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ドーナッツの真ん中を太陽で埋めた


アーティストの役割とは

昭和の高度経済成長期で
みんなが科学と経済の進歩の方向に向かっている最中、
真逆の縄文的な力の重要性を主張したのが岡本太郎だった。

(岡本太郎作「太陽の塔」)

そして今や縄文の重要性は広く知れ渡るようになった。

そして現代、
今を生きるアーティストは何を表現すればいいのか?

「現代に足りないものを美の力で補う」のが
アーティストの仕事であるならば、
現代に足りないものはなんなのか?
それをどう表現すればいいのか?
そこを掘り下げてみましょう。

化学と縄文という
もう両極端は既に表現されている。

だったら次は「ど真ん中」
表現するべきではないでしょうか。


真ん中の空洞化

みんな真ん中があるように見えて
実は真ん中が空洞になっていませんか?
ドーナッツのように、真ん中がポカンと空いていませんか?
「灯台下暗し」状態になっていませんか?

正直、そんな人を僕はよく目にしますよ。

ブランド品や受賞歴や他人の評価を振りかざす人などはそれの典型でしょう。
世間体で自分を誤魔化し続けた成れの果てが、
「真ん中の空洞化」です。

中身が空っぽ、真ん中が空っぽなのをさらけ出し、
「助けて!」と叫んでいるように僕には見えます。

暴走族が大きな音を鳴らして夜道を走るのは
みんな「俺たちの真ん中を誰か埋めてくれよ!」と叫んでいる悲痛の叫びなんです。

ヤンキーが態度でかくなるのは
自分の真ん中が空っぽなのを気づかれたくないから威嚇しているんです。

真ん中を埋めたくて、
お金を稼いだり、
ブランド品を買ったり、
宗教にはまったり、
本を読んだり、
アイドルやアーティストを応援したり、

真ん中を求めて外の世界からインプットしようとするが、
そこには純粋なものもあれば不純なものもあるので、
どうしても疑いが入ってしまい、
安心して真ん中に置くことができない。

どれを真ん中に据えればいいのかわからない。

そんな不安に駆られながら、
揺れ動きながら、
迷いながら、
真ん中を探しているのが
僕たち現代人である。

そんな「真ん中不在の時代」なら、
僕が
「真ん中の定義」を
「真ん中の正解」を
「真ん中のあるべき姿」を
芸術家として見せるべきではないのか。

それが芸術家としてのやるべき仕事であるように思います。


真ん中不在の時代

真ん中を知るためには
両極端を知る必要がある。

僕の中には
天使も悪魔もいれば、
仏様も鬼もいる。
地獄もあれば天国もあるし、
鬱もあれば歓喜もある。

仏教で言う「中道」が
最も正しい選択であると僕も思うが、

今は全部Yes or No、プラスマイナスの2極化だけで物事が進んでいってしまっている。

本来は2極化できないものだし、同時にあるものだし、
それを両方包み込んでこそこの世界ではないか。

両方抱きしめて、
愛し合って
手を取り合うことこそが
この世界であり、
それを実感するのが生きることではないか。
僕はそう思うんです。

両方なきゃダメなんだ。
両方を味わえないとダメなんだ。
そうしないと真ん中が不在になってしまう。

両方知れれば自分の真ん中が見える。
つまりそこに自分が本当の自分がいる。

真ん中を他の誰かの借り物で埋めてはいけない。

真ん中は必ず自分が絞り出した答えや、
体験したり感動したことや、
強烈に魂の奥底から突き上がってくるようなものでなくてはいけない。

そうしないとずっと人生ぶれてしまうことになる。
だからブランド品で武装するんだ。
だからずっと不安なんだ。
だから自分のことしか考えない小さな人間になるんだ。

みんな真ん中を他人に依存しすぎなんだ。
みんな真ん中を軽視しすぎなんだ
みんな真ん中ががら空きなんだ。
みんな真ん中のセキュリティーが甘すぎるんだ。
真ん中こそすべての中心であるからこそ1番真剣にならないといけない。

1番真剣に計画をし、戦略を練り、建築し、最高の球体にし、磨き続けないといけない。

じゃあその最高の球体を作るには? 
それを見つけるにはどうすればいいのか?


真ん中を見つける方法3選


1 両極を体験すること

両方を体験できないと真ん中を知ることはできません。
好きなことと嫌いなこと、好きな人と嫌いな人、上手と下手、上手いと不味い、熱いと冷たい、
発散と凝縮、みんなと孤独、世界と日本、などなど。
どちらか片方だけでは真ん中は見えてきません。

好きなことがあるなら、
あえて逆のことも一度やってみることです。

別にずっとやる必要はなく、一日や2週間だけでもいいんです。
「真逆をやってみる」ということが重要なんです。
やってみると気づくことがありますので。

僕は芸術家になろうと思ったので、
だから真逆のサラリーマンを4年しました。
今ではその体験が宝になっています。
だから芸術家としての真ん中をしっかり意識できています。

ぜひ両方を体験してみてください。


2 自分のルーツとしっかり向き合うこと

自分が本当に好きなことはなんなのか、
ずっと楽しめることはなんなのか、
子供の頃に好きだったことはなんなのか、
このような質問を自分に投げかけてみてください。
思いつき次第紙に全部書いてください。
紙に書かないと整理できないし夢も叶わないし自分としっかり向き合うこともできませんので。

とっておきの質問をします。
次の質問の答えが自分のルーツを見つける手がかりになると思います。

「あと半年で死ぬと言われたとしたら絶対やっておきたいことはなんですか?」


3 自分が感動したものを突き詰めていくこと

バカみたいな話ですが、
僕は12歳の時にハリウッド映画に感動したからという理由だけで
劇団に入団し、ハリウッドに移住し、オーディションを受けまくり、映画制作に携わってきました。

どんな小さな感動でも、本人からしたら天地がひっくり返るような出来事です。
その感動を大切に育てるんです。
「うわあすごい!」「かっこいい!」「ステキ!」「私もああなりたい!」「やべえ!」「なんだこれは!」

そんな体験は誰しも一つや二つはあるでしょう。
それをすぐに諦めてしまうのではなく、
育てるんです。大事に守るんです。

「ハリウッド映画最高すぎる!僕もハリウッド俳優になりたい!」
「いやいや無理に決まってんじゃん」
「いやいややってみなきゃわからないじゃん。みんな誰も始めは素人だったんだし。できる一歩からやってみよう」

そんな風に僕は自分に言い聞かせてこれまでやってきました。
ハリウッド俳優の夢は叶わなかったけど、
あの時挑戦できたことは自分をいつも勇気づけてくれています。

だから「感動の出会い」は絶対に捨てないでください。
そこに自分の真ん中のヒントが詰まっていますから。
というか感動したということは自分の真ん中に出会ったということでもあると思います。

まずはこの3つから意識してやっていくと
自分の真ん中が少しずつ見えてくるはずです。

真ん中見つけて早く安心しましょうよ。


真ん中には太陽がある

太陽の光を虫眼鏡で一点集中させると火が発生しますよね?

あれと同じで、
一点集中して真ん中ができるとそこから火が発生するんです。
その火はキングダムの李信の言葉を借りれば、
「命の火」であり「思いの火」でもあるんです。

僕はその火を「太陽」だと思っています。

自分の真ん中に太陽を作りましょうよ。
そしたら人生めちゃくちゃ楽しくなりますよ。
人生は本当はなんでも思いのままなんだ、
ということを身をもって実感しますよ。

綺麗事のように聞こえるかもしれませんが、
真ん中に太陽を持っている友達は皆賛同してくれます。
体感として知ってるんです。

そして本当はみんな真ん中に太陽があるんですよ。
それを忘れてるだけか、
見ないようにしているだけか、
蓋をしているだけか、
何者かにブロックさせられているか、
なんか理由があってポカンと空いているように感じるだけで。

だから「思い出す」というのが
正しい表現なのかもしれませんね。

真ん中不在の時代だからこそ、
自分の真ん中を見つけていきましょう。

それでもわかんない人は近くの芸術家に頼ってみるか、
僕に連絡ください。一緒に考えてみましょう。

それでは今日はこの辺で。
ステキな1日を♪


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