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自分とは何か。

あなたは生きているだろうか

こんばんは、今日は自分とは何かについて書こうと思います。

皆さんは、自分とは何か、考えたことはありますでしょうか。

自分がどこから来て何をするのか、一般的には天命なんて言ったりしますが

一人ひとりに天命はあるのでしょうか。

少し、私の過去の話にお付き合いください。

私が十歳くらいの頃、祖父を亡くしました。

祖父は私を毎日テニスコートへ連れ出し、

私の意思とは関係なしにテニスの練習に励んでいました。

いや、私からすれば励んでいたというよりは、

あれは完全に祖父の野心だったと考えてしまいます。

結果的に私は、小学生にして県に敵はいなくなり、

九州のうちの何番かを争うくらいにはなりました。

今では感謝こそすれ、当時は祖父を大変憎んだものでした。

物心がつく前から、何かに執着せねばならない環境は

当時の私にとってはなかなか負担の大きい物でした。

しかし十二歳を過ぎた頃、

私は慢性的な疾患を患いテニスコートから退場せねばならなくなりました。

当時の私は、

テニスこそが生き甲斐で高校卒業まではテニスを中心とした生活をすると

なんとなしに考えていました。

十二歳の年端も行かない少年にはあまりに残酷な天命でした。

それから私は生き甲斐を失った笑顔の案山子になりました。

私を表現できる唯一のキャンバスを奪われ、私は色を失いました。

中学校に入学すると、学年のほぼ全員が友達になり、勉強もいい調子で

こなすことができましたが、色が私に戻ることはありませんでした。

この頃から、いつしか私はシニシズムの住人となっていました。

私の中学時代はなかなかこじれたもので、

教科書も、服も、食べるものも住むところも、何もかも親がいないと

生活できないことに気づきました。

私はそれに感謝の情を抱くよりもむしろ、

親がいなければ何もできない。生きていけないということに

ただひたすらに絶望していました。

これでは私は生きていないのと同義ではないのか。

しかしながら結果として、

私は高校を卒業するまで市民権を得ることはありませんでした。

親がいなければ何もできない。

学校に行くことも、あまつさえ食事の一回すらままならないという

非力さにただ絶望したときもありました。

そんな過去があったからこそ、今の私がいると確信します。

私の幸せは私が決める、誰も阻むことはできないという信念ができました。

自分のことは自分で考えて、信念を形成し、

時には何かを否定し何かに否定されながら、

よりよい明日を目指して、自分の幸せを見つけて生きる。

このことを考えて生きている人は今、どれくらいいるでしょうか。

日本は高度成長期を経て豊かになりました。

かつての戦後の不幸な時代の人々が祈り、残した社会を生きる私たちは今

何が幸せなのか見つめ直す力が問われています。

自身に下す神託を、自身で決めることができるのでしょうか。


少し難しいことを書いてしまいましたが、何か伝わればいいなと思います。

次回は、本を読むことのススメ。について書こうと思います。

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中の人の風呂上がりのアイスが格別に美味しくなります。では。


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