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「世界の十大小説」から学ぶ

岩波文庫100冊チャレンジを始めて何度サマセット・モーム「世界の十大小説」を読みたいと思ったことだろう。24年夏、ついに!待ってましたの重版がやってきた。岩波文庫ありがとう✨

掲載作品はこちら(作者生年順)
 ー右のNoは自身の読書記録とリンクになってます。

①トム・ジョーンズ(ヘンリー・フィールディング)
②高慢と偏見(ジェーン・オースティン)、No23&24
③赤と黒(スタンダール)、No70&71
④ゴリオ爺さん(バルザック)
⑤ディヴィッド・コパフィールド(チャールズ・ディケンズ)
⑥ボヴァリー夫人(フローベール)、No98&99
⑦白鯨(ハーマン・メルヴィル)
⑧嵐が丘(エミリー・ブロンテ)、No85&86
⑨カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)、No93〜96
⑩戦争と平和(トルストイ)


世界の十大小説とは

最初に断っておけば、原題は“Ten Novels and Their Authors”(10の小説と著者)であり、世界の十大小説とは言っていない。今で言えば、モーム版“名刺代わりの小説10選”程の意味と思う。

いずれも19世紀(トム・ジョーンズだけ18世紀)の作品であり、以後も素晴らしい小説は生まれ続けている。10作の国別内訳を見ると英4、露3、仏2、米1。日本にだって素晴らしい作品はある。選出に偏りを感じなくもないし、邦題への違和感もあるところ。

とはいえ、モームが言ういずれの作品にもある“力強さ”には大いに納得。今の所読み終えた6作はどれも強烈な印象がある。

未読が残る中で本書を読んでいいものか

結論から言えば全く問題ない。未読作もやはり読んでみたいという気持ちが強くなったにすぎない。

ほとんどのページは著者の紹介に費やされており、作品への言及はやや少なめ。これは残念な点でもあったけれど、この1冊(上下なので実際は2冊)で著名な10人の生涯が知れるというのはお得でもある。

作品がいかに著者の経験や性格に影響されているか、モームの言いたい事の一つ

体験と言う地盤があって、それに支えられていたときの方が、真実らしく受け取れる

真実らしく”というのが作品選びの一つの軸でもあり、ここで選ばれた小説にはファンタジーやSFは含まれていない。なぜか、という事に関しては冒頭「小説について」で説明がなされていると思った。

優れた小説(小説についてより)

モームが言う優れた小説には以下の条件がある。

❶主題は
・広範囲に渡って興味を起こす、いつになっても興味が失われないものである事
・人類全体に関わるものである事

❷ストーリーは
・守備一貫して説得力を持つ事
・作中人物の行動がそれぞれの性格に由来している事

本書で選ばれた10作はこれらの条件に合致。ファンタジーやSFが入らないのは❶にやや当てはまらないからだと思われる。

そして
❸どの作品でも小説は「楽しくなければならない」

楽しみのために読書する普通の読者は、退屈な部分など全然読まないでも損をする事は少しもない

あえてモームに物申す

「楽しくなければならない」は最もではあるけれど、何が「楽しいか」は人によると私は言いたい。ここでの「楽しさ」はストーリーの変化という意味で使われていると思っている(少なくとも読んできた6作には十分なストーリーがある)。

私の場合、ストーリーが少ない小説でも十分「楽しい」作品はある。知識欲が刺激されたり、何とも言えぬ情景が思い浮かべられるものがあったり。「楽しかった〜!」というよりも「う〜ん!」と唸る感覚で楽しませてくれるもの。

ストーリーでなく言葉、日本語が「楽しい」と思える小説。好きな作家の筆頭、夏目漱石はこれにあたるようにも思う。内面を抉るような太宰も、美しい情景で心を持っていかれる川端康成も、ほとんどの日本の古典はこの部類?

日本語は一人称の数がやばい(他言語は基本1つだが、日本語は数知れない多さ)と、少し前のツイートで話題になっていた。言葉が豊かな証拠である反面、翻訳は難しい所。豊かな言語だからこそ、例えストーリーが少なくても楽しい。

モームは他に、小説は「作者が自分の考えをひけらかす機会であってもいけない」「いつも決まって作家本人を思わせる調子でしかしゃべらないのもいけない」「長たらしい退屈な情景描写は話の筋とは関係ない」とも言う。

私はそれで「楽しい」から良いと思っている。作者が自分の考えをひけらかす、というのは作者の頭の中が覗ける気がして嬉しいし、いずれの登場人物の会話でも作者の考えが述べられたものであると思うから。

しかし彼のこの言葉には100%同意する。

古来完璧な小説と言うものは1つもない
(短編小説ならば完全さを表現することができると信じる)

なぜ小説はつまらなくなるのか

「橋」と呼ばれる箇所が小説にはあるらしい。

・作品全体の釣り合いを良くするために挿入された適当な事柄
・事件と事件の間の空隙を満たすもの

モームはこれを出版社との契約に理由があると言う。毎月連載など、何回かに分けて書く必要がある場合、一定のページ数を満たすために一定の枚数の原稿が必要。「描写のための描写」ができてしまう。そうすると「残念なことに退屈で面白くなくなる」と。これには全く納得させられた。

「橋」のせいで面白さが減っている作品が少なからず古典には認められる。これからは、出版社との契約でこうなっているんだと、思うことで少しの躊躇ですっ飛ばすことができるだろう。

作者が意図的に長々しくしている場合もある。誰とは言わないれど、話の筋とは関係ない事を長々長々と続けられ、私たち読者はそれを長々長々と我慢して読むことで、クライマックスがとんでもなく気持ち良い事もある。

まだかまだかまだなのかと思いながら「ついにキター!!」という歓喜。

本書で「失われた時を求めて」の長々した部分に触れて「とりとめもない瞑想に耽るばか長い部分」と言っているのは笑えた。プルーストは無意識的記憶、マドレーヌと紅茶の代名詞でもあるが、ばか長い代名詞にもなれる。

さて、作品についてモームはなんと言っているのか。一つ一つ大変興味深いのだけれど、個人的に参考になった2作を紹介してみます。

作品紹介2選

①「赤と黒」、後半は支離滅裂?

スタンダール「赤と黒」の後半は支離滅裂

岩波文庫解説で紹介されていたモームの書評。解説では十分にその意味が分からなかったため、ついにその真意が分かるのだと、本書で読むのを楽しみにしていた。

「赤と黒」は作者同時代の史実(フランス革命〜ナポレオン)が描かれる社会派小説であるとともに、実際に起きた事件を元に構成されている。

モームはスタンダールの事を「小説家の天賦の才能の中で最も重要な創作能力をほとんど全く欠いている」と批判しながら「物事を正確に観察する驚くべき才能、複雑で気まぐれで奇怪な人間の心を見抜く鋭い洞察力があった」と称賛。

社会派小説の傑作とはいずれもそんなものだろうとは思う。
さて何が支離滅裂か。

モームだけでなく、どうやらこの小説には重大な欠陥があると評判らしい。

自分の場合“欠陥”とまでは言えないが、言及されている場面に確かに違和感は覚えた。最後ジュリアンが発砲するシーンには。プロによれば登場人物の一貫性に欠けるという事で、“欠陥”と呼ばれるのだと思う。

なぜ発砲したかーー事件を忠実に辿りすぎたから。

これしか発砲の理由が分からない、とある(ズバリ言及してくれてスッキリ)。逆に言えば主人公の一貫性に欠けるぐらい、登場人物の個性が際立っていた、それぐらい素晴らしいキャラクター発展がなされていた事にもなると思う。

だがこれ一つをとって“支離滅裂”とまでは言えない。モームは他にもいくつか指摘しており、登場人物が知り得ない情報を知っているとか、スタンダールは中産階級出のため上流階級の振る舞い方を知らず、真実とは受け取れない書き方がされているなど。

だからと言ってこの小説の価値が下がるものでないというのは、10作に選ばれた事で十分証明されている。個人的に、小説になった時点で全ては作者の作品であり、いかに欠陥に見えようが支離滅裂に見えようが、作者の描く人物・世界として自分は受け入れてしまう。どうやら私は批評家には向いてないらしい。

②「戦争と平和」、知った気になれる?

ドストエフスキーとトルストイはよく比較される。「カラマーゾフの兄弟」に感銘を受けてから、早くトルストイを読まねばと思いつつ順番待ちになっている。

本作を読んだことのある人はどれぐらいみえるだろう。

自分はまだ未読ながら、モームを読んで割と分かった気になり満足してしまった。以下は、私同様読んだ事はないけど、内容を知りたい方向けです。

戦争と平和とはいつの戦争の事だろうと、そんな事すら知らなかった自分は本作が「ナポレオンのロシア侵略〜撤退」を描いた作だという事を知れただけで、かなり知った気になれた。

トルストイはナポレオンに批判的(侵略されているんだからそりゃそうなる)らしい。英雄など存在しないと。

軍事の天才というものはなく、諸国民の間に働く正体不明の力が歴史の流れを左右する」「ナポレオンが数々の戦いに勝利したのは、敵軍が負け戦だと突然思い込み、向こうから戦場を放棄したから」

これだけで知った気になるのもどうだと思うが、これらはだいぶ作品の理解を手伝ってくれた。モームはトルストイには偏見もあると言っている。自分的にも同意するところもあれば同意できないところもある。

それを確かめるためにも、いずれちゃんと読んでみたい。

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