは疲れるだろう。

二六時中キョトキョト、コソコソして墓に入るまで一刻の安心も得ないのは今の人の心。文明の呪詛。昔の人は己を忘れろと教えたものだ。天下に何が薬だと言って己を忘れるより薬な事は無い

(誰もが良い子ちゃんを演じれば)個人と個人の交際が穏やかになるなどと普通言うが大間違い。なるほどちょっと見るとごく静かで無事なようだが、お互いの間は非常に苦しいのさ。ちょうど相撲が土俵の真ん中で4つに組んで動かないようなもの。傍から見ると平穏至極だが、当人の腹は波を打っている。

( )は補足、中略あり

別の記事でも書いた気もするけれど、この誰もが良い子ちゃんは自分的に本当に気持ちが悪い。腹の内が分からないから距離が縮まらない。昔よりずっとパーソナルスペースは遠くなった気もする。自分を明かさない方が楽という人もいるだろう。

これを文明の呪詛と言った漱石。デジタルが発達したおかげで、人よりパソコンに向かう時間が多い人もいるはず。漱石の時代は西洋と日本を比べたけれど、令和の時代は、昔と今を比べたくなる。昔にだって良い所はあったはず、古臭いと蔑ろにはしたくない

気を使わない訳ではないけれど、人間味がある方が面白いんだよなぁ。


その辺の自己啓発本より漱石の生涯、手紙、作品で知れるその人柄、考え方に触れることの方がずっと勇気がもらえて、気持ちが大きくなる気がした。

漱石全集を読みたくなった所で、
以上を持ちまして岩波文庫100冊チャレンジは完走・達成でございます

これまで記事を読んで頂いた方、本当にありがとうございます😊

実は次のチャレンジも決めているのですが、しばし溜まっている積読本を消化して、気持ちが改まったらアウトプットを再開する予定です。

かしこ


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