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時々は死にたくなるという話

この頃はじっとしていることもあるので、色々と考える。
ある意味でこれほど長い時間、じっとしていることも人生でないような気もするのでこれはこれで良いのかもしれない。

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ふと昔住んでいた街に足を運んだ。
生きることがそんなに得意ではないということに気づかされたあの頃。
こうやって時々足を運ぶことで原点に戻る。

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この場所に犬がいた。結構人懐こい犬だった気がする。
人も犬も今はいない。覚えているのは僕だけかな。

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僕が地域に目を向け始めたのははっきりと、”都会には負けた”という意識が
あって、こんなにたくさんの人たちと、物凄い速いスピード感で関わっていくことはできない、という感覚があった。
自分の帰る場所に戻ってきたときに、人の顔がゆっくりみれる場所で生きることの安心感をはっきりと感じた。
なかなか上手くいくこともないけど、その延長線上に今も生きている。

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僕も気づけばかなりの大人になっていて、周りを見回して幸せな家族を見かけると、優しい気持ちになったり反面ものすごく死にたくなったりする。
というかとんでもない欠落をよく感じる。
人と比べるべきじゃない、わかっているけどなぜ、こんなにあの人やこの人が持つモノを自分は持っていないのか。いつどこで間違えたのか。

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ひとつひとつ、紐解いていけば理解はできるんだけどな。
いつも自分と向き合うのはとても難しい・・・
自分と誰かを比べたら死にたくなるのはしょうがない。
それを何かに肩代わりして、まぁいいかと思えないほど欠落があるから作ることでそれを埋める。埋めた気になる。埋まらないからまた作る。
そういうことの繰り返しが自分にとっての創作なのかもしれない。

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だから自分の一番やりたいことって多分それは、
何か社会に対してより良いサービスを提供したり、pdcaを回すようなことではなくて、何か人の持つ根っこの感情のようなモノを掬うこと。
そういうことに興味があるしやりたいんだと思う。
ああこの人はいまこういう気持ちなんだって。それで生きているんだって。

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ああもう死んでしまいたいって人と会うたびに思うけど
その死にたいって詩になるから書いたほうがいい。
坂口恭平さんもよくそんなこと言ってる。

だから結局つくるんだろうな。
時々なんのために作るのかわからなくなる時もあるけど。

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