シュガー

東京は多摩エリアで動画を制作しています。屋号は”地域と映像”。 街と一緒に自分の制作を…

シュガー

東京は多摩エリアで動画を制作しています。屋号は”地域と映像”。 街と一緒に自分の制作を発展させていきたいと思っています。

最近の記事

【雑記:花束みたいな恋をした/川沿いで昼寝しながらあれこれ考える】

上記の結構話題になっている映画を見た。 だいぶん久しぶりに映画館に行ったのだ。 若い子たちがいっぱいいて気後したがまぁそれはいい。 ひそひそささやく声も映画がかかり出すとすぐ消えた。 いろんなところから聞く感想やそのタイトルからしても なんとなく、個人的には喪失の喪失感 (ああもうこんなものを私は失ってしまったなという感覚 を失ってすらいないなあぁ・・) をたくさん味わうことになりそうだと思っていたがそうでもなかった。 舞台になっているのがうっすら多摩ということも あってそ

    • 家族に対する疑問(モヤモヤ)

      僕が語って良いとも思わないんだが家族に関する疑問、モヤモヤがある。 電車に乗ってる子供連れのお母さん。 ほんとに大変そう。 よく泣く子供をあやして、ほんと一生懸命頑張ってる。 なんかいろいろやってあげたい気持ちになる。よくひとりでやってるよな。むしろこんなのひとりでできるわけがない。 と、思うのでこんどはお父さんの出番だ。 もっと父親が育児に参加するのが良い・・・ もちろんそれで良いと思う。 だけどちょっとそこにも疑問があって。 なんかさ、お父さんもお母さんも、 それぞ

      • 世界で一番美味しいかつざわのカツサンド食べながら僕がなぜモヤモヤを描きたがるのか考える

        青梅線中神駅からすぐのブックカフェ マルベリーフィールドのカツサンドはとても美味しい。 本当に。幸せな気持ちになる。 新刊で買った山本文緒の「自転しながら公転する」 読む前から傑作の予感がする。もはや読まなくても 満足。むしろ読みたくない。 _ _ そんなことはどうでもいいのだが、このところ 僕がいろいろと注力している人の”モヤモヤ”を めぐる活動についてあれこれ言われる機会が増えた。 やれお前は暇だとか道楽だとか。 そんなことは放っておけばいいのだが、 ここらでなぜ、

        • 薬を飲むのをやめた日

          高校生の時にいろいろあって、 心の不安な時にお腹の調子が悪くなるのが 止まらなくなった。 それ以来ずっとこころの薬を服用し続けてきた。 のむと不安が和らぐというか、気持ちがすこし 高まる。 人と話しやすくなるようなイメージがあって、 他人と合わせるのには良いような気がしていた。 しかしこのコロナ禍を機に服用をやめた。 もともといまの働き方をしだしてから、 自分のペースでうごいたり物を判断することに 自信がつき始めていて、あまり無理に人と 話を合わせなくても良い気がしていた

        【雑記:花束みたいな恋をした/川沿いで昼寝しながらあれこれ考える】

          愛していると 言ってくれ

          本日の多摩エリアの学びの場〝テイプスクール〟    オンライン授業のテーマは内省。 各々のやりたいことにフォーカスを当ててそこに 深く入っていく。手探りの進行でかなり戸惑ったが 得るものはあった。 僕のやりたいことは大袈裟に言えば、今の自分 から見える社会のいろんな思いや関係を可視化したい。 そんなことを少し話した。大事なのはその少し後の話。 シュガーはこの街のことを愛しているんでしょ だからどう愛されるかが課題。 そんなことを言われた。とても当てはまっていて じつは

          愛していると 言ってくれ

          手癖のようなものの直し方

          自分の癖のようなものをわかっていながら直せない時がある。 先日そんなことはよくないと人に諭したばかりなのに、 自分がそれをやってることに気づいた。 なぜやってしまうのだろう…無駄に自分を よくみせようとしてしまったり。イライラをぶつけてしまったり。 それはほぼ自覚がなくて、癖なのだが、どうも努力で 解決するのとは違う要素が必要な気がする。 なんでそれをやるか・・・嫌々ながら掘り下げてみると、 それは誰かに好かれたかったり、自分に自信がなかったり、 大抵は酷く個人的な自分の

          手癖のようなものの直し方

          やさしくなりたい/することへのモヤモヤと種を撒くこと

          僕がどうも人に優しくできないのは、 あまり自分に自信がないことと、 長いこといろんな場面で人に従順でいすぎたから。 何かしら表現の世界で生きたいと、無力ながらずっと思っていた。 そう思って働こうとしたいくつかの場所は、あまり人格を 育むのに良い場所ではなかったと思っている。(そういえば 少し前にある会社の社長がパワハラで訴えられたことがあったけど、 ちょっとだけそこで働いていたこともある) ものすごく高圧的な物言いをされたり、殴られたり、 理不尽な理由で職場を離れたり、あ

          やさしくなりたい/することへのモヤモヤと種を撒くこと

          成功した人の話を聞くことのモヤモヤ

          最近世相が見えなくなって来ているな、と思って参加しだした 多摩エリアのクリエイティブの学びの場”TeiP SchooL”で感じたことが あるので書き記そうと思う。 昨日受けたのはオンラインスクール2回目の講座で、 及川さんという八王子で大活躍している方のお話だった。 彼の様々なプロジェクトを発展させて来た経緯を主に聞いた。 資料も見やすくてお洒落でお話もうまい。とても素敵だった。 そういうお話を聞くことってとても楽しい。 プロジェクトの広がりを感じていくのが我がことのよう

          成功した人の話を聞くことのモヤモヤ

          時々は死にたくなるという話

          この頃はじっとしていることもあるので、色々と考える。 ある意味でこれほど長い時間、じっとしていることも人生でないような気もするのでこれはこれで良いのかもしれない。 ふと昔住んでいた街に足を運んだ。 生きることがそんなに得意ではないということに気づかされたあの頃。 こうやって時々足を運ぶことで原点に戻る。 この場所に犬がいた。結構人懐こい犬だった気がする。 人も犬も今はいない。覚えているのは僕だけかな。 僕が地域に目を向け始めたのははっきりと、”都会には負けた”という意識

          時々は死にたくなるという話

          「天気の子」展と、いろいろ思ったこと

          「天気の子」展の松屋銀座。 最終日間近の銀座には思うよりもずっとお客さんが来ていて それこそ、そこだけ全然銀座じゃないような感じで若者があふれていた。 じっくり見たりワイワイ見たり、いろんな人がいたが 一つの映画からみればそれは何よりの祝福であったと思う。 あんなにたくさんの人が一つの映画について語る場。 それは映画にとってとても幸せな場所だ。 新海さんの作る映画にいつも多分に影響を受けているつもりだが 今回もまた、非常に刺激的な作品であったように思う。 彼は日本の、

          「天気の子」展と、いろいろ思ったこと

          お金や価値の見返りについて

          お金について、僕の仕事を高いという人がいる。 僕はまったくそうは思っていない。 また僕が無料またはそれに準ずるような価格で 何かをするとき、それは必ず他の価値として ”返ってくる”と思っている。 無償の愛とか奉仕の精神ではなく、僕は見返りを必ず求めている。 . 過去に無料もしくはそれに近い形でいいように、 利用したりされたりする人をたくさん見てきた。 また自分もそのような形で利用したりされたりしてきた。 そういう暮らしが非常に長かったので、もうそれに飽きた。 . 安くやっても

          お金や価値の見返りについて

          物語をものがたれる年に

          昨年は自分にとっては果たしてまったく経験の無いくらい大きな変化の年であった。 全く何も経験のないところから、これだけの数の仕事を受けてまがいなりにも映像制作者としてやっています、と人に言えるほどの何かになれるとは去年の今頃は正直まったく思っていなかった。 よくやりたい事が何かが大事、という言葉を耳にするが自分の場合はやりたい事は全然うまく出来なくて、ほとんどもうこれしか出来ない、という夢のような選択肢を潰して潰してというところからの道の選び方であったので、そういう道の選び

          物語をものがたれる年に