久しぶりに何か書きます。思ったこと適当に。

最近いろいろあって書けてなかったんですが書きます。

こういう何かやるってなった時に安定性って大事だなって思いました。
例えばですけど仕事の勤務時間がバラバラで朝からだったり夜からだったりすると起きてても頭が上手く動かなくて何かしようと思っても集中できなかったり。
まぁ何が言いたいかと言うと人生ずっと不安定で継続してやりたいことができないなぁという。
何か開発したいとか小説書きたいとか思っても続かないんですよね。
何が不安定ってメンタルを含めた体調です。
メンタルの問題は脳の問題なので体調ですよね。
1年半ほど前からずっと抗うつ薬を飲まないと日常生活ができないくらいには不安定です。
薬を飲んでて安定してたらまだいいんですがまぁ薬を飲まざるを得ないくらいに小さい頃から脳にダメージが来てるような環境で生まれ育ってきてるのでそんな甘くはないですよね。

それでもギリギリ仕事はできてますしちょこちょこできてることはあって何とか生きれてます。
去年の夏とか秋くらいから見た目を気にしだしていろいろやってます。
服とか靴とか髪とか肌とか爪とか香水とかいろいろ。
後はまぁいつも通りですけどゲームはたまに。
ネプシス良かったですね。

不安定なのをどうにかしようと思ったら多分私の場合は人と関わることなんですが、まぁできたらとっくにやっているという話でして。
人との関りが記憶にある限り5,6歳の頃から苦手で、努力して改善してもどうもこれ以上はどうにもならなさそうな壁を感じて、障害っぽいなぁとは思うのですが病院ガチャ回してASDの診断をもらったところで現状薬がある訳でもなく(オキシトシン点鼻薬はよ)…。

趣味で人と繋がれるじゃないと普通は思うじゃないですか。
私昔からマルチプレイのゲームやらないんですよ。
中学生の時に不登校だった時はたまたまハマってたのがスマブラXとモンハン3だったのでやりまくってましたがそれ以降はほぼやってません。
たまにこの2作品のシリーズはやってますがこれで新しく友達作ったとかは無いです。
ポケモンはマルチできるけど就活と被ったサン・ムーン辺りでタイミング逃して以降できてないし多分友達作るとかまでいかずに1人でストーリーやって満足して終わりそう。
ソウルシリーズとかもやってたけど全部ソロクリアで対人もやってない。
やってきたゲーム、好きなゲームを上げてと言われても9割ソロ専用かマルチできるけどやってない。
とはいえまぁもうちょっと頑張ってみてもいいかなと思って前にAPEXをちょこっとやってたのと最近上手い海外プレイヤー(Shivって人)のAPEXのプレイ動画見るのになぜかハマったのでPCで再開して誰かと交流してみようかなぁとか思ってます。
前やってた時はPS4でソロでプラチナ4まで行って止まってた人です。
PCで練習して上手くなれるかなぁ。
ゲーミング用のデバイス漁ってだいたい買うの決めたのでそろそろ購入予定。金が飛ぶ。

後絵を描きたいんです。
いや描けるようになりたい?
昔から絵が下手でどうしようもないくらいへたくそなんで描ける人が羨ましくて。
練習したことはあるんですが続かなくて。
中学生の時にちょこっとBLEACHの漫画の模写とかしてました。
あ、今度アニメやりますね。
漫画は最終章の途中で私の中では止まってしまってるのでアニメやるまでに読みたいなぁとか思ってます。
寺田てらさんの絵とかすごい好きなんですよ。
まぁガッツリ商業レベルとまではいかなくても趣味でやれたらいいなぁとか。
デジタルで描いたらTwitterとかにも上げやすいのでiPad購入予定です。
絵の練習、本とか買ったらいいのだろうけど何がいいのかな…。
と書いててシャルさん(調理動画投稿してる人)が絵の練習もしてて何か本買ってたなぁとか、この人の影響受けて料理のレパートリー増やしたいとか思ってたけどこれも続かなくて全然できてないなぁとか…。

ゲーミングデバイスとかiPadとか買うけど買う金があるだけでむちゃくちゃ余ってるわけではないです。
歯列矯正と脱毛もやってるけど頑張って貯めたのを使ってるだけです。
ずっと前からですけど人生に疲れてるので無駄に貯め込んでて使わないまま急病や事故で亡くなるよりは、無理のない範囲で使って少しでもチャレンジしたり自己投資したり楽しんだりした方がいいなぁと考えてのことです。
明日亡くなっても後悔したくないなぁと。
いやまぁ、満足のいく人生、どころか満足を10割としたら5割も満たされてるか怪しい人生なんで、どうあっても後悔はするだろうけど、少しでも○○しとけば良かったと思い残したくないなと。
ストレス源でしかない親元を出ることができてどうにか働けて1人暮らしができてある程度お金にも余裕が出てるだけ幸せなんだろうなとは思います。
しかしまぁそれは他人と比較した時に相対的にまだ苦しい人がいるよねって見た時にどうなのかであって自分個人の感覚としては幸せだなぁ恵まれてるなぁとは思えないのでやっぱり苦しい。
というか人間社会の中で生きてる限り他人と比べないことはほぼ不可能なので、そうすると自分より不幸な人間もいれば幸せな人間もいて、やっぱり幸せな人が羨ましく見えるんですよね。
自分も誰かから羨ましがられる要素を持っていることは自覚してますが、同時にだからと言って幸せではなくて。

幸せになれるよう努力してますけど結局報われる保証なんてないしこの努力を続けるための気力がいつまで持つかというのもある。
努力をできること自体恵まれてるんですよね。
毒親に自己肯定感を破壊されて努力しても無駄だという洗脳を受けて努力できない人もいる訳で。
私の親はそのタイプだったんですがたまたまゲームと難しいゲームでもクリアできる才能に恵まれたおかげで、頑張ればどうにかなるという実感をゲームで得られることができてそこは本当に良かったと思ってます。
私の中でゴッドハンドのダブルゴッドハンドジーンを倒せたことは今でも誇らしい。
最近難しいゲームというとソウルシリーズが取りざたされますが個人的にはソウルシリーズやSEKIROよりゴッドハンドの方が難しいです。
私も洗脳の影響をもっと受けて「こどおじ」「ニート」「親のすねかじり」などと蔑称を投げつけられる存在になっていた可能性を考えるとこの努力できる状態にあることには自覚的でありたいと思ってます。
人は自分が当たり前のように持っている資産をありがたがらないように思うので。
努力しないのは怠惰、怠け、自己責任。という人間にはなりたくない。
努力できるのも親に恵まれたか、親がだめでも親身になってくれる先生や友人に恵まれたか、私のようにゲームだったり、もしくは勉強やスポーツとかで成果を出せたかとかに左右されるんですよね。
まぁ対人ゲームはそこまで上手くなくて大会とか出て活躍できるレベルじゃないんですが。
後自己肯定感も種類というか分類があると思っていて、頑張ったら報われると思えるという感覚が破壊されずにカバーされただけで、無条件で生きてていいとかここにいていいとか自分は愛されているとかそういう感覚はさすがにゲームじゃどうにもならないのでその辺りは壊滅的です。
というか多分ここがどうにかなってたら抗うつ薬を飲んでいない。
中学生の時に不登校になって年単位で家からほぼ出ずに引きこもってたんですが、その時にテレビを見ると自分の苦しみとは無関係に世界が回ってるんですよね。
どれだけ自分が苦しもうが周りは興味を持たないと。
普通は親とか先生とか友達とかが助けてくれるのだろうなとは思うのですが私はそれがなかったんですよね。
テレビを見ててふとそう思ってとても虚しくなったことを未だに覚えていて。
多分そういうところに分岐点があるんですよね。
鬱になる素養を持ち得るかとかそういう。
周りに適切に助けてもらえるかどうか。
まぁ助けてもらえてもその時点で物凄いストレスを抱えていて取り返しがつかなくて鬱になるとかももちろんあって、一概には言えないのですが、周りがちゃんと助けてくれたかどうかっていうのは要素として大きいと思うんですよね。
だから助けてくれる人がいる人がとても羨ましく感じる。私はそれを持っていないし経験していないから。
不登校になるほどストレスを抱えた時。いじめられて階段から突き落とされた時。親に何度も産まなければ良かったと存在を否定された時。バイトでちゃんとやってても何故か怒られて辞めさせられた時。就活でしんどかった時。就職した先がとんでもないブラックで疲弊してた時。
まぁ他にも上げればきりがないんですがいつも適切に助けてもらえたって経験がまともにないんですよね。
適切が何かって難しいですが、例えば階段から突き落とされた時はちゃんと親が抗議したり怒ってくれたとか、先生が相手を怒ってくれたとか、多分そんな当たり前だなと思えることでいいんですよ。
自分の味方がいるんだなという世界に対する安心感というか。
それが無いのにそりゃ生きづらくて当たり前だよなっていう。
突き落とされた時学校ではなくて、頭強く打って意識が飛んでたという記憶があるんですが、一応すぐに動けたので自分で歩いてバス乗って家まで帰ろうとして、バスが予定時刻まで停車してたのかすぐに発車しなかったので運転手の人に何故か経緯説明してた記憶があって。
当時小学6年生だったんですけど、なんというか、周りに同級生がいっぱいいたのに誰も突き落としたやつを責めない、誰も付き添いで来ない、何故か落ち着いて淡々と大人に説明してたとか、今考えるとやっぱりおかしいよなと思う訳で。
結局は私が親とか周りに恵まれずにそういうカーストにおいて下位にいるからだとは思うんですが、どうしようもない悲しさを覚えますね。
もう25年以上生きててずっとこの調子なのでもう半ば諦めてますけど、誰かに助けられる人種じゃないんですよね。
2,3年前に灰羽連盟という作品の影響を受けてちょっと助けてという勇気が出たもののまぁ報われなかったですし。
助からない。現実は非常である。
私もレキのように助けられたい。

ずっとこの調子で書いてて何でこんなこと書いてるんだっけとなったけれども、まぁ鬱抱えてる人間なんで仕方ない。
ずっとこんなことが毎日頭をぐるぐるしてる中よく働いて家事やって遊んで自己投資してとかやってるなと思います。
そして身近にいてよき理解者として支えてくれる人、見守っててくれる人がいないのに本当によくやってるなと。
幸せになりたい、安定したい。
まだ0をプラスにするのならいいんですよ。
私がやっているのはマイナスを0に近づける作業なんですね。
薬なしで生活したいんです。
そして薬がなくなったとしても、なくなってすぐはまだまだ何かあればまた必要になるギリギリのラインな訳です。
そんな危ないラインのところにいたくない。
電車のホームで言うなら薬が必要なのはもう線路に出てて、薬がなくなってすぐは黄色い点字ブロックに触れてるかどうかのところです。
もっと内側にいたい。安心して過ごしたい。
ずっと望んでるのはただこれだけなんですけどね。
いつまで努力すれば報われるんですかね。
ゴールの見えないマラソンは辛いです。
こういう時に元気な人はいつか報われると思うんでしょうが、私は報われないと思ってた方が楽な人間なのでさっきも書きましたが半ば諦めてます。
孤独で寂しいという感覚を覚えてる限り5,6歳の頃から抱いているのでこれをどうにかするには本当に年単位で身近にいて支えてくれる人がいないとだめです。
親に恵まれなかったからかずっと家族が欲しいという感覚があります。
なので多分本当に救われるとしたら5年10年と共に過ごして必要とし必要とされるパートナーでないとだめなのだと思ってます。
後半年ほどで27になります。
そろそろ焦りもある中これからどう過ごしていけばいいのか。
自決する勇気もないので暗中模索な中苦しみつつ生きるしかないんですよね。
パートナーが銀の弾丸だとは思ってません。
例え10年以上側にいてくれる人がいたとしてもじゃあ10年経って生きづらさが100%消えるかというと多分無理です。
ただ緩和されるのは間違いないのでどうにかしたい。
ゲームに支えられてきた人生でしたが去年鬱が酷くてまともにゲームもできてなかったのでゲームがパートナーとかそういうことも言えなくなってきました。
対馬みたいな面白いゲームを2度も挫折するとは。その後何とかクリアできたけど。
結局強いのは身近で支えてくれる人です。
1人で生きるように心づもりした方がいいんですかね。
どの辺りでその気持ちの切り替えをしたらいいのかが難しいところです。
孤独じゃない人はそれなりに周りに人がいて、歳を取ってだんだん周りに病死したりする人が出てきて孤独に慣れていくのだと思います。
多分それが適切で一般的な孤独との付き合い方なのだと思います。
5,6歳の頃に祖父母が立て続けになくなった私からすると専門学校の時に忌引きで休んでた人がいて不謹慎ですけどそれも羨ましかったんです。
この年まで生きてるんだと。
適切ってよく言ってますけどみんながみんなそうな訳じゃないし、そうな訳じゃないから鬱になる訳でもないことは分かってます。
ただ適切、一般から逸れれば逸れるほど生きづらくなりますし、それが積み重なるほど鬱になりやすくなるんだと思ってます。
年末年始とかGWとかに「実家に帰るんですか?」っていう何気ない会話があるかと思いますが、その時に内心「えーっと…」って考えないといけないこのストレスは一般に近い人からすると分からないのだと思います。
一般的じゃなくてもいいしそれでも元気に生きてる人はいる、けどそれも結局は生存者バイアスで、その裏で死屍累々積み重なってるのは常々意識しておきたいところ。
毒親持ちだけど活躍してます、な人は友人に恵まれてたりとかどっかで恵まれてると思います。
かくいう私も毒親持ち障害持ち鬱持ちだけど一人暮らしして働いてそれなりに自己投資したりできる環境なので、見る人から見れば恵まれてて十分羨ましいんですよね。

締めの言葉が思い浮かばずにぐだぐだと取り留めもなく書いてしまった。
何が言いたいとか伝えたいとか全くなくて何か思ってることをばーっと書きました。
人によってはこういう言語化も上手くできないのでこういう言葉を紡ぎだせるのもある種恵まれてて才能なんですよね。
明日も仕事だ。
頑張って生きよう。

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