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じょうずにいえるかな?

「じょうずにいえるかな?」
これは、自分がよく自分自身に投げる言葉。

昔から自分の気持ちを人に話すのが本当に苦手。
そもそも、人に話す以前に言語化するのが苦手。
「今の気持ち言ってごらん?」系の質問に上手に答えられた記憶はない。
誰かに自分の気持ちを伝えようとする度に意味のわからないオノマトペを創造する日々。
オノマトペを創造してはどういうこと??と聞かれる所までがテンプレートだが、
もう本当に「そういうこと」なのである。
ニュアンスでなんとなく感情が伝わる人は本当にお世話になっております。
お陰様で生きております。

とは言っても、これは毎回ではなく、もちろんするすると自分の感情が言える時もある。
本当に覚醒している時である。
もしくは対日常的にずっと一緒にいたりする人とか。
いや、どうだろう。
とにかく、そういう時は不思議なくらい出る。
頼むから一定で出てくれ。本当に切実に。
なんならずっとサラサラ出てくれ、

でも、意識的に感情っていうものなんだろうか。無意識にぽろって出るから感情っていいものなんじゃないか。
それに、意図的に言った際わざとらしいと思われないんだろうか。あざとい人間だと思われたリしないんじゃないかと思った。
そこのボーダーラインが知りたい。

中学の時、友人にめちゃくちゃ可愛い子がいて「○○ちゃん可愛いね〜」と言われてる機会をよく見た。
そんな彼女の返しはそんなことないよ〜!!!ではなく、「ありがとう〜♪♪」だった。
すごい衝撃だった。すごい、凄すぎる。謙遜せずに自分の気持ち素直に言っているではないか...!!!えっ凄い、本当にすごいぞ...こんな風になりたいわ、と心の底から思った。

それから数年後、写真が趣味になり友人を被写体にして写真を撮るようになった。
先程の友人とはまた別の友人だが、その友人もまた可愛くてテンションあげたまんま、撮っている最中流れるように「可愛い」「良い(語彙)」「本当に良い(語彙)」「好き(語彙)」を連呼していた。
一通り撮影し終わったあとに「そんなに『可愛い』とか『好き』の価値とかその他諸々薄れるよ」(うろ覚え)って言われた。
たしかにしか言えない。本当に確かに。
そこからポトレを撮る際には気をつけるようにした。

数ヶ月後、別の人を撮った。
一通り撮影し終わったあと「プロのカメラマンさんにこの前撮って貰ったんだけどこっちが照れるくらいにはめっちゃ褒めてくれたんだよね」(うろ覚え)って言ってた。
めっちゃ褒めるのか、ずっとポトレの時はきをつけて見てたけど言う人は言うのか。
次撮る時には気をつけてみようと思った。
考えてみたら可愛いとかかっこいいっていくら言っても減るもんじゃないですしね。
いっぱい言ってもらったらその分嬉しいよね、きっと。

なぜこんな感情表出がなかなかできないことに急に向き合い始めたのか。

そのきっかけは、先日友人が占いに行かないかと連れていってもらったことである。
占い師に「あなた自分の気持ちあんま言わないでしょ」的なことを言われた。
初めて言われてガッツリ自覚したけど、同時に内心若干ギクッとした。
なんとなく心当たりはあったんだと思う。

その後、その後誘ってくれた友達に
「確かにあんま嬉しいとか悲しいとかそいう形容詞聞いた事ないかも...!言ってね?!?!」
みたいなことを言われた。
自分めっちゃ失礼な人間じゃないか。感情を知らない怪物の気持ちってこれか?!(違う)

意味不明なオノマトペ生成BOTになる前に感情をさらけだし感情についての語彙を増やそう。
そして、自分の気持ちをさらけ出せ。
感情表出!感情表出〜〜〜!!!
感情表出は世界を救う、世界まで行かなくても少なくとも救われる人間関係はある。

「(じぶんのきもち)じょうずにいえるかな?」

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