「見る」と「得る」
『ブックショートアワード』で月間賞をいただいた『四諸茶々村拾遺』に同賞受賞者の方々からうれしいコメントをいただいた。
楽しんでもらえたならよかった。細かな部分にも気付いてくださっていてうれしいな。
🧋
ずっと気になっていた『ミス・アメリカーナ』と『RBG 最強の85歳』を見る。
テイラー・スウィフトもルース・ベイダー・ギンズバーグも戦いの人だ。
二人とも言葉がしっかり届けられる人であり、何よりチャーミングなのだ。
障壁すらも糧にして、身を削りながら戦い続ける人はかっこいい。私ももっとたくさん勉強しなければならない。
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この日記にはあまりマイナスなことは書きたくないが、昨日あまりにも悲しいニュースが入った。
好きだった雑誌で、あまりにも酷い事件があった。
擁護できようもない、紛れもない「加害」だ。
その後の対応や文書も納得がいかない。
このニュースへのコメントで「意識のアップデート」という言葉を何度か見かけた。
しかし「意識のアップデート」ができてるできてないの問題ではないと思う。
そもそもそのアップデートの最新版とは何なのだろか。ソフトウェアのように各自に同じものが配布される訳ではない。
ひとりひとりが生まれ育って学び得たものが反映され、それぞれの形でアップデートされていくものだ。
だけど自分の手の届く範囲の知識や経験だけではどうしても得られないものがある。
だから本や映画が存在する。住む場所も年代も全く異なる生き方をしてきた人たちの経験をそこで「見る」ことができる。だけど「見る」と「得る」は違う。
対象を見た上で自分の中で考え育て続けること。それが得ることに繋がる。
私はびっくりするほど狭い世界しか見えていなかった。だからこそこれからもたくさん見てたくさん考えなくてはいけない。
私の意識はまだまだ最新版ではない。
むしろ「最新版になった」と思ったらその時はもう「見る」ことしかできない人間になっていると思う。
なんだかごちゃごちゃと書いてしまった。
まとまりがなくて申し訳ないです。
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