![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/23650313/rectangle_large_type_2_980572d8ca205289f6f01a4886c5462a.jpeg?width=800)
人生、とは何か。映画『天才スピヴェット』監督:ジャン=ピエール・ジュネ
http://spivet.gaga.ne.jp/sp/intro.html
※ネタバレを含みます。
人生とは、
まるで一本の映画か、数冊の小説のようなものか。
『アメリ』の監督、ジャン=ピエール・ジュネ。
劇中、『アメリ』と同じように、映画(主人公、登場人物の、“人生”)について
コミカルな人形劇の様に、メタ認知的解説が入る。
僕の、父さんは、カウボーイ。母さんは、昆虫博士。姉さんは、アイドルになる。
双子のレイトンは、死んじゃった。
レイトンは、カウボーイになるはずだった。
では、僕、スピヴェットとは、誰だ?スピヴェットとは、何だろうか?
父、母の、息子?
姉の、弟?
双子の、兄?
スピヴェット、私、とは、人生、とは、家族・家庭等、所属する集団内での“立場”や
いずれ大人になりなるであろう、“職業”のことなのだろうか。
いや、スピヴェットは、ただ「スズメ(スパロウ)」だったのかもしれない。
旅の、列車が国を横切る時間、車窓からの風景も美しい。
私はスピヴェットを眺めながら、私とは、誰で、私とは、何だ、と思考が現れては、過ぎ去る。雲がただ、流れていくように。朝が来て、また夜になる。
スピヴェットは家出を成功させるために警備員から逃げ、眠くなったら眠り、腹が減ったらホットドッグを買いに行く。
そう、それが、人生。感じたことを、シンプルに、ただ、やればよかった、のだ。
人生、では、ホットドッグが体には良くなくても
食事を自分で作らなくても、自分の金ではなく他人の金で買っても、いいのだ。
職業、カウボーイでも、博士でも、アイドルでも、警備員でも、修理工でも、天才科学者と呼ばれる、でも、なんでも、いい。
あなたの、好きなもの、がいい。
そして、迷惑をかけても、いい。人に助けてもらって、いい。特に子どもなら、子どもとして大人に構ってもらって、いい。
そして、松の木のように、自らの葉に保温力が無くても
ここに居たいのなら居ていいと、越冬のスズメに言っていい、のだ。
松の木の“おはなし”が嘘だとしたら。嘘をついても、嘘の話でも、もし、あなたがそれを「素敵だ」と思うのならば、それを、そのままに、して。
そのままで、いい、ではないか。
全ては、自由であった。自由に選択し、人生を創造せよ。
それに気づく、時、
子どもであっても、大人であっても
「家出が必要であれば、するべきだ」
家出少年だったスピヴェット、は、そうして、科学者になった。
スピヴェットは、家出した。科学者になるために。
家出、もしくは旅の準備を。
あなたとは、誰だ(現在)
あなたとは、何だ(未来)
家出。家族、親と離れようとも。自分の人生を生きよ。
自らの運命を、決め(選択せ)よ、その感覚は、大袈裟なものではなく
人生は、ただの、死ぬまでの“暇つぶし”である。
レイトンのように、罪もなく意味もなく死んでしまうことだってある。
運命とは、意味づけするようなものではなく、ただ、選ぶだけだとしたら。
必要ならば疑え。人生とは、暇のつぶし方を、ただ、決めることなのかもしれない、と。
私とは、誰か。私とは、何か。
大切なのは、立場や、職業ではない。家族がいるかどうかでもない。
死ぬまでに何をしていたいか。好きなことは、何か。
スピヴェットが、科学を好きだったように。
そして家出の途中に出会ったあの人のことを、たまに、大切に、思い出せば、いい。
さあ、何をして、生きようか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?