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リーマンショックでの反省からいまに活かされていること。

『緊急事態宣言』も解除されて少しずつではありますが、元の生活に戻りつつありますね。僕らのクライアントも様子見段階からようやく動き出してきたという感じでありがたいことに案件の相談は増えてきています。

全国的な外出抑制や数ヶ月間にわたる在宅勤務状況など、かつてない環境のなかで苦境に立たされているクライアントや同業者がたくさんいます。
特に旅行/観光業・飲食店関係・イベント関連事業などの業種には大きな打撃があり、いまもその状況が続いているかと思います・・・。
※そして影響はまだしばらく続きそうですね・・・。

過去を振り返ると、広告関連事業でいえば似たような状況だったのは『リーマンショック』と『東日本大震災』のときでしょうか。内容は違うものの、一斉に自粛&縮小モードとなって広告業界的にはインパクトがありました。

D2Cdotは幸いにも現在大きな影響を受けていませんが、それは過去の『リーマンショック』の際の反省を活かして事業構造の改編を少しずつ行ってきた結果が今回に活きていると思います。保険商品やサーバーの保守管理などと一緒で、なにもないときはそのありがたみは目立たないですが(苦笑)、不測の事態があったときに「やっておいてよかった」と思えるのが危機管理に向けての取組みだったりすると思います。

今回はなにかしら皆さまの参考になるようにと、リーマンショック時に僕らに起きたことと、それに対して同じ失敗を繰り返さないようにと改善するためにどのようなことを行ってきたかを記載したいと思います。
・・とはいえ、やったことはけっこう普通のことだったりします(笑)。


まず、リーマンショックのときの僕らの環境の説明から。
当時はまだD2Cdotは存在していなく、僕らは親会社のD2Cのなかで活動をしている『ソリューション部』という10名強程度が所属するいち部門でした。僕は担当部長という役職でいわゆる『課長』みたいなポジションでした。
当時の事業領域はモバイル(ガラケー)のプロモーションのサイト制作が大半。いまとなっては不思議な話ですが、当時はPCとモバイルのサイトは全くの別物として扱われていて、別々の会社がつくっていることが多かったのです。PCの制作会社も容量の上限が低くて技術的にも表現に限界があるモバイルサイトの制作には興味がなく(最大の参入障壁は機種依存のバグでしたが)、自然とすみ分けができていたという感じでした。僕らはそこで企画から入れるモバイル専門のプロデュース集団として活動していました。
※当時はプロデューサーとディレクターのみの組織で制作は外部パートナーにすべてお願いしていました。
携帯電話の普及率が飛躍的に上がっていくなか、僕らはそれまでに蓄積されていた知見を使って、小さいながらも成長を続けていたのですが、そんなときに突如『リーマンショック』がやってきました。

リーマンショックの煽りを受けて、事業収益が悪化したクライアントたちは一斉にプロモーションの予算を縮小しました。広告関連市場は景気の動向にもっとも影響してくるので致し方ないところですね。
これによって僕らの事業の売上は前年比の60%程度まで落ち込み、さらに数年は回復の見込みがたたないだろうという状況でした。このため、新卒で受け入れていたメンバーは一斉に他部への異動を余儀なくされ、即戦力クラスのメンバーのみを残して一旦耐え凌ぐという判断になりました。

僕自身はこのときに自分たちがやってきた事業の『脆さ』を初めて痛感しました。戦略なく目の前の案件に必死に取り組んでいるだけではダメなんだなと。先を見据えてなにがあっても耐えられる事業構造をつくらないと、次にまたこういうことが起きたときに同じ失敗を繰り返すな、と思いました。
・・で、何が悪かったんだろう?と反省をしつつ分析を始めました。
そこで挙がってきたのが以下の点です。

①販路が少ない ⇒ 1社への依存度が高い:
当時の僕らの販路は特定の広告代理店で90%以上の売上を占めていました。
手広くやらないおかげで営業効率は良くなるのですが、この大元の広告代理店が失速すると自分たちも一蓮托生という感じで失速します。失速してから「やばい」と思って新規開拓を始めようとしてもすでに遅いんですね。
※少数のクライアントに依存している会社がそのクライアントの戦略変更によって崩壊してしまった、という話はよくあることです。

広告代理店の先には多くのクライアントがいるので、ある意味クライアント依存度は分散されているのですが、・・とはいえ広告代理店の事業のメインが『広告』なので、『広告自粛&縮小』という大きな枠で影響がでるとそれに引きずられて僕らもほぼ全滅という状況になります。

このため、リーマンショック以降は特定の販路に依存せずに複数持つことに路線変更しました。このおかげで現状はどこかが厳しくても他の販路でリカバリーできるようになっています。
事業(提供)領域が狭い:
当時の僕らはモバイル用のサイト&アプリ制作しかやっていませんでした。
いま思えば自分たちで勝手に「この領域で活動することが自分たちのやるべきこと(ビジョン)だ」と思い込み、可能性を萎めていたのかもしれません。このため、自分たちの事業(提供)領域に影響が起きたときに次の打ち手を考えることができていませんでした。

また、プロモーションの案件が大半だったことも問題でした。今後も不況が続くとなるとプロモーションの数は減少していき、費用対効果を求めていく動きになっていくだろうと思ったので、データマーケティングの重要性や年間を通じて運用される案件の必要性を感じるようになりました。ただ、これまでやったことがない領域が大半であり、思ってはいるものの実際に変革するにはすごく時間がかかりました。

幸いにも時代の流れがガラケーからスマホに移り、PCとモバイルの垣根もなくなったことで(競合は増えましたが)僕らに求められる領域が年々増えていきました。それに真摯に向き合って対応したことで自然とPCサイト制作、SP/イベント、映像制作、SNS運営、紙媒体、リサーチ、分析・・・・などなど提供できる領域が広がっていき、いつのまにかなんでもできる会社になっていきました。

上記①同様に何か特定のものだけに依存している状況は良くないです。
ひとつの領域に影響ができたときに他の領域でリカバリーできるようにリスク分散していくというのを心がけて組織を創ってきた結果がいま活きていると思います。
※「なんでもできるのは何もできないと一緒」とか言われますが、これからの時代はそんなことはないだろうと経験から思います。
収益力(利益)が低い:
当時の僕らは『プロデュース集団』という立てつけで企画と進行管理をメインで活動をしていました。いわゆるモノづくりの『制作』に関しては外部の方たちにすべてお願いをしていたんですね。このため、提供領域の狭さも関連してひとつの案件で得られる利益はさほど高くありませんでした。

プロデュース&ディレクションは案件の起点から始まり、全体に関わっていく役割になるのでそれなりに高い稼働と高いレベルの知見を求められます。
このため、新卒や中途で採用した人材がいきなり戦力になることはできず、成長するまでのコストを現状のメンバーでまかなう必要があるのですが、このバランスが一定の規模になってくると難しくなります。
リーマンショックの際は前年までが比較的好調だったため、新卒を複数受入れた時期だったのですが、メンバーの成長曲線とコスト&収益のバランスが一気に悪くなったため、仕方なく最小限の人数でやり直しをはかる必要がでてきてしまったという次第です。

これを機会に、規模を拡大していくためには利益が必要。それもある程度は余裕をもって・・・という当たり前のことに気づくんですね(苦笑)。
ここからいままで考えていなかった『内製化』に目を向けて、エンジニアの採用やアナリストの採用などを始めました。収益のことも大事でしたが、この先のことを見据えると社内にそういった専門職がいることが強みになっていくだろうという考えもあってのことです。
結果、その流れできた現在のD2Cdotは専門職のメンバーも多数在籍しており、収益性もきちんとあって将来のためにお金を使える会社になれました。
※子会社化できたことが一気にこの流れを加速できた要因でもあります。

ここで気をつけなければいけないのは人材が『専門職』すぎると不測の事態に使えない人材になってしまいかねないこと、です。
このため、D2Cdotでは「それしかできない人材」になってはいけないとして、デザイナーやエンジニアであっても(多少は)ディレクション業務ができたりと、複数の職種にまたがれるような人材の育成を行っています。自分の専門領域の仕事がなくなっても他の仕事ができるようにしているということです。それもいきなりやらせると「それは俺の仕事じゃない」という考えになってしまうので「いろんな仕事をできる人が評価される」という企業文化もつくるようにしています。
④固定収益力が低い:
③に似ているのですが、こちらは毎月の固定の収益力の話です。
当時の僕らの事業は90%程度がスポットのプロモーションの案件でした。このため、月の収益の凸凹が激しいうえに来年も同様の案件がくるとは限らず、常に営業活動を行い続けなければいけない典型的な自転車操業モデルになっていました。でも当然ですが毎月のコストは一定でかかり続けるので、すごく不安定で脆弱な事業体でした。
リーマンショックの際はこの90%のプロモーション案件に一気に影響がでたのでどうにもならなくなってしまったという状況です。

このため、反省を活かして固定の運用案件の受注数を増やしていくことにしました。これは広告代理店経由では受注しにくい案件だったので、そのために異なる販路を増やしていく必要があったし、プロモーションに必要な人材とは別のスキルの人材の採用も行っていったということにもつながっていきます。沖縄オフィスができたのもこの流れです。
まだまだ道半ばではありますが、おかげさまで現在は固定運用案件の数も増え、事業としては随分安定してきていることもあって安心して社員も増やせるようになりました。

固定運用案件とスポットの流動案件の比率のバランスにはどちらかだけに極端に偏ることがないように気をつかっています。D2Cdotの良さのひとつは『広告賞もとれるようなプロモーション案件の質の高さ』と『大型のメディアも運用できるようなPDCA力と安定性』を同時に兼ね備えていることだと思うので、ここは今後もブラさずに進めていく必要があると思っています。

上記の通り、これまでやってきたことは振り返るといたって普通なことです。ただ、自分で失敗を体験して、改善策を考えて、施策を打ち続けてきたっていう経験はすごく自分にとっての財産になっています。
やっぱり、「言われたことをやるだけ」というのと「自分で考えてやった」ことでは天地の差が生まれると思うんです。

そしてゼロベースから変革させるのはものすごく大変です。
何もない状態からどのように生み出していくのか、現状のままでいいと思っている人たちに理解してもらうにはどうすればいいのか・・・・現在の形になるまでに多くの時間と労力を費やしてしまいましたが、結果として現状のD2Cdotは毎年成長を続けられる会社になっているので、自分で考えてやってきていることは間違っていないんだなという自信にもなっています。

上記の流れを踏まえて会社を運営していくうえで見ているチェックポイントは以前に書きましたのでこちらも参考にどうぞ。

まだこの環境は続きそうですが、苦しいときこそ学びは多いと思います。
僕もリーマンショックを経験していなかったら、いまの自分はいなかったと思います。今回のこの状況からもいろいろ学べることは多そうなので、今後の経営に活かしていきたいと思います。


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