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愛していると 言ってくれ

本日の多摩エリアの学びの場〝テイプスクール〟   
オンライン授業のテーマは内省。

各々のやりたいことにフォーカスを当ててそこに
深く入っていく。手探りの進行でかなり戸惑ったが
得るものはあった。

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僕のやりたいことは大袈裟に言えば、今の自分
から見える社会のいろんな思いや関係を可視化したい。
そんなことを少し話した。大事なのはその少し後の話。

シュガーはこの街のことを愛しているんでしょ
だからどう愛されるかが課題。

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そんなことを言われた。とても当てはまっていて
じつはまだ心に衝撃のようなものが残る。



愛することはできる。どこまでも自分の力で
それはコントロールできる。現に今も、街のことや
街に生きる人の暮らしを変わらず愛していると言える。
これまでもこれからも、住む街暮らす街への
気持ちは変わらないと思う。
それはいろんな世の中を拙いながら僕なりに見て、
この地域に戻ってきた時に感じた安心感が大きい。

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生まれ育った街は僕を否定しない。
そういう気分や、街に生きる人達とのなんでもない
触れ合いのようなもの、それはラジオの取材を
通した経験が、僕に安心感を与えてくれる。
それと誰もいなくなった時に自分を励ましてくれた
人以外の生き物たち。木や花や鳥や虫や、
身近にいる命の心強さにやはり励まされたこと。
そういう気持ちが愛することに繋がっていると思う。

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けれども、愛されることはコントロールできない。
他人に何かを期待することは、いつも何をやっても
不安だと思う。これだけやったら、これだけやっても。
見返りを求めて決して返ってくることはなかった日々に
今もおびえる心すらある。

てこずっているのだ。
自分と相手、街や社会とのギャップに。

だからもう期待をしないことに決めた。
そう思って今も生きている。

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それは愛することと同じこと。

自分でコントロールできる範囲に世界をとどめること、
とも言えるのかもしれない。
その世界はだれも…僕のことを邪魔しない。

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けれどもそれは、幸せなことであろうか。


愛されること…もし、そんなことが
可能なのであれば…一度くらい愛されてみたいものだ。
それが多分、僕の本音だ。

夢があるのだ。沢山の力と熱意ある人たちと共に、
世の中を変える物語を描くことを。
だからいつもどこかで遠巻きに見てしまう。
団結しているように見える組織や集いや仲間たちの
姿を。それはだれも邪魔しない世界にいるよりも
おそらくは…楽しい。

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街を愛しているんでしょ。
だからどう愛されるかが課題。

もう一度あの言葉を呼び出してみる。
愛される…そんなことができたらいいなと思う。

どうしたらいいのだろう。
街や人がどうしたいのか言ってくれたら、
きっと楽だ。でも誰もきっと言わない。

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いつもそれがわからない。みんな何かを隠して、
生きているような気もするのだ。
それを取っ払うような
表現をいつも心がけているつもりだけど…
〝愛していると 言ってくれ〟

誰もいないところで、
ひょっとしたら自分はそう
叫び続けているだけなのかもしれない。

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どうしたら…愛されることができますか?

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