圧巻!次元を越えるもの凄さ【カラマーゾフの兄弟】岩波文庫チャレンジ93〜96/100冊目
一言でいえば「この本は隕石」、圧倒的重量感。読んでしばらく取り憑かれた。
漠然とした凄みを感じつつも、読み終わってすぐは頭がぐるぐる。あの話は何だったのだろう、あの言葉の意味は、などカラマーゾフが頭を占拠。数日経ってようやく自分なりに消化できてきた。思考の整理学。
いつもとは順番を逆にして先に読了ツイート。”「面白くはない」が読む価値のある本”、と呟いたが、今は「面白い」という次元では語れない事がわかってきた。
「面白い」とかいう次元を遥かに超えた傑作、古典 of the 古典。
アインシュタイン*始め、数々の天才たちが褒め称えた作品。
村上春樹*流に言えば「読んだ側」の人になれたかも。
* 「どんな思想家よりも多くのものを、ガウスよりも多くのものを与えてくれる」『アインシュタインとドストエフスキー』
*「世の中には2種類の人間がいる。『カラマーゾフの兄弟』を読破したことのある人と、読破したことのない人だ」(村上春樹)
ストーリーはある。サスペンスもある。恋愛もある。
でも「カラマーゾフの兄弟」が凄いのはそこじゃない。
テーマは色々あると思っていたけど、色々あるのは要素。
自分が見つけたテーマは1つ。
「当時のロシア(キリスト教)へ現実を突きつける」
はじめに
いきなり岩波文庫で読むのは危険だと思っていた。難しくてついていけなければ、時間がもったいないだけ。
でも
岩波文庫100冊チャレンジはゴール目前。読んだロシア作家はゴーゴリだけ。それも芥川の鼻につれられて。ロシアの超大作に触れていない事はずっと気になっていた。ただ、学生時代に読もうとして挫折した恐怖心が未だ抜けずにいた。
カラマーゾフの訳は色々出ている。恐怖心だけでなく、岩波文庫の字がかなり小さくて詰まっているのもあって、実際相当悩んだ。でもある時
「これは読書チャレンジじゃないか」
チャレンジしないで何がチャレンジだと、意を決っすることができた。
読めても読みきれなくても、それが自分の実力よ、分からなかったら他の訳を読めばいいではないか、と。
ということで、解説が素晴らしいと評判の光文社でどのように説明されているかは分かりません。ここに書いたのは自分の腹に落ちた、自分なりの読み方。
*ストーリーの紹介はありません
次元を超越しているもの
Xにはこの本を
・面白くはない、と投稿した(最初)
・funではないがinterestの面白さがある、とも投稿した(次の日)
・日本語でも英語でも、面白いとかいう次元ではない←今ここ
ついでに「好きか」と聞かれたら、「好きではない」と言うだろう。
ただ作品としては、★5スケールを超えて★6をつける。そういう本。
全体に感じたのは暗く厳しい「現実」。
日本人からは縁遠いキリストの宗教観。
そしてどうしても共感はできない女と金、でもそれが現実の生活。
このあたりの要素が、自分の「好き」からは距離がある。
女と金ついでに酒、と言っても人がすること。この辺りで揺れ動く内面描写は本当にびっくりした。凄いよりもびっくりした。
この作品のことをポリフォニー(多声的)というそうだ。
元々は音楽用語で複数の音を指すらしいが、小説では、登場人物が対話の中で独立した人格、思想を持っているかのように振る舞う事、を言うらしい。
テーマの深淵性もだが、圧倒されるのは、こうした多声的な面もある。これだけは実際に小説を読まないと分からないだろうし、説明するのも難しい。
ちなみに、聖書が多く引用されており、少なからず旧約・出エジプト記・ヨブ記・福音書を読んできた事が助かった。「お前は右へ。僕は左へ」(出た!)
「大審問官」強烈なアンチテーゼ
作中必至の名作と言われる「大審問官」。到底一度で消化しきれずモヤモヤしていたが、これには絶対に何かあるという気がしてならなかったので、読了後じっくり読み直した。
電撃が走ったのは、2巻に出てくる「大審問官」が、4巻長男ドミートリイ(ミーチャ)の裁判と繋がった時。それまでバラバラだった出来事が、急に一つに繋がり出した。
無罪だと思っていた。からの急激な有罪判決。
証拠不十分だったはず。にも関わらず有罪になった。この言葉の意味は?
大審問官はこう押さえている。
キリストは、
*神が仲間
*少数の人だけを救う
*ただの理想(天上のパン)
*民は自由を与えられるが、自らでは何も解決できず苦しむ
大審問官は、
*悪魔が仲間
*大多数の人々を救う
*現実的(地上のパン)
*解決してやることで民に安定を与える
大審問官が言う事は、
一般多数の人には、自由は重すぎて耐えられない。しかも人に自由を与えたところで野蛮な事しかしない。社会秩序のためにも、人のためにも、大審問官がルールを引くことで、世の中は安定する。人のために善悪を決めてやる。
作中皆がよってたかって3男アレクセイ(アリョーシャ)の意見を求めたがるのも、何が善悪かを自分では決められない、自分で決めるのは苦痛。そういう人が大多数である事を言わしめたいのだと思った。
有罪の決め手となった百姓は明らかに大多数の方。陪審員構成をわざわざ書いてある。役人4人、商人2人、百姓と町人合わせて6人。
少しだけ、著者ドストエフスキーの生涯を振り返る。
ドストエフスキーの本名、フョードル・ドストエフスキーは、作中で育児放棄し金と女に狂う父親フョードル・カラマーゾフの名と同じ。
名前だけでなく、地主という点でも同じ。ドストエフスキーの父親は、農民の恨みをかって惨殺された。何人か子供をもうけたが、末っ子アレクセイを幼くして亡くしている。このアレクセイはカラマーゾフ3男と同じ名前。
「カラマーゾフの兄弟」は最晩年に書かれた作品。自身の経験が作品に投影されていないと、誰が言えるだろうか。それぐらいの共通点。
作中の父親は農民に殺された訳ではなかったが、裁判でとどめを刺したのは「百姓ども」だった。つまり、理性で考えれば明らかに無罪だったはずなのに、普段から粗暴だったドミートリイへ、単純に復讐をした。
まともな判断ができない「百姓ども」のような大多数には、神ではなく、悪魔(大審問官)が必要である、という強烈なアンチテーゼに思える。そしてそれが現実社会だと。
「百姓ども」に自分で判断する能力がないから、救われない人(有罪になったドーミトリイや、作中語られる無垢な子供への虐待)ができてしまう。
ただ大審問官の最後はキリストのキスで終わる。どうしようもない世の中を救うのは、悪魔的大審問官を救うのは、最後は「無償の愛」なんだ、と言うほのかなメッセージとして自分は受け取った。
言葉で語るのではなく「実行の愛*」。これができる人が少ないのが問題(解決策については次章)。
*ゾシマ長老の言葉「実行の愛で信念を得ることができる」
これが最後のシーン、アレクセイの言葉につながるのではなかろうか。世界を救うのが、愛でなくて何だろう。
3兄弟=ロシア国旗説、と問題への解決策
カラマーゾフの3兄弟とは
・長男ドミートリイは直情的で熱い
・次男イワンは頭脳明晰で冷静
・3男アレクセイは無垢で天使のような存在 として描かれている。
作中に3兄弟はロシアを表している、と出てくる。
だんだんと・・3兄弟の性質が上から赤・青・白に見えてきた。!何!それってロシアの国旗じゃん(実際は上から白・青・赤)。
ロシア国旗について調べてみると、当たらずとも遠からず。
はい。ちょっと言ってみたかっただけです。
解決策に移る。
「ロシア人的気質」というのが、ロシア作品に馴染みが少ないためか、すんなり落ちてこないけれど、3兄弟と父親を含めたカラーマゾフ家は、ロシア社会のジレンマともとれるようだ。オイディプス王やハムレットにも見られる父息子間の問題、これがひいては国家の問題なのだと。
家族間の些細な問題を解決していくこと、家族を愛すること、つまり社会のために自分たちができることは、家族関係の改善からであると。家族は国家の縮図であると。
プラトンも「心の秩序に相応して国家の秩序を考えた」ようだ。「外的秩序は強力によっても作ることができる。しかし心の秩序はそうではない」(参考:人生論ノート、三木清)
語られなかった2部を語る
「カラマーゾフの兄弟」には2部が存在する予定だったらしい。作者が亡くなったために私たちが知るのは1部だけ。ただあまりの完成度の高さから、未完の作品とはとられていない。
2部について知ることができるのは、構想に残された事のみ。すなわち、世に出ている1部とは13年前の出来事で、2部は3男アレクセイを主人公とする現在の物語(13という数字もキリストが意識されていたりするのでしょうか)。
「著者より」と題された構想パートでは、主人公アレクセイが変人とも名付くべき男、通読した後も優れた点を認めることができないだろう、という衝撃の内容。天使のように描かれたアレクセイとは真逆の人物像。
読んだ後だからこそ分かるが、「著者より」という初っ端なからドストエフスキー全開。人間の多面性、変容、複雑さ。
複雑性、メッセージ性だけでなく「未完」という点が世の中の考察や研究書を増やすのだろう。様々な考察が可能な良書であるとともに、未完成な部分が想像力を刺激してやまない。従って私の想像力も刺激されてしまった。
想像力と言っても、全くのゼロから出発する訳ではない。
本書の特徴でもあり、最初はずいぶん苦労したけれど、物語は後から後から語られてくる。チェルマーシニャ村とかゴルストキンとか3千ルーブリとか糸瓜とか、何だったっけ!と思って何度も何度も前に戻った。
「それは後で話すことにして」とヒントがある場合もあるが、大事でもなさそうな言葉が後から重要性(ストーリー的に大事というだけ)を帯びてくる。それだけに、再読するたび拾える箇所も増えるはず。
*これから読む人へ、金銭問題は頭に入れておいた方が良い
何が言いたいかというと、つまりチョロっと出てきた言葉が後で重要になる。つまり出ている言葉に推測の余地がある!
〜ここからは完全なる個人劇場〜
長男ドミートリイの裁判では、有罪になる決定的証拠もなければ、無罪を証明する証拠も出てこなかった。カチェリーナの出した手紙は、動機の説明であって犯罪の証明にはならないと思っている(裁判に詳しくはないけどそう信じたい)。
ドミートリイは、1500ルーブルを隠しもつのに布切れをあてたと言っている。この、絶対的証拠になったはずの布切れは見つからないまま終わる。これが、2部で見つかるのではないだろうか。
布切れが見つかれば、金銭目的でなかった事が証明され、有罪の理屈が成り立たなくなる。それを堕天使アレクセイが手にする。
だが判決はすでに下されている。あれほど信じた神様はいない(無実の人間が有罪に、ドミートリイは救われなかった)のだから、無実を証明できる証拠を手にしつつも、誰にも言わないでいる。
〜〜〜〜
それからアレクセイは少年コーリャへこんな言葉を放っている。
「君は将来非常に不幸な人間になりますよ」
間違いなく成人したコーリャが2部で活躍するのだろう。
最後に
「カラマーゾフの兄弟」に限った事ではないけれど、1だから2、2だから3という風に、順を追って分かりやすく論理が並んでいる訳ではない。会話のあちこちに散らばる論理を自分の頭で繋げていく必要がある。
しかも、人がしている会話だから、言いたいことを懇切丁寧に話すわけでもない。部分部分を繋ぎ合わせたり、予想したりしながら全体を読む必要がある。
ここが、難しい所でもあり読む訓練にもなる所。しかも会話のレベルが高い。全部を理解できたとはとても言えない。自身が尊敬する作家には、ストーリーで魅せるより、論議で魅せてくる作家が多い。漱石、鴎外、三島云々。会話の中にこそ著者の哲学が詰まっている。難しいけれどそこが好きなんだ。
東大教授が新入生にすすめる本だというので納得した。
サマセット・モームの世界十大小説にも入っている。(重版よ、まだか)
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