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『スウィング・キッズ』をもう一度

最近色んな二番館や名画座で『スウィング・キッズ』が上映されていることを知った。

こんなにわくわくする予告編は久しぶりだった。
コロナ禍になる前に滑り込みで見ることができて本当に良かった映画だ。

つい先日もせともも氏が『スウィング・キッズ』の記事を出していた。
戦争とその戦禍を生きた若者への思いが綴られた素晴らしい記事だ。

戦禍に夢を抱きながらも情勢に抗えず夢破れていく若者たち、というのでふと先日見たNHK Eテレ『日曜美術館』の「無言館の扉 語り続ける戦没画学生」を思い出した。

徴兵され帰らぬ人となった若き才能たちが残した絵を修復し続けることで次の世代に戦争の傷を伝える、素晴らしい回だった。

話が逸れてしまった。
ちなみにせともも氏の記事には韓国ドラマ豆知識まであって大変勉強になった。演技ドルなんて言葉があるんだね。

『スウィング・キッズ』はまさにその演技ドルの筆頭と呼ばれている、主演D.O.演じるギスのダンスの熱量がほとばしっていた。
演者の身体性とそれを的確に切り取る演出によって、しっかりと練られた脚本が活きる。素晴らしい映画だ。

主要キャラクターは国籍も言語もイデオロギーも違えどそれを飛び込えた会話をする。
そこをコメディ的に描きつつも、彼らは言葉でなく、ダンスで対話出来ることを示す。
ジュネーブ条約で生ぬるく守られた立場でありながらも収監されていることへの矛盾や不満を描く様子はビリー・ワイルダーの『第十七捕虜収容所』を思い出した。

イデオロギーに振り回されるギスは素直になれず悪態ばかりつく。
しかし図らずもダンスチームの仲間であるビョンサムに褒められた時、顔に出てしまう所が良かった。

時代は違うはずなのに何故か頭の中に鳴り続けるくだりで流れる音楽がデヴィッド・ボウイの『Modern Love』でボロボロと泣いた。
このシーン以降は完全に抵抗不能になり、涙を流しながら映画の行方を見守った。

この『Modern Love』はレオス・カラックス監督の『汚れた血』で流れる曲だ(大根仁監督のフジファブリック『夜明けのBEAT』の元ネタにもなっているしノア・バームバック監督の『フランシス・ハ』などの色んな映画で引用されている)。

このシーンは明確に『汚れた血』へのオマージュだ。
打ち明けられない本当の気持ちをダンスという身体表現にぶつける。
鬱屈とした不満や怒りを言葉でなく踊りで体現するのだ。
『汚れた血』では主演のドニ・ラヴァン1人の衝動だが、この映画ではギスとパンネの2人の対話として描かれる。

2人は別の場所にいながらも画角は向き合いながら踊る。
しかしある一点で同じ方向を見て、同じ方向に走り出すのだ。
だけどこのシーンはあくまで彼らの想像や願望が溢れ出たものなのだ。
ここで『シング・ストリート 未来へのうた』の体育館でのPV撮影シーンを思い出した。

何故踊っちゃいけないのか、そして何より何故踊りたいのか。
それはパンネの「Fuckin' Ideology」に集約される。

そのむきだしの怒りは師であるジャクソンにも引き継がれる。
そして、この映画はただのスポ根青春映画では終わらない。
その後に起こる悲劇もしっかり描く。

この少し前のシーンで、ギスが死んだ兵士を埋める時に、撃たれて穴の空いた足を痛々しげに見つめていた。
だからこそのあの展開は「なんて酷いことを…」と絶句した。

最高の舞台の後にジャクソンの頬に当たる光。
あれは誰の靴だろうか。
その前に挟まれるタップシューズを貰って思わず笑顔を見せる人物を思い浮かべる。

最後のダンスと共に流れる音楽でまた涙した。
こんなにも雄弁に音楽が語る映画は久しぶりだ。
力強い意志と、スウィング・キッズたちの足捌きがまるで応援歌のように私の背中を押す。
もう一度見たいな。見に行かなくては。

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