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【第5〜8章 〜路上世界デビュー / 展覧会 / 主夫 / 自由、希望、自信、創造の作り方 〜 】


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【第5章】 〜世界デビュー / 主夫 〜


無料絵画

 時を少し遡り、世界一周旅で路上ワーカーに出会って感動したのをキッカケに、僕自身も路上ワーカーになりたいと思うようになった。
 「僕は路上でなにができるだろう?」
 と考えていた時、イギリスで出会った路上ワーカーが浮かんできた。


 場所はロンドンのトラファルガー広場。
 夕刻、隣のナショナルギャラリー美術館を満喫し、広場でくつろいでいると、一人の男がやってきて、慣れた手つきで小さな赤い絨毯を敷き、路上に座り込み、何かを作り始めた。
 よく見ると指輪だった。
 彼は多色のワイヤーを使って、様々な指輪をどんどん作っていく。
 陳列された指輪を見た一人の女性が立ち止まった。
 投げ銭ボックスの隣にはメッセージカードが添えられている。

 Handmade Ring Free(ハンドメイドの無料リング)
Why free? (なぜ無料?)
1. Everyone will be happy. (みんながハッピーになるから)
2. Nice feeling to make people happy. (みんなをハッピーにするのは楽しいから)
3. No one will be poor from giving. (与えることができれば誰も貧しい思いをしないから)
 Thank you very much. (ありがとう)

 彼女はお気に入りの指輪を選び、
 彼がその場でサイズ調整をしている間に彼女は投げ銭し、
 笑顔と thank you が交差し、
 彼女は去っていった。
 自分ができるギフト(贈与)で、0円から経済を作っている彼の素直さ、その発想力、人間力の美しさ、創造性の素晴らしさに感動した。
 「カッコイイ! 僕もやりたい!」と魂が叫んだ。
 「指輪は作れないけど、絵なら描ける。絵を無料でプレゼントしよう。そうすれば気軽にみんなが絵を楽しめるようになるじゃないか」と思い、やってみることにした。


 絵から陽のパワーが出て、飾る空間が素敵な空間になるように気持ちを込めて。量産できるA5サイズの画用紙を採用し、100枚貯めたところでいざ東京の路上に向かった。
 晴天の土曜日13時。初めての路上デビューの日。
 電車に揺られながら都心に向かっている時、全身が喜びで揺れていた。
 「今、俺は最高だ。最高に生きてる。
  新しい世界を開拓しているこの瞬間、
  これが生きるってことだ。
  これが美しいんだ。
  これが人間の素晴らしさだ。
  これが希望なんだ。
  これが生きがいなんだ。
  これが喜びなんだ。
  これが手応えなんだ。
  これが充実感なんだ。」
 心の中で何度も呟いていた。
 新しいことをやるのはいつも楽しい。それが人間の生きる意味とさえ思うほどに。
 電車を降りて目的地に着き、慣れた手つきで路上に絵をセットしているフリを装いながらも、内心はドキドキしていた。
 しばらくは誰も立ち止まってくれなかったが、一人の女性が止まってくれて、少し話してから絵をもらっていってくれた。最初の一人を終えると緊張が解れ、そこからは自然体で路上に座れるようになった。

 投げ銭は、多い時で合計2万円、少ない時でマイナス50円(電車代を引いて)ほど。
 天候と場所に作用されるが、土日のみ営業で月収10万円になる時もあり、「自分は無一文になっても生きていける」ということを知れたのは自信と勇気になった。
 立ち止まってくれる人たちのリアクションも嬉しいものばかりだった。

  • 「最高だね!」とハグしてくれる人

  • 感動して泣いてくれる人

  • たくさん投げ銭してくれる人

  • 興奮しながら話かけてくれる人

  • 隣に座って話を聞いてくれる人

  • 暖かいお茶を差し入れてくれる人

  • 友達を連れてきてくれる人

  • 絵を額装して部屋に飾ってくれる人

 東京の路上で出会った方々の反応は僕に勇気をくれ、確かな手応えを感じさせてくれた。 
 そこから夢は広がり、これを世界一のアート都市・ニューヨークの路上でやりたいという夢に辿り着いた。


世界デビュー@ニューヨーク

 そして話はジェラート屋に戻り、「無料絵画」をニューヨークでやってみたいと思っていた矢先にニューヨーク出張させてもらえることになった。
 「ニューヨークで無料絵画をしたい」という想いを捨てずに持ち続けた自分を賞賛し、その現実を引き寄せることができた自分を心の中で褒めた。やや強引なこじつけだが、自分にとって最高の養分になるように目の前の現実をどう捉えるかも、希望を作る上で欠かせない技術である。
 300枚の絵を持ってビジネスクラスでニューヨークに行かせてもらい、メッセージボードや投げ銭ボックス用の段ボールは現地調達。
 まずはタイムズスクエアの路上でやってみたが、人通りが多すぎてガヤガヤしている路上なので、無料絵画には不向きの場所だった。
 次はMOMA(現代アート美術館)とメトロポリタン美術館の入り口前でやってみた。アート好きな人が多い場所なのでたくさんの人が足を止めてくれたが、隣でアフリカ彫刻を売る路上ワーカーおじさんに「ニューヨークでは納税者番号(TAX ID)なしで働くと捕まるぞ」とアドバイスを頂いた。
 そして行き着いた先はユニオンスクエア公園。程よい人通りがあり、路上も広いので通行人も絵をゆっくり観賞できる。自分にとっての適切な場所を探し、心地よい環境を作る努力は、仕事でもプレイベートでも大切なこと。


 ニューヨーカーたちのリアクションは素晴らしかった。

  •  感動して強くハグしてくれた学生

  •  隣に座って人生論を展開してくれたお父さん

  •  黙って見逃してくれた黒人警察官

  •  絵のお礼に詩を即興でプレゼントしてくれたアーティスト

  •  お礼の賛美を目の前で歌ってくれたグアム島のシャーマン

  •  「壁画描かない?」と誘ってくれたアーティスト(その壁画は今もニューヨークにあり、彼とは友達に)

  •  「俺のギャラリーで展示会やらないか?」と誘ってくれたギャラリー経営者

  •  「私にお金はないけど、私のコネであなたを有名にしてあげるわ」と言ってくれたアートディーラー

  •  コーヒを差し入れてくれた美人お姉さん

  •  「私のインスタアカウントであなたを紹介させて」と言ってくれたインフルエンサー(紹介されると僕のインスタフォロワー数が80から2200に)

  •  「あなたは素晴らしい才能を持っているから協力させてちょうだい」と言ってくれたキューレター

  •  「お前みたいなクールなやつ見たことないぜ!」と激賞してくれた青年

  •  「俺が住む街は治安が悪いからこんなことをやってる人は初めて見たよ。最高だね!」と言ってくれた黒人

  •  「ニューヨークにはあなたが必要よ」と言ってくれた美人歌手

 みんなアートにフレンドリーだからこそたくさんの感動的なリアクションを頂けた。彼らとの出会いは僕を大きな喜びで包んでくれた。
 「僕は間違ってなかった。これでよかったんだ」
 自分のことがさらに好きになり、自信がついて、勇気が湧いてきた体験になった。


ニューヨークで拍手喝采

 前半(〇〇ページ)で紹介した、ニューヨークの路上でプリント写真を売っているヒロさんと、パートタイムの話をしていた時のこと。
 「私は、ストリート・ヴェンダー・プロジェクト(Street Vendor Project)というニューヨークの路上ワーカーたちを支援する組合に所属していて、そこで月200ドルのパートタイムもしてるのよ。毎月やってるミーティングがちょうど今晩あるからあなたも来ない? いろんな路上ワーカーに会えるから面白いと思うわよ。ご飯も無料で食べれるし」
 僕はすぐ了解し、教えてもらったビルに向かった。そこはワールド・トレード・センターの隣にある立派なビルだった。ヒロさんに1階から案内され、役員や専属弁護士たちを紹介してもらった。僕がここに来た経緯や無料絵画の話などをしたら、彼らは喜んで感心してくれた。
 なんでこんな家賃が高そうな場所で運営ができるんだろう? と思ったので、組織について詳しく聞いてみた。
 ダグ・ラスドンという人が、1984年にニューヨークに住む貧しい人にも基本的人権を尊重する適切な支援や法的措置ができるようにと「アーバン・ジャスティス・センター(Urban Justice Center)」を立ち上げ、火事で燃えたこのビルのフロアを買ったことが始まりだという。
 社内は12個の組織に分かれており、路上ワーカー支援の他に、DV、精神患者、難民家庭、風俗業従事者、若者ホームレス、退役軍人たちなどの支援もしていて、総勢200人以上のスタッフが働いていた。
 路上ワークのためのストリート・ヴェンダー・プロジェクトの主なサービス
 ・路上ワーカーが警察にチケットを切られた時の対処
 ・裁判になった時は専属弁護士やスタッフが無料でサポート
 ・路上ワークに関する法律改正を求めて市長や行政に提案を行う
 ・路上ワーカーの声を政治家たちに伝えるためのデモ活動
 ・毎月ミーティングに無料参加(ご飯付き。同業者との横のつながりができる)
 ・路上ワークに関する最新情報を提供
 サービスを受ける代わりに、路上ワーカーは組合に年間100ドルを支払い、メンバーは2200人以上いるという。
 専属弁護士に聞いてみた。
「なんでこの組織で働くことにしたのですか?」
「路上ワーカーたちだけが働けなくなったり、働く空間が狭くなるのはフェアじゃないからさ」
「素晴らしいですね。ぜひ日本でもお願いしたいです」
「日本は大好きだ。君の活動も心から応援しているから私がサポートできることがあればなんでも言ってくれ」
 彼の机の上にはメンバーたちが警察に切られたチケット(処理済み)が山積みになっていた。
 そして大きな会議室に案内され、そこにはメキシコ料理が並べられていて、100名の多国籍の人たちが夕食を食べていた。
 「今日の料理もメンバーから購入したものなのよ」
 「win-win関係で素晴らしいですね」
 僕も料理を頂き、食事タイムが終わると、いよいよ月一定例ミーティングが始まった。
 まず弁護士が、最新の法律やルール変更のアップデート情報をシェアし始めた。
 「〇〇ストリートと〇〇交差点周辺の取り締まりが厳しくなっているから気をつけてください」
 「ルール改正の提案を市長に提出したから今その返答待ちです」
 「弁護士さん、ありがとう。次は新メンバーの紹介です」
 「〇〇ストリートでタコス料理を始めたシェンです。よろしくお願いします」
 「(拍手)パチパチパチ」
 「新メンバーは以上です。他に誰か話したい人はいませんか?」
 「俺は22ストリートでケバブを売っているんだが、最近工事を始めて騒音も大きく、人通りも少なくなったから他をあたった方がいいぜ」
 「了解、大事な情報をありがとう」
 ・・・
 「今日のプログラムは以上だ。後5分ほど残ってるが、誰か話したいことないかい?」
 と司会者が提案してくれた。
 このチャンスを逃したら絶対後悔する! 陽介勇気を出せ! いけ! 
 僕は素早く手を上げ、司会者に指名され、みんなの前に歩いていった。
 目の前には多国籍100人の路上ワーカーたちがいた。頭の中は真っ白で内心ドキドキだったが、僕は喋り出した。
 「みなさんこんばんは。私は日本のアーティストで、今あなたたちに関する本を書いています。なぜなら、世界を旅してきて、路上で働くあなたたちの素晴らしさに気づいたからです。
 みなさんが路上に居てくれるおかげで、ニューヨークのストリートはどれほど救われていることでしょう。みなさんがいなければ、ニューヨークの路上はどれほど冷たく殺風景な路上になっていることでしょう。
 みなさんが美味しそうな香りを風に乗せ、豊かな色彩を放ち、元気な声を出し、面白いエンターテイメントを作ってくれているおかげで、路上に活気が生まれています。それが通行人に元気を与えているのです。
 みなさんの人間力は素晴らしくて美しい。みなさんは僕の希望でありヒーローです。
 天候やルールなど大変なこともあるかと思いますが、負けずに頑張ってください。
 応援しています!」
 スピーチを終えた途端、拍手喝采になった。ノリのいい黒人おばちゃんたちは「YES!! YES!! FHOOO!!」とゴスペル並みの美声で盛り上げてくれ、みんなもスタンディングオーベーションをしてくれ、会場が一つになって震えていた。
 僕はビックリした。必死に平静を装っていたが、みんなに自分を認めてもらえたような気がして内心はとても嬉しかった。
 「その通りだよ」
 「握手してくれ」
 「SNS教えて」
 「Facebookで友達になろう」
 「名刺くれ」
 「俺をその本に乗せてくれ」
 「ハグしよう」
 みんなが歩み寄ってきてくれた。
  僕は興奮していた。
 「予想を超える出来事が起こるから人生はやめられない。
  だから人生は面白い。生きるってやめられないぜ! 人間って最高だぜ!」 
 この体験は、自分の存在がみんなに認められたような気がして、僕を大きく勇気づけてくれた。これが喜びであり、生きがいであり、やりがいであり、創造であり、生きるということだと、肌身で感じていた。 
 自分の感動を共感してくれる仲間が増え、世界が豊かになっていく瞬間を目の当たりにしたようだった。
 教訓は2つ
 1 幸せになるためには同志や友達とそれに合う環境を探し、見つけることが大事である。
  (自分の考えや感動を分かち合える人と一緒に過ごす)
 2 チャンスを掴むためには準備が欠かせない 
  (原稿と英語の準備ができていたから、僕は最後5分のチャンスを掴むことができた。本のための原稿を書き、メッセージを整理できていたおかげで、即興でも言葉が出てきた。海外生活して英語を話せたおかげで、みんなに想いを伝えることができた。 
 大事な人に会う時、大事なプレゼン、チャンスを掴みたい時、いつか必ずくるその時のために準備をすることの大切さ。原因があって結果がある)
 興奮冷め止まぬまま、2週間のニューヨーク出張が終わりに近づいてきた。
 ニューヨークの体験をしっかり自分の自信と勇気と希望に変えるために、全力で自分を褒めた。
 ・「ニューヨークに行きたい」と想い続けられたこと
 ・その思いを現実にできたこと
 ・ニューヨークに行く前に、路上ワーカーの知り合いがいないかを友人に尋ねていた準備力(そのおかげでヒロさんに会え、ミーティングのスピーチまで繋がった)
 ・多くの人を楽しませることができたこと(無料絵画で500人、スピーチで100人)
 ・流れる運命に身を任せ、信じることができたこと
 ・勇気を振り絞って手を上げれたこと
 ・即興で英語のスピーチができたこと
 ・紀伊國屋ニューヨーク店で自分の本が完売になっていたこと
 帰りの飛行機の中で僕は誓った。
 「また必ずくるからな! 次はもっと素晴らしいものを持って」


都心でのんびり子育て

 ニューヨーク出張後にコロナショックが起きた。
 店長を努めていたジェラート屋事業は廃業になり、僕は職を失ってしまった。そんな中、息子の陽太が生まれた。
 さあどうしよう。陽太が独り立ちするまでの20年間のノンストップ新物語がスタートしてしまった。もう引き返せない。だったらこの物語も最高の作品にしたい。
 三つ子の魂百までと言うように、幼い頃は家族とゆっくり時間を過ごしたいと思ったので、社長にお願いをした。
 「ジェラート事業は無くなりましたが、会社は存続するんですよね? 子供が生まれて育児手当を貰いたいので、会社に在籍だけさせてもらえませんか? 事務処理は全部こちらでやります、一切手間は取らせません。それだけで一つの家族が幸せになりますのでぜひお願いします」
 社長も了解してくれ、妻と僕の二人合わせて月々50万円の育児手当を2年間貰うことができた。
 東京都内で、家族でのんびり育児生活を送ることができた夢のような時間だった。
 「子育てはのんびりしたい」
 父と母がバタバタしながら育児と仕事をしている姿を見て、いつの頃からか自分が家族になる時は、ゆっくり育児をしたいと思っていた。
 その祈りの種が、33歳で花開いた瞬間だった。
 コロナのタイミング、子供が生まれるタイミング、パトロンに出会うタイミングが重なり、時の運が味方してくれた。チャンスを掴み幸運をたぐり寄せることができた自分を誇りに思った。
 「やっぱり人生って最高だなあ。ありがとうございます」と、乳母車を押しながら夕陽の空に向かってつぶやいた。


日本初展覧会

 育休中に僕はもう一つやりたいことがあった。日本で絵の展覧会を開催することである。
 この願いの種は10年前から育てていて、それがようやく花開く時がやってきた。この時のチャンスを逃せば、次はいつになるか分からない。コロナでみんなの気持ちが塞ぎ込んでいる時こそ芸術の力が必要だと思い、東京都内で個展をやることを決意。
 バスケコートサイズ以上ある目黒区美術館の区民ギャラリー会場を見つけ、抽選に当たり、1週間約17万円でレンタル契約した。
 展示図面、キャプション、下準備などは一人で全てやり、設置と撤収時は12人のボランティアスタッフを集め、200作品を一気に展示する展覧会を無事開催することができた。


 「こんな展覧会みたことない」
 「凄いエネルギーが溢れてる」
 嬉しいリップサービスを頂いたり、お花を頂いたり、絵も数枚売れ、黒字で終わったのでホッとしたのだが、僕はここで燃え尽きてしまった。描く気力がなくなり、10年間どんな時も絵を描き続けてきたのに、そこから2年間、ピタッと絵を描かなくなってしまった。
 作ることをやめてしまったら僕は芸術家でなくなるんじゃないかという不安が出てきた。自分のアイデンティティがなくなり、絶望するのではないかと不安だった。
 でも本物の芸術家になるためには「作らない芸術家」にもならなくてはならない。
 生きているだけでも芸術家であるという懐の大きさこそ本物の芸術家である。
 僕は何も描いていないが、家族の愛情を作っている、人生を毎日作っている、子供の未来を毎日作っている。十分に作っているではないか。そう思うことで自分を納得させていた。
 頭ではそんな風に理解していても、身体は育児で疲れ果て、新作を作る体力は残っていない。何も作れていない自分に憤りを感じ、気持ちが沈んでいった。
 そこから2年が経ったある日、友人の紹介で松田さんに出会った。
 彼は大手外資IT企業のアジアでは一人しかいない役職を持つエンジニアで、東京オリンピックのドローンパフォーマンスの責任者でもあった人だった。
 松田さんは、僕の活動に感動してくれ、励ましの言葉をかけてくれた。
 「絵描きましょうよ! もったいないですよ!」
 欲しかった言葉を頂いたような気分だった。こうゆう時は素直に従う、僕は家に帰ってすぐに押し入れから画材を引っ張り出し、2年ぶりに絵を描いた。絵の具は埃を被っていたが、心の埃はスーッと落ちて綺麗になり、気持ちがスッキリして元気になった。
 この体験がキッカケとなり、2年間の燃え尽き症候群のスランプから抜けることができた。そこからはなんでも楽しくなり、それに呼応して今までになかった新たな風が吹き始めた。
 ・「無料絵画を映像にしたらバズると思いますよ」と松田さんに言われたので、映像を制作しTiktokにアップしたら、16万再生されバズりを体験した
 ・友人の紹介でgoogle homeのweb CMに出演させてもらった
 ・国連主催のイベントで路上ワークについてオンライントークさせてもらえた
 ・ネットフリックスのアメリカ本社の偉い人と原宿でラーメンを食べた
 ・200人の前で講演させてもらった
 ・弟子ができた


主夫になる

 会社の会長だった妻の父が亡くなった。そして新しい選択肢がやってきた。
 1 妻が主婦になり、僕が働く
 2 妻が家業を継ぎサラリーマンとして働き、僕が主夫になる

 家族会議の末、次の理由で2を選択した。
 ・ 世界で妻にしかない権力(会社継承する権利)は、一度体験した方がのちに後悔
   しないため。使えるものは全て使う精神
 ・ 創作の時間が取れるため
 ・ 主夫は珍しいため(珍しいからこそ新しい世界が見える)
 ・ 子供のため(活発な息子なので、若さと運動神経が必要なため)
 そして僕が、掃除、洗濯、料理、弁当作り、送迎、買い物などをやる生活がスタートした。
 完璧主義の妻を毎日満足させることはできずよく怒らせてしまうが、僕ができる限りのことは精一杯している。
 しばらくすると、また次の選択肢がやってきた。
 1 東京で生活するか
 2 栃木県の那須に転勤し、生活するか
 日本の自然豊かな場所で、生活し、子供を育て、創作したいと思ったので2を選択した。
 送迎中に毎日山と田んぼと木々の豊かな緑を見ながら運転し、休日は息子と自然豊かな公園で遊び、時間を見つけて原稿を書く生活が始まった。それは自分が父になったら送ってみたい理想の生活だった。

 主夫の教訓
 ・主婦の素晴らしさがよくわかった
 ・もっと優しくなれた
 ・男性が子育てにもっと関わらないといけないことがわかった
 ・子供に対する親の影響力の大きさがよくわかった


お金と芸術

 お金がずっと芸術家たちの才能を殺してきた。僕も散々お金には苦労したし、今もしている。少しでも早くお金から自由になりたいと心の底から願っている。
 僕はお金や働くことよりも自分の中の神秘に長い時間を費やしてきた。とはいえ、生きていくためにはお金がいる。
 自分で稼ぐか、パトロンを探すか。
 僕は両方を追った。アルバイトやサラリーマンをしながら、お金持ちの人には作品を見せていた。
 自分で収入源を作る試みをしながら、お金を生むのが得意な人を探し、その人に気に入ってもらうことでお金の悩みを解消しようとした。
 そして一目惚れした女性がセレブ一家の一人娘というご縁も重なり、10年間でたくさんのご奉仕とセレブ体験をさせて頂き、そのおかげで世界をさらに深く知ることができたし、お金の心配をせずにたくさんの作品を制作することができた。
 その反面、何を買うにも妻の許可が必要なため、お金の自由がない。
 だから今度は自分で稼いで、お金の自由を掴みたい。
 お金が自分の所にたくさん流れてくるようにするためには、お金を好きになるところから始めないといけなかった。
 (以前)「お金は諸悪の原因。ただの紙切れ。なくていい」
 (以後)「お金はありがたい。お金は幸せ。ありがとう」
 お金を愛し、お札の顔を揃えて渡し、財布を綺麗に整理する。
 そんな心の心境の変化に合わせて、仕事のオファーも投げ銭の額も増えていった。
 芸術で生きていくのはギャンブルだし、狭き門だし、辛そうだし、難しそう。確かにそんな世界でもあるだろう。美術の歴史を勉強してみても、天才ばかりで素人が簡単に踏み込める世界には見えない。
 しかしその考えは世界を旅して変わった。
 教科書にも載らず、美術館にも展示されない市民が作った作品が世界中に溢れていたからである。杖、鏡、服、柱、船、お面、壁画、彫刻など、美術館でセキュリティ完備の傑作と引けをとらないほどの作品が路上で剥き出しに売られているのをみて思った。
 「世界を進化させるのは天才たちだが、世界の創造と美を支えているのは名もなき市民たちじゃないか」
 学校で習った美術の歴史は、芸術の100あるうちの1つの側面でしかなかったのだ。教科書に出てくる歴史が、芸術の歴史の全てだと思っていたが、教科書の歴史は誰かが紡いだ一物語にすぎなかった。
 お金にもならず、教科書にも載らない作品の方がカッコよかったり、実は世界の芸術を支えていたりする。
 世界初をしないと芸術家として認められないと思っていたが、そこまで肩肘張らなくても、ただ生きて、自由に作るだけでも、世界の芸術の一端を担っているんだと思えた時、ホッとして心が軽くなった。
 芸術の定義も歴史も時代と共に変わる。だからこそ今を生きる僕たちは、現代のアートを自由に定義できる権利をみな平等に有しているし、アートに限らず、あらゆる定義を覆す自由と権利はみな平等にあるのだ。


インスピレーションをパッケージする

 友人の裕太がアメリカの大学のアートクラスで褒められていた。
 彼は綺麗にラッピングして先生に課題の作品を提出した。それを見た先生は感動して、クラス全員に伝えた。
 「彼はきっと成功するよ。このラッピングが大事なんだよ」
 裕太は照れながら喜んでいた。
 綺麗に梱包され、パッケージすることで、受け取る人はその誠意で嬉しくなる。
 ビジネスも相手は人間。相手が喜んでくれるものを売り、お礼にお金を頂く流れを作れるかが、収入柱を作る要になる。
 お金はエネルギーの流れであり、感謝と共に流れてくるので、人が感謝する商品やサービスを提供することがビジネスになる。
 それは早く見つけた方がいいし、できれば3つの収入柱を作って安定させたい。
 収入源を作ることから逃げると後に苦労するから、早めに始めた方がいいと今になって思う。人付き合いが苦手な僕にとって、それは大きな課題になっている。
 自分のアイディアをどうパッケージし、受け取る人が喜んでくれるものをどうやって作るか。この答えの中に、自分らしく生きるための希望がある。


人生を賭けた大博打

 僕には自信も自由もなかった。
 でも自信がある人に憧れ、自由に憧れた。だから毎日水をあげて植木を育てるように、毎日少しずついろんなことをやってきて今の自信と自由を育てている。昔は人の眼を見て話すことが恥ずかしかったが、少しずつ相手の眼を見れるようになってきた。
 そんな変化していく自分を見てわかったことがある。それは、自分の初期設定は自分で自由に作り変えることができるし、いつでもアップデートもできるということ。この自由が僕は大好きである。
 せっかくこの世に生を授かったのだから、僕は自分の初期設定をわがままに設定してみたい。
 ・人間はなんでもできる
 ・人間はなんにでもなれる
 ・人間はなんでも作れる
 ・夢は全て叶えることができる
 「綺麗事だよ」と人は言う。贅沢と言われようが、欲張りと言われようが、自分が生きることに前向きになるために、自分の初期設定をその都度アップデートする。そうすることで、生命の新鮮さを保ってきた。
 一度きりの人生を一かバチかのギャンブルに賭けているからこそ、この賭けには絶対に勝ちたい。そのために持てる運は全てこのギャンブルに注ぎたいので、不要なものは捨て、シンプルな生活になっていった。
 僕の場合は「お酒」「タバコ」「コーヒー」「牛乳」「肉」「お菓子」「ギャンブル」がそれにあたる。捨てたけどたまに拾う時もあるが(汗)。
 自分の生活の中で捨てていいもの取捨選択する代わりに、欲しいものをより濃度を濃く受け取るイメージで生きている。


自由

 母は「自由」をテーマに育ててくれたおかげで、僕はいつも自由を求めるようになった。
 しかし、物心がついて世の中を見渡せるようになった頃、現実世界には自由がないことが分かって絶望した。ルールと法律と憲法と常識いう見えない柵が僕の生活を狭め、親の眼、人の眼によって監視され、メディアと教育によって思考も柵の中に入れられている。
 この不自由な現実とどう向き合うか。
 1 考えずに飲みこまれる
 2 抵抗し続ける
 3 両方を味わう
 僕は3を選んだ。飲みこまれる10%:抵抗する90%
 3を選んだからには、両方を渡り歩くための作法が求められる。一つずつ分析してみよう。


◆ 表現の自由

 僕がまず渇望したのは表現の自由だった。
 親の顔色を気にしてイイ子ちゃんでいる自分に疲れた。
 いじめられないように友達に合わせて気持ちを表現できない自分が嫌いだった。
 そして演技という表現の自由空間を見つけた。演技の自由には8年虜になり、次は画用紙の中に自由を見つけ、絵の自由に15年虜になり、次は本の中に自由を見つけ、文章の自由に7年虜になっている。音楽は2年目、ダンスは1年目、これからもどんどん表現の自由を見つけていきたい。


◆ 体の自由

 顔、体型、家族、名前、飛べない体、人間として生まれた以上、避けられない身体の不自由は受け入れる。
 その代わりに、「想像」「思考」「表現」などの変幻自在の部分は、徹底的に自由を追求する。そうして心と体の自由のバランスを取る。


◆ 思考の自由

 親、家庭環境、メディア、教育などによる先入観、コンプレックスや体験によって得た心の傷など、さまざまな理由で僕の思考の扉は閉ざされていた。
 思考の自由を手に入れるためには、全ての扉が開け閉めできるようにならないといけないが、本人も自覚できていない扉もある。時間をかけて自分のコンプレックスや葛藤と向き合い、自問自答し、時には他人の力も借りながら、開かずの扉を見つけ、思考の自由を掴み取っていく。
 コンプレックス①「言いたいことが言えない」
 「なぜ言えない?」
 「自分が我慢すれば丸く収まると思うから」
 「なぜそう思う?」
 「元気な妹が生まれ、長男として家族が円満になるために自分の意見を表現せず、イイ子でいたから」
 「それは今も必要?」
 「自分の家族もいて、親とも住んでいないから必要ない。だったら、嫌われてもいいから言いたいことは言えるようになりたい」
 と気づいた時に扉が開き、最近は言えるようになってきた。
 コンプレックス②「自信がない」
 面白い人に出会う度に自信を失っていた。自信が溢れる人に出会うと、自分が小さくみえ、情けなくみえた。自信がない自分を認めたくなくて、必死に自信があるように演じてた。
 自信のある自分になりたくて挑戦した。失敗し、恥もかいた。だけどそのおかげで自信は大きくなっていった。そしてその大きくなった自信にこだわり、執着している自分がいることに気づいた。
 「自信がない自分もいいじゃないか」と許すことができた時、扉が開きふと心が軽くなった。

 自由を阻む扉に気づいた瞬間から解放は始まっていく。扉を開くと自由と希望の光が差し込んでくる。新しい思考の自由が広がっていくのは心地よくて楽しい。


◆ お金の自由

 多くの人がお金の自由を求めている。僕だってそうだ。
 ロサンゼルスの大富豪の家に招かれた時、入口の門は車一台やっと通れるほどの狭い門だった。だけど中には、大きな庭とプールと家が堂々と構えていた。優しくて強そうなお母さん、好青年な息子、威厳があり笑顔が素敵なお父さん、家族幸せそう。提供してくれる飲み物やクッキーもとても美味い。この夢のような家族の幸せはなんだろう? 僕も欲しい! と思った。
 彼らのようなお金の自由を獲得するため、僕は2つを実行している。
 1 自分ができることをやってみる
 お金の本を読む、お金を使う、お金持ちに相談する、お金を好きになる、仕事をする、SNSで収益化を図るなど、自分の手が届く範囲でできることからやってみる。
 2 パトロンを探す
 お金持ちの人と出会った時のワンチャンスを逃さないために下準備が大事になる。インパクトのある作品や写真をiPhoneの中に忍ばせておき、インパクトのあるエピソードとフレーズを家で練習しておく。そしてチャンスがきた時にそれを披露する。
 お金持ちの人は刺激や感動を求めている。それをチャンスの時に披露できるかどうかが大事になってくる。
 お金持ちの人と仲良くなることで、困った時に相談できるのもとてもありがたい。


◆ 時間の自由

 創作に集中でき、好きなことが自由にできる一人の時間がたっぷり欲しい。僕にとっては宝のようなこの時間を捻出するために日々精進しているといってもいい。
 素早く家事を済まし、子供が学校に行き、妻が会社に行っている間が僕の自由時間である。
 今は「不自由な時間70%:自由な時間30%」だが、理想は「不自由な時間10%:自由な時間90%」になりたい。


◆ 人の眼からの自由

 世界3位の森林率(67%)をもつ島国に一億人が住むともなれば、外で人の眼を避けることは難しい。人の眼から自由になれる空間は部屋である。カーテンを閉じ、一人だけの空間を作る。一人カラオケ、一人キャンプ、一人ドライブ、一人旅など、人の眼から離れることができる空間をたくさんもつことで、人の眼から解放された自由空間を拡大していく。
 海外だと自分が外国人になるから、日本にいる時ほど人の眼が気にならないので、海外に行くという選択肢もある。
 「私は人の眼なんか気にしない!」というマインドセットをするのも自由への一歩である。


「自由」 の作り方

 4ステップ
 1 まずは妄想で自由になる
 想像でまずは徹底的に自由になる。自分の想像も制限されていることにまず気づく所からのスタートになるだろう。
 2 情報をかき集める
 想像で自由になるためには情報をたくさんインプットしなくてはならない。ネットや図書館で調べ、実際に体験してみることで情報をたくさん得るように心がける。情報が多いほど選択肢と自由度は増す。
 3 多角的視点を持つ
 物事をひとつの角度からしか見れないようでは自由にはなれない。たくさんの角度から見れる視野の広さが自由には不可欠である。
 4 やってみる
 実践あるのみ。やってみないと自由の手応えは掴めない。全身で手応えを感じてこその自由である。
 演技の自由、絵画の自由、執筆の自由、行動の自由、思考の自由、音楽の自由、踊る自由、喋る自由、彫刻の自由、旅の自由、生き方の自由、まだまだ自由を探す冒険は続いている。
 そして自由に囚われている不自由な自分に気づくのである。
 「不自由」と「自由」のバランスをとりながら人生を味わっていきたい。
 不自由を見つけた時から自由になる。
 不自由に慣れるな。自由を掴み取れ。




【第6章】 希望の作り方


 人生初海外

 中学3年生になった僕は高校進学を迫られた。勉強などまともにしてこなかったので、高校受験のために塾を探すようになった。母が学校のPTA役員をしていたおかげで、評判の高い私塾が近所にあるという情報をゲットした。調べてみると、有名進学高校に合格している生徒を多数輩出し、「あの塾に入ればいい高校に進学できる」と噂されるほどの地元では有名な塾だった。人気塾のため、人数制限のための入学テストがあり、僕は偏差値39で70名中最下位でギリギリ入学できた。
 そんな塾を運営する塾長は、今まで出会ったことのないタイプの大人だった。
 バイクでアメリカ横断、ヒッチハイクで日本一周、世界90カ国旅したことがあるガッリした身体の50代男性で、塾では英語と国語を教えていた。授業中に海外や旅の話で脱線し、その度に僕は眼をキラキラさせながら聞いていた。
 成績は悪いが見込みがあるということで、僕は塾長に特別可愛がってもらい、熱血指導を頂いたおかげで1年後の卒業時には偏差値65になり、塾の歴史上一番偏差値が上がった生徒として認定された。
 それは「僕もやればできる」と思えた一つの成功体験になった。しかし肝心の高校受験には失敗し、第二志望校に入学することになった。
 塾を卒業後、生徒へのプレゼント企画として希望者だけで行く格安海外旅行ツアーを塾長は毎年組んでくれていた。8泊10日で18万円のアメリカ西海岸の旅。僕は親に懇願して行かせてもらった。15歳で初めての海外。この旅が僕の全ての始まりとなる。
 飛行機内で初めて英語を使って外国人と会話をする感動から始まり、見たことがないほど広いロサンゼルス空港に感動し、フリーウェイ(高速道路)の広さに感動し、空の広さに感動し、160kmで爆走する車のスピードに感動し、カラッとした陽気な気候、ペットボトルの大きさ、料理の大きさ、人の大きさ、大自然の大きさ、ディズニーランド、ハリウッド、グランドキャニオン、ベニスビーチ、ユニバーサルスタジオ、サンタモニカ、、、見るもの、出会うもの、触れるもの、全てが新しく、全てが日本にないもので、全てに感動した。毎秒事に新しい世界の扉を開いているような感覚になり、高揚を抑えるのに必死だった。
 「今まで何やってたんだろう。。もっと早く体験したかったなあ」
 この14年間福岡市内だけで生きてきた自分に対する怒りと後悔の念が込み上げてきたほどの衝撃だった。
 そして帰りの飛行機の中で僕は誓った。
 「僕は今まで14年間もなんて狭い世界で生きてきたんだろう! よく頑張った。偉い! でももう2度と元の世界には戻らないぞ。ここからは今までの分を倍返しするほどに、世界を全部見てやる、世界の全てを知ってやる!」
 この強烈な体験がキッカケとなり、のちのアメリカ移住、タイ移住、世界一周、俳優、出版、路上ワーク、個展などの活動に繋がっていった。
 それまでは自転車で通える範囲内が僕の世界だった。学校と家の往復だけが僕の世界だった。そんな僕が海外に着いた時、その先には無限の希望が溢れているように見えた。
 「世界はまだまだ広く、世界には無限の可能性と希望に溢れてる」
 初海外旅行で掴んだ確かな希望は、今でも僕を勇気づけ、励まし、鼓舞し続けてくれている。


 まずは想像から

 “What makes you excitement?”(あなたをエキサイトさせるものはなんですか?)
 小さなエキサイト(喜びや楽しみ)を見つけたら、それと共に生きよう。それを愛し、育て、友達になろう。感動は捨てずに育てよう。
 「うわ!」「いいな!」「ステキ!」「楽しい!」
 「最高!」「やりたい!」「行きたい!」「なりたい!」
 魂がグワっと燃え上がる瞬間を見逃すな。全てはその火からはじまる。

 ハリウッドに行きたい! → 行けた
 バンコクに移住したい! → できた
 世界一周したい!    → できた
 パトロンほしい!    → 現れた
 個展したい!      → できた
 「海外に行ってみたいなあ」「世界一周したいなあ」「出版したいなあ」「路上で稼げる人になりたいなあ」「のんびり子育てしたいなあ」「ニューヨーク行ってみたいなあ」「セレブ体験したいなあ」「パトロンほしいなあ」
 どれもこれも始めは吹いたら飛ぶような小さく淡い「想い」からのスタートだった。
 大事なことは、その想像を捨てずに持ち続けられるかどうか。
 「そんなの無理に決まってんじゃん」「バカじゃないの?」と言われ、想像の芽を摘まれてしまうこともあれば、「私なんて」「そんなこと僕には無理だ」と自分自身で芽を摘んでしまうこともあるかもしれない。
 芽を摘まれずに、花開くまで育てあげることができるかが勝負となる。信じ抜けるか、守り続けれるか、愛で続けられるか、が大事であり、そのためには4つの作法がある。
 1 逃げる
 人間は逃げていい。
 百獣の王ライオンでさえ危機から逃げるのだから人間だって逃げていい。
 逃げることを恥じらう必要はない。
 ダサいことではない。逃げない美学もあれば、逃げる美学もある。
 嫌なこと、辛いこと、キツイことからは逃げよう。転職しよう。引っ越そう。海外移住しよう。新しい出会いを探しにいこう。想像の芽を摘む人からは逃げよう。逃げることで幸せになるのなら安いもの。
 僕たちには「生き抜く」という崇高な営みが待っているのだから、そのために逃げる選択肢があることを忘れてはならない。
 もちろん逃げちゃダメな時もあるだろう。「逃げること」と「逃げないこと」のバランスをとることが、芽を摘まれないための作法である。

 2 柵を作る
 想像の芽を誰にも摘まれないように「見えない柵」を作る。
 ・芽を信用する人にしか見せないようにする
 ・芽を否定されても反論できるように論理武装を準備する
 ・「僕の夢は絶対叶うし、誰にも邪魔させない」とマインドセットする
 など、芽をしっかり管理する。
 3 水をあげる
 芽が成長し花開くためには栄養をあげる必要がある。栄養とは、情報収集、分析、実践など、できる限りたくさんの栄養を与えてあげる。

 4 たまにチェックする
 芽があることを忘れないために、たまに夢ノートを読み返したり、瞑想したりして思い返す。芽の成長のためにどれだけ水を上げたかもたまに振り返り、それをできた自分を褒めてあげる。
 花開いた時は良いこと尽くしである。
 最高の気分になるし、自分が大好きになるし、自信も勇気もやる気も希望も湧いてくる。人はなんでもできるということを肌身で感じることができる。
 あらゆる手段を使って、想いの芽を摘まれないようにしよう。なぜなら僕たちの想像の芽の中に希望が隠れているのだから。


 集中が鍵

 集中が世界を開く技である。人生の中で、どれだけ集中できたかで人生の広がりと豊かさは変わってくる。
 人間は集中し没頭することで歴史を作ってきた。まずは自分が集中できるひとつを見つけるまで頑張ろう。動こう。考えよう。やってみよう。
 一人を愛そう。自分と向き合い、内観し、自問自答し、自分の中にできたパラダイスを愛そう。
 集中することで、自分自身に気づいたり、大事なことに気づいたり、大事なメッセージを受け取ったり、様々なことを発見することができる。
 それは自分にとっても宝だが、みんなにとっても希望の光なのである。新しい世界の扉が開く瞬間なのである。
 まずは一点突破で全集中しよう。


 希望の作り方 

 ・自分はこれまで何に感動してきただろう?
 ・自分はどんな人生を本当は送りたいんだろう?
 ・もし一年後に死ぬと言われたら、何をするだろう?
 この質問の回答をノートにどんどん書いてみよう。まずは一人になろう。テレビも携帯も消して、部屋を閉め切り、集中して、自分を深く分析していこう。感じたことは全部ノートに書いていく。その中に自分が求める希望や夢は転がっているものである。
 「好き!」「ステキ!」「楽しい!」「すごい!」「最高!」「スゲー!」
 自分の気持ちと身体に正直になり、どんな小さな感動でもいい、その感動の理由を分析し、希望を見つける旅に出かけよう。
 楽しいならやり続け、
 飽きたら辞め、
 またやりたくなれば再開する
 それくらいの気楽な気持ちでやってみよう。
 一人でできる楽しいこと、好きなこと、いい気分になることを一つ見つかるまでは頑張ろう。行動あるのみ。
 そんなことわかっちゃいるけど面倒くさい。。
 僕もいつも「面倒くさい」と戦っているが、そんな時はいつもご先祖様たちを思い出し、「せっかくのいのちがもったいない。ご先祖様や親に申し訳ない」
 と言うと、重い腰が動く。
 そしてどんどん行動できるようになると、なんでもできることを知り、その自分が誇らしくなり、自信がついてくる。「自分」が見えてくる。「夢」が増える。「やる気」が大きくなる。「自由」が拡大する。
 そうやってトライ&エラーを繰り返して希望を作っていく。


 自分を揺さぶる

 「常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」
 とアインシュタインが言ったように、僕たちは親やメディアや教育などの外部の影響を受けており、その中には必要なものも不要なものも混じっているので、定期的にメンテナンスチェックをする必要がある。
 (例)
 僕は「仕事と家庭の両立の幸せは難しい」と思っていた。それは家族よりも仕事を優先する親に育てられた母の愛の哲学からきている。10代の頃はそのことに疑いもしなかったが、ロサンゼルスでお金持ちの幸せそうな家族に会った時に思った。
 「仕事と家庭が両立できてもいいんじゃない? お金もあって家庭も幸せなら最高じゃないか」
 そこで、僕は自身が親の先入観に捉われていたことに気づき、それをアップデートすることにした。
 「仕事と家庭の両立は難しい」
  ↓
 「仕事と家庭の両立は僕ならできる(実際できてる人いるし)」
 そして今のところはそれが現実になっている。陽子と出会って11年目だが、ずっと仲良しだし、3歳の陽太とも仲良くやれてる。お金の心配も妻のおかげでしていない。形はどうあれ、仕事と家庭の両立が現実になっていることを考えると、思考がいかに現実世界に影響を及ぼすのかをヒシヒシと感じる。
 自分の思考を一つずつ整理し、変えたいものは上書きし、不要なものは削除していき、自分自身をアップデートして洗練させていくイメージ(想像)からスタートしてみてほしい。みるみる自分が変わっていくのを感じると思う。
 「お金持ちになりたいけど私には無理・・・」
 ↓
 「でも待てよ、お金に対する偏見は親からきていているからそれを上書きすればいい。無理だと思っているのもお金の勉強をしていないからで、お金持ちになるための一歩を毎日少しずつしていけばいい。そうすればいつか必ず私はお金持ちになれるのかもしれない」
 「自分も本当はスーパースターになりたいけど、そんな自信がない・・・」
 ↓
 「でも待てよ、この自信のなさは、親に無理だと言われたからだ。自分がそのために動けていないからだ。僕は他人の意見に惑わされていただけかもしれない。だったら今からスターになるためにできることを一つずつやって、少しずつ自信をつけていけばいいじゃないか」
 「芸術家で食っていくのは無理」
 ↓
 「でも待てよ、僕には当てはまらないかもしれない。僕ならできるかもしれない。やってみないと分からないじゃないか。やってみた方が後悔しないし」
 自分の先入観、価値観、思考はどこから来ているのかを掘り下げていき、その原因に気づいた瞬間から希望の光が差し込み、解放が始まっていく。
 自分の信じていることをたまに揺さぶることを忘れてはいけない。より強く、美しく、豊かな自分になるために。



【第7章】「自信の作り方」


人間の原点

 黒人の少年が素敵な言葉をくれたことがある。
 "We can do anything, be anything, create anything, dream anything, become anything."
 「僕たちはなんでもできる、なんにでもなれる、なんでも作れる、どんな夢も見れる」
 豊かで楽しい人生を送るために、僕は人間の原点を3つに設定した。これまでの体験から言ってもこれは真実であると信じている。
  1 僕たちはなんにでもなれる
  2 僕たちはなんでもできる
  3 僕たちの夢は全て叶う
 これは僕が世界中の人と会ってきて掴んだ人間としての手応えでもある。若者も老人もみんな高らかに自分の夢を語り、自分の意見を言い、自分の気持ちに正直に生きていた。みんな同じように悩みながらも一生懸命生きていた。いろんな人生、働き方、物語、思想がある。
 彼らに感化され、自分には無限の可能性があるからこそ、自由に自分をカスタマイズし、好きなように自分の人生を作っていくことにした。
 どんな夢も叶えることができるからこそ、どんな夢を見るかが大事になる。自分も相手も地球も全部ハッピーになる夢を見ていきたい。


 僕たちは最高傑作

 僕という存在は宇宙史上初めてだからこそ、生きているだけでも毎秒ごとに新世界を開拓していることになる。
 今この瞬間にも、みんなそれぞれが人類史上最先端を切り拓き続けている。
 その姿は先駆者であり、革命家であり、開拓者そのもの。
 あなたという存在は人類の歴史上最先端であり、宇宙史上の最高傑作である。
 過去のどんな偉人も今を生きる僕たちのことを羨ましがっていることだろう。それほど今生きているということはとてつもなく凄いことである。
 幸せは今に隠れている。最高の幸せも今ここにある。今あるもの全てに感謝する。幸せへの一歩は、今に感謝からはじまる。
 生き抜くだけでも大変素晴らしい最高傑作だが、そこからもう一歩進みたい。もし最高傑作のあなたが、何かを作ったとしたらどうだろう。
 人類史上初の人間が作るものは、どれほど小さな作品でも宇宙史上初の作品である。無から有を生み出し、0を1にし、新たな扉を開けた瞬間である。それは世界の歴史を覆しかねない歴史的革命でもある。
 大げさに聞こえるかもしれないが、それほどに僕たちはとてつもない力を秘めているのだ。
 しかし大げさに考えてしまうとたちまち緊張して体が動かなくなってしまう。やる意味は深く、やることは軽く。気軽に紙とペンを持てばいいのだ。平気で、適当に、気楽に、やってみる。それだけである。その先に希望の光があることは偉大な芸術家や偉人たちが証明してくれているではないか。


 仲間

 一人になって集中することも大事だが、それと同時に仲間も大事である。
 2015年のメッセ名古屋でジブリのプロデューサー・鈴木敏夫さんが登壇され、最後の質問コーナーで僕は勇気を振り絞って手を挙げた。
 「ジブリ作品を作ってくれて心からありがとうございます。若手のアーティストは宮崎駿さんに追いつけ追い越せで頑張っています。宮崎駿という天才を超えるには何が必要ですか?」
 「その答えはひとつしかない。『仲間』をつくること。宮さんは一人じゃ何もできないことを分かってるから、みんなに気を配って優しくしてる」
 ぐうの音も出なかった。自分の内なる世界を磨くことについ意識が向いてしまうが、それと同時に大事なのが、それと共鳴する仲間である。

 そこから8年が経ち、僕にも信頼できる仲間ができた。映画監督になりたい人、DJになりたい人、グーグルに入りたい人、ミュージシャンになりたい人、家を買いたい人、みんなの夢を叶えて、一人残らずみんなで幸せになりたい。
 70歳になるお金持ちの知人には友達がおらず、毎日ネットフリックスを見ている。その姿から僕は学ばないといけない、「持つべきものは友」であると。

 google home のCM撮影でアメリカ人たちと仕事をした時、彼らは気さくに僕を褒めてくれた。
 「そのベルト素敵ね」
 「そのアイディア面白いね」
 「いい演技だったよ」
 そのおかげで僕も気分が良くなり、いい仕事をすることができた。
 今こそ、お互いをアゲあう時である。協力しあう時である。気になる人がいたら積極的に話しかけよう。感動する人の側に座ろう。
 僕たちにはとんでもない可能性が秘めている。
 僕たちはなんでもできるし、
 なにものにもなれるし、
 世界を変えることもできるし、
 全てを救うこともできる。

 そう信じる人が一人いてもいいじゃないか。 
 それに人生を賭ける人がいてもいいじゃないか。 
 それは僕だけだろうか?
 ジョンレノンが脳裏で囁いてくれた。
 "You may say I'm a dreamer, but I'm not the only one." (Imagineより)
 (あなたは僕のことを夢想家と言うかもしれない。でも僕は一人じゃない)
 みんなの才能を総動員させて、手を取り合い、補い合いながら、最高に幸せな人生を送っていきたい。



【第8章】「創造の作り方」


「創造」について

 やってみる、という小さな創造には3つの喜びがある。これこそが希望であり、希望は創造から生まれると言う理由である。
 15年も絵を描き続け、いまだに僕が創造に魅了されているのは、創造から生まれるこの3つの喜びが大好きでたまらないからである。
  1 宇宙史上初めての世界を切り開く喜び
  2 自信が湧いてくる喜び
  3 マイナスをプラスに変えられる喜び


 1 宇宙史上初めての世界を切り開く喜び

 例えば日記を書く、新しいレシピの料理を作る、絵を描く、ギターを弾く、部屋の模様替えの構想を考える、何でもいい。今までにやったことのないことをやる、それはどんな些細なことでも、この広い宇宙であなたが史上初めてやっていることである。
 そこには表層のコピペだけでは真似できないあなただけの想いの歴史がある、鼓動の躍動がある、指先の震えがある、空気や音の違いがある。贋作にはない本物の温もりがある。
 作っている瞬間、僕たちは宇宙史上初めての世界を切り開いているのだ。
 人類史上初めて月面着陸した人が英雄として語られるように、
 僕たちは創るたびに人類史上初めてのことを成し遂げている英雄になっている。
 むしろ人間はもう既に英雄なのだ。
 だって人類史上誰も作ったことのない人生を僕たちは今も作っているのだから。
 僕が新しい絵を描いている時、新しい企画を作り始めている時、新しい歌を歌っている時、そのたびに
 「おお~、今この瞬間人類史上新しい世界開いてるなー!
  今、生きてるなー! 
  今、俺という人間がここに存在してるなー! 
  いろいろ大変なことあったけど、今この瞬間まで生きてきてよかったなー! 
  楽しいなー!」
 と、身体の奥底から叫んでいる。それが楽しくて、嬉しくて仕方がない。
 この時、今生きていることを強烈に実感でき、
 生きていることの喜びと感謝を強烈に実感できる。
 小さな創造で、宇宙史上初めての世界を切り開き、その瞬間にこの広い宇宙の中であなたという人間の存在の奇跡を全身で味わい、喜び、感謝し、自分自身を再発見する。それが創造(芸術)の大切な役割である。


 2 自信が湧いてくる喜び

 何かを創るというのは、絶えず自分との勝負になる。
 絵を描いてみようと思ったら、画材を引っ張り出し、椅子に座るためにあなたは体を動かなくてはならない。
 面倒くさいと叫ぶ自分に勝つのか、
 それともそのままyoutubeを見続けるのか。
 早速自分自身との勝負のスタートである。
 次の勝負は、何を描くのか、何色で描くのか、構図はどうかなど、
 その都度、自分との戦いが次々と迫ってくる。
 創造は決断の連続であり、たえず自分との対決なのだ。
 それでも作るのは、楽しいからである。
 思わず夢中になり、集中し、世界初作品が自分の手から生まれることが嬉しくてたまらないのである。
 作る度に自分との勝負に勝ったり負けたりを繰り返しているから、どうゆう時に自分に勝って、どんな時に負けるのかが自分で分かってくる。寝不足の時は負けやすい、夜中だと集中できる、人目があると集中できないなど、自分自身をたくさん試すことで、自分をどう動かし、対処したら勝算が上がるかがわかるようになってくる。すると「自」分を「信」じられるようになり、自分に「自信」がついてくる。
 作るたびに自信がたくましくなっていく喜びは、希望になる。
 好きな人にアプローチする時、新しい企画を始める時、ナンパする時、講演する時など、様々な局面で、その自信が僕の背中をいつも押してくれる。
 失敗して恥ずかしい思いをする時もあるが、それは失敗ではない。
 やってみた先に失敗はなくて、やらなかったことが最大の失敗である。
 やってみることが全てであり、大成功である。

 俳優のためにハリウッドに挑戦したこと、アテもコネもカネもないバンコクに移住したこと、35カ国旅してきたこと、出版したこと、ジェラート屋の店長をやったこと、、どれも自信による後押しのおかげである。
 そんな経験がまた自信になり、雪だるま式に大きくなっていく。
 それも元をたどれば、小さな一歩からだった。
 映画って素晴らしい → 演技をやってみたい → 500円の学生専用演技体験ワークショップの申し込みにメールする、という一歩からだった。
 「まずやってみる」たったそれだけのことである。
 やってみるという創造が楽しみを生み、喜びを生み、自信を生む。


 3 マイナスをプラスに変えられる喜び

 創造の醍醐味はなんといってもこれである。
 21歳の時、絵を描くことで鬱を乗り越えた経験が、マイナスをプラスに変える創造の原体験になった。
 頭の中でグルグルと渦巻いているやり場のない憤り、怒り、悔しさ、考えが、絵を通じて、画用紙上にアウトプットできた。今まで外に吐き出すことができなかった想いを、画用紙上だったらなんでも叫べた。この自由の素晴らしさ。
 さらにそれは毎回世界初作品になり、歴史的傑作が自分の手から生まれていることに喜びを感じ、自分が世界最先端で最前線にいる開拓者であるという楽しみも味わうことができる。
 「仕事先で嫌なことがあっても、こうして唯一無二の絵に変わるならいいじゃん。だから逆にありがとう」と思えて、どんなネガティブもポジティブに変換することができるようになった。
 この創造の素晴らしさに感動し、毎日3枚ペースで絵を10年描き続けた。
 キツイ体験も辛い事も経験できてよかった。全てがネタになる。そう思えるようになったことが嬉しかった。
 毎日絵を描きながら、それまでのマイナスが、みるみるプラスに変わっていった。
 彼女と別れて悲しい → 絵にする
 バンコクでの爆発事件を体験した衝撃 → 絵にする
 日常がつまらない → 展覧会を開催する
 コロナで動けない → オンラインTシャツショップを開設する
 マイナスをプラスに転換していくと、それが自信にもなる。

 「思考」もプラスに転換していく。
 嫌なことがあった → 成長のため
 悪口言われた   → 反対側を知るため
 ヤル気が出ない  → 充電中
 物事は見方ひとつでゴミにもなればダイヤモンドにもなる。いろんな角度から物事を観れるようになることは、自由と豊かさのためには欠かせない。
 コロナ、戦争、いじめ、自殺、孤独、恐怖、不安、世界をネガティブで見るのは簡単で、世界を嫌いになるのも簡単だが、それを嘆くだけではダサい。それを好転させるために自分ができることをやっている方がカッコイイ。
 不自由で辛い体験もいつか必ず生きてくる。笑い話になる。時が解決してくれる。 
 マイナスがプラスのエネルギーに変わってスパークする時の喜びは、
 最高に爽快であり愉快だ。
 どんなことも逆転させるチャンスはある。
 それが創造なのだ。
 マイナスのエネルギーを、絵を描く、歌う、踊る、動く、歩く、話す、想像するなど、創造を楽しむエネルギーに変換すれば、そこでエネルギーが美しくスパークする。
 ネガティブをポジティブに、陰を陽にするこの「創造」こそが、もっとも美しい人間の創造である。

 どんどん平気で、自由に、気楽に、つくろう。
 夢が現実になった時は自分を褒めてあげよう。
 その行動が自信と勇気と希望をくれる。


 喜びの根源

 「生きる喜び」「自信」「マイナスをプラスに変える力」は現代にこそ求められている。つまり現代には創造が足りていない。芸術が足りていないのだ。
 人間の才能を開花させるはずの創造が機能していない。
 感動したこと → やってみる
 ここがスタートである。
 創造は「喜びの根源」でもある。
 僕たちは何とも絶妙な生き物で、安心、安全、安定、便利、快適を望むと同時に、それとは逆のスリルや興奮を望む自分がいる。
 創造はスリリングである。何が出てくるかわからない。その後どうなるかもわからない。無駄な時間に終わるかもしれない。その先には自分しかいない。だから怖い。
 それでも人類は作ってきた。神話を作り、編み物を作り、星座を作り、会社を作り、都市を開発し、祭りを開催してきた。何万年もの創造の歴史の最前線が今である。

 スリリングなのになぜ僕たちは作り続けるのか?
 楽しいからである。作ることと快楽が直結しており、さらに体への負担も少なく健康的という点も素晴らしい。3歳の陽太は毎日画用紙に自由に絵を描いている。子供は本能でこの楽しさを知っている。
 挑戦 → 創造 → 歓喜 
 このスリルと、安定を願う気持ちとのバランスの上で僕たちは生きている。
 安定20%:挑戦80% で僕はやっているが、時代や老化と共に%を変化させて人生を味わっていきたい。


 ストレス発散方法の最高峰

 ストレス発散方法のひとつのとしても創造は効果的面である。
 •  散歩する(汗を外に出す)

  • 絵を描く(もやもやをキャンバスに出す)

  • カラオケに行く(声を外に出す)

  • 部屋で踊る(汗を出す)

  • 人に話す(気持ちを外に出す)

  • 日記にぶちまける(想いを文字で出す)

 創造力を使うと、マイナスがプラスのエネルギーに変換され、エネルギーが完璧にスパークできる。ストレスが栄養に変わり、プラスの行動に変わり、世界初作品が生まれる。スッキリし、また一歩進むことができた自分が好きになる。
 カナダ・バンクーバーに住む日本人ミュージシャンが、感想を聞かせてくれた。 「昨晩、アジア人が僕しかいない200人の音楽ライブ行って初めてDJしたんだけど、最高に楽しかった。やっぱりやってみるって本当に大事だね。挑戦って楽しい。仕事で嫌なこととか全部ぶっとんで今めっちゃ気分いいし、スッキリしているし、とてもいい気分」
 彼の眼は希望に輝いていた。
 創造の楽しさを知れた時は、最高の武器を手に入れた時である。
 創造力があなたの人生を助け、ストレスを解消し、心身を健やかにし、希望を見つけてくれるだろう。


 人生に欠かせない「創造」

 創造は自分で体験するのが一番なので、今すぐ紙とペンで遊んでほしい。
 誰にも見せない紙の中には完璧な自由がある。何を描いてもいい。何を書いてもいい。あなたは何を描くのだろうか。
 ここも考える前に、まず線を描いてみる。指が動き始めると、それに応じて日頃抑えていたものが少しずつ解放されていく。
 それを一枚の紙から、一文の言葉から始めてみる。そこには自分の汗と涙の結晶が乗っている。それはダイヤモンドの輝きであり、希望の光である。
 その小さな解放を繰り返すことで、心のフィルターに詰まっていた垢が掃除され、生きている喜びと自分への誇りと希望と勇気の爽やかな風が、心の奥まで浸透してくれるようになる。
 人間の素晴らしさと生命の深みを、手軽に味わうことができるのが創造であり、野球を楽しむためにはバットとボールが欠かせないように、人間を楽しむためには「創造」が欠かせない。 
 「創造」は、生きがい、やりがい、手応え、充実感、喜び、希望、未来、夢である。
 モヤモヤ、イライラ、ウップン、生活の中で起きるマイナスを、サクッと絵にしたり、文章にしたり、音楽にしたり、ダンスにしたり、彫刻にしたり、映像にしたりして、プラスに変換することが、創造の素晴らしさを感じるための大事なステップである。
 創造さえ掴めたら、今後何があっても大丈夫、どんなことがあってもネガティブをポジティブに転換させることができる。最強の知恵と力を手に入れたことになる。
 僕は創造力を手にした時から、心も体も軽くなり、希望に満ちた気持ちになり、生きていることの素晴らしさを感じ、世界の豊かさと生命の美しさを感じて生活が送れるようになった。
 これほどに素晴らしい力が僕たちの中に眠っているのだ。
 創造は最高の暇つぶしでもある。毎回新しいことに挑戦するから飽きない。
 どう生きるのか、なんのために生きるのか、作ることで自分の哲学が深まっていく。迷宮入りすることもあるが、それもまた嬉しい悲鳴である。
 現状を変えることができるのも創造の力である。
 創造は人類のマイナスを根こそぎひっくり返せるチャンスを潜んでいる。
 人類一人残らず救うほどの優しくて大きな包容力を持っているのが創造である。
 人類は一人残らずみんな芸術家だ。
 過去の偉大な芸術家や哲学者もみな口を揃えて言っている。
 やろうよ。動こうよ。作ろうよ。と。


 「やってみる」ためのコツ

 創造の最大の敵はもう一人の自分だろう、
 「面倒くさい~」「動きたくない~」「やりたくない~」
 このもう一人の自分の囁きに負けてはいけない。
 コツは、この囁きが全身を侵食する前に、身体を創作できる環境に持っていくこと。
 (執筆) お好みの飲み物を準備して机に座り、パソコンを開く。
 (絵)  パレットに絵の具を出し、キャンバスの前に座る。
 (ピアノ)ピアノの椅子に座る。
 「目の前に環境が揃ってるんだからとりあえずちょっとやってみようかね~」
 と思える環境を整備しておき、そこに体を持っていく。
 一度作り始めたら、あとはその後の流れに身を任せる。
 やっぱりダメだと疲れて中断する時もあれば、
 最後まであっという間に完成する時もある。
 作品の質よりもそこで挑戦できたという経験が大事で、
 それが自信になり、誇りになり、勇気になり、希望になっていく。
 あーだこーだ言う前に、身体を動かす。ソファでゴロゴロする前に立ちあがろう。
 顔を洗う、歯を磨く、背伸びをする、お風呂に入る、掃除をするなど、身体を動かす理由を作り、その流れのまま創作に入る。そういった細かいコツは人それぞれだろうから、やりながら掴んでいこう。


 未来

 さて、今からどんな未来を作ろうか。どうせなら最高の未来を作りたい。

  1.  「もうこれからはお金の心配しなくていい。好きな場所で自由に生きな」と親に言えるようになる

  2.  アーティストのスターになる

  3.  「アーティストってこんなに幸せになれるの? 私もなりたい」と思われるほど、たくさんの人の希望の光になる

  4.  お金の自由を一生得る(お金に苦労したくない。創造に苦労したい)

  5.  芸術家として世界中で大活躍(講演、壁画や彫刻製作、撮影、祭、パフォーマンスなど)

  6.  映画史に残る傑作映画を一本作る

  7.  世界でベストセラーになる本を作る

  8.  最高の名曲を一曲作る

  9.  魂が震えるような祭りをプロデュースする

  10.  「明日ロサンゼルス旅行いこうぜ! マリブの海が見える家をairbnbで1ヶ月借りて、往復5000万円のプライベートジェットでいこうぜ! そこでゆっくりして、最高の原稿を書こう!」そんな作家の缶詰旅行も容易にできるようになる

  11.  日本で山を買い、お祭りもイベントもできる空間を作る

  12.  最高のアトリエを作る(軽井沢、福岡、沖縄、ロサンゼルス、タイなど)

  13.  オンラインサロン、SNS運営を代行してもらう(収入柱を確保したい)

  14.  気に入った人に1億円プレゼントする(たくさんの人のお金の問題を解決したい)

  15.  作る楽しさを学べる「創造塾」を作る(吉田松陰の松下村塾のように)

  16.  豊かな自然を再生し、自然と暮らす方法を学ぶ「自然学校」を作る

  17.  ポジティブな魂を育む「太陽学校」を作る

  18.  日本の美しい哲学を世界に発信する

  19.  生活を楽しくする商品を開発&販売する

  20.  ファッション制作&販売をする

  21.  メイドさん、運転手、を雇う

  22.  「お茶しよう」「会いにきて」「一緒にキャンプでもしようか」「君のために絵を描くよ」「ドライブしようか」「散歩しよう」「お金は気にすんな」「歌うよ」そんなセリフが言えるカッコイイ男になる

 夢は無限だから、まずは限界まで自分の夢の大風呂敷を広げてみよう。
 「私には無理」「僕にできるわけない」「怖い」いろんな理由を見つけては大風呂敷を広げることができない自分に出会うかもしれない。
 でも自分次第でいかようにも自分をアップデートできる自由の権利があることは忘れず、とりあえず今は否定の声は一旦忘れて、どんな夢だったら自分は最高にハッピーな気持ちになるのか書き出してみよう。
 夢が叶うかどうかは深刻に考える必要はなく、そのために行動したその勇気が一番大事である。
 その勇気ある一歩は月面着陸の一歩よりも価値がある。
 そしてその先には予想を遥かに超える出来事が待っているから人生は楽しい大冒険なのである。


 小さなキッカケが大きく育つ

 「映画って最高!」という若気の感動がキッカケで、ハリウッドまで乗り込むことができた。
 「メール1通を送信」から劇団に入ることができ、自分の人生を歩み始め、35カ国を旅するまでになった。
 路上ワーカーたちのかっこよさに感動したのがキッカケで、ニューヨークで拍手喝采されるまでになった。
 偏差値39のバカが、恩師に出会い、可愛がってもらうことで700人中1位の成績になった。
 バイト三昧の貧乏アーティストだったのが、妻との出会いでセレブになり、パトロンもつくようになった。
 人見知りの自分が、路上で1万人と会って話せるようになった。
 芸術家だった自分が、主夫になり、掃除、洗濯、料理、送迎、弁当作り、育児をするようになった。
 一人ぼっちだったが、たくさんの仲間ができた。
 どれもこれも初めは小さな一歩からのスタートだったが、それが時が経つとどんどん大きくなり、それに伴いやる気も勇気も希望も湧いてくるようになった。元々僕には自信も勇気も希望もなかったのに。。
 だからみんな創ろう! 
 小さな落書きでいい、一行の言葉でいい、1秒の鼻歌でいい、小さな身体の踊りでいい、自分の創造を見つけよう。
 十年やればプロ、一生やれば仙人。
 僕たちはなんでもできる。なんにでもなれる。なんでも作れる。
 僕たちの夢を阻むものは何もない。
 一ミリの一歩からはじめよう。
 そこから世界一美しい希望の光が生まれるから。


さいごに

 生きることが嫌いにならないように僕は必死に抵抗し続けてきた。人生が面白くなるように切磋琢磨してきた。せっかく生きているんだから、毎日ワクワクルンルンしながら生きれるテーマを考えた。
 「太陽になる」
 未来何千年も光り輝く太陽のような希望になることに人生を賭けることにした。難題かもしれないが、諦めるわけにはいかない。偉大な先人たちはこの難題に人生をかけてきてくれた。その意志と情熱を、今日を生きる僕が系譜し、新たな希望の光を作るのだ。
 メール1通の送信から始まった僕の人生は、20年後には国連主催のオンラインイベントでトークさせてもらえるまでになった。国連に勤めている人は涙を流して聞いてくれ、来週にはネットフリックスのアメリカ本社の偉い人と原宿でラーメンを食べる予定になっている。これからどうなっていくのだろう。自分でもワクワクがとまらない。僕には確かに希望の光が見えている。その光を信じて歩み続けたい。
 物語は続きますが、一旦ここで筆を置き、続編に譲りたいと思います。
 本書は実話の物語ですが、読者により楽しんで頂けるように、趣向を凝らし、多少の脚色を加えていることを最後にお断りいたします。
 物語に登場してくれた全ての方とこの本に携わってくれた全ての方へ感謝いたします。
 そして一緒に居てくれる家族へ、いつもありがとう。二人の笑顔にいつも救われています。
 さあ時はきた。行動にとりかかろう。そこに希望がある。自分こそが希望なのだ。
 ありがとうございました。
 また会いましょう、いつかきっと。

 夕陽と虫の声と共に   年 月 日 中野陽介


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