後ろ髪

 後ろ髪を引かれる。

 なんて言葉がこの日の本には昔からあるようで、改めて紹介する事でもない程に一度は聞いた事のある言葉だ。
 実の意味合いとしては、後ろめたいことがある、悪気があった訳ではないけれどもしかして、私があの時……なんて言う悔恨や自責と言った念を含み纏った言葉ではあるがこれは言葉。そう、ただの言葉だ。

 漢字とひらがなを主に使った表現の1つ、残酷なほど徹底して表現であり、顕現なんて偶像にして妄想な程、ただただ表明の為の一手段だ。
 けれど、だけれど今から話すそして貴方達の眼を通して紡ぐ物の語りは想いが、邪悪な邪推から産み落とされた邪心・悪心が言葉・ことわざに宿り文字の如く連鎖的に、そして破滅的に広がった悪意ある悪夢の物語である。

 ◯
 端的になんの飾り言葉もないまま、簡素で質素に言ってしまうとこの私、隠岐おきの しとねはいじめられている。共学の中学校に通いそこで受けているいじめを今語ろう。
 
 入学してすぐ、最初は軽い冷やかしから始まった。それが徐々に、段々と過激に加速していき次は私物を隠され、ハブりは当然。案の定無視も始まった。まさに村八分、いや組八分といった具合に陰湿なものだった。

 身体に関わる暴力なんてものは無かったけど、周りに対しての私の印象を悪い方に操作して、とことん徹底的に孤立と孤独を強要した。
 もともと一人行動が好きな私ではあったのだけれど、他人からの冷たい視線や嫌に敵意を含んだ嫌味には耐えかねる所があった。
 
 もちろんそれは言うまでもなく、嫌味を言う者は別のクラスの生徒、冷たい視線を送って来る大半は教師というから救いもない。
 頼れるものなしの耐久レースを余儀なくされてはいるが、やり返すと事が尚さら大きくなる。それで親なんて呼ばれたらそれこそ溜まったものではない。終わりのない耐え凌ぐだけの生活に決着と言うべき着陸を見出すとすればそれは、いつか決壊するだろう感情の崩落と平穏な学校生活の失墜と言ったところだろう。

 2時間目と3時間目の間の小休憩。クラス全員が冷ややかな眼を私に向けながら虚談きょだん凶談きょうだん巷談こうだんなど、それぞれ好きに話していた。
 
 偶発的な偶然か、意図的な発案かは知るところではないが、私の席はクラスの真ん中に座していた。雑談をしているクラスメイトは皆、私から距離を取りクラスの端に寄って、何が嫌なのか壁に身を擦り付けながら丸く囲むように居座っていた。
 
 その光景はまるで動物園の獣を、人間で言う除け者を安全圏から見ている構図に良く似ていた。

 群集心理・集団行為というべきなのだろうが、逆から見れば否、逆説的に言えば醜いのはどちらなのだろう。

 うん当然のごとく其方側だ。

 その中で人一倍楽しそうな笑みを浮かべに向かってくる一人の少女。阿南あなん みずち
 そう、彼女が私に始めた、そして広めたいじめの主犯格であり確信犯である。

 「前々から思っていたけど、貴方のその後ろ髪。とっても綺麗だよね。」

 それに私が返すのは沈黙と黙秘。すると顎を上げられるだけあげて首の筋がはっきりと、そしてくっきりと浮かび上がる程に首を傾げて私の方に視線を落とす。
 あの目がすごく嫌だ。勝ち誇り見下したあの視線が。

 「其の黒くて艶があって、光を反射し白くさえ見える。ねぇ知ってる?綺麗なものって儚いからこそ魅力が増すものらしいよ。」

 そう言って不敵な笑みを浮かべながら次の授業のため理科室に消えていった。
 ひたりと冷たい汗の一雫が背筋をなぞり、嫌な悪寒が身体を伝う。

 先生がまだ来ていないことを良いことに、アルコールランプを取り出し淡々と準備をする阿南。それを警戒して睨む私に、返す阿南の目線は私の後ろに向いていた。

 すると腰の辺りから熱を感じてそれと共に嫌な焼けた臭いが鼻を付く。祖母から褒められ誇っていた私の黒髪は燃やされた。阿南といつも一緒にいるグループの生徒の一人が着けたのだと知る。

 私の中で堪忍袋以外のまた別のなにかの緒が切れた。後ろ髪を食べながら這い上がる忌火。私は途中から後ろ髪を切り落とした。

 自慢だった、ええ、自慢だったわ。若い頃の祖母と同じ綺麗な黒い髪だったもの。
 
 阿南に近寄る私に対して阿南から離れる取り巻き達。

「ね、ねぇ、あの…さ。やめ…やめてくれないかな、そろそろ。きょ…今日こそは、今日だ、だけは伝えるわ。いつもいつもいつもいつも、目の敵どころか親の仇の様にいじめでくるけれど、多分、それは妬みねたみ嫉みそねみの裏返しよね?私…知っているのよ…。さて公表して表明してあげましょう。貴方の触れられたくない事を。」
 
 言葉を紡ぐ、心が弾む、笑顔が軋むきしむ。そういびつに。
 
「小さい頃、母に捨てられて、その後からずっと人でもろくでもない父親に性暴力、レイプをずっと受けて日常と常識が壊れたのよね。壊れていたのはそれだけじゃなかった、貞操観念。
 そこからは哀れなもので男であれば包み込んでくれるなら何だって、誰だって体を許してきたのよね。あぁ、そこにいる貴方の彼氏さん?あらあら、まぁまぁ酷いひどい顔と酷いむごい過去。」

 「きっと純情を、純粋を、清純を、語っていたのよね。当然そんな家庭環境で知能が付く訳も、知識が得られる事もなく騙され、汚された。守れない、防ぐ手段すらも思いつかない自分に嫌気がさした。それを隠すために他人を、私を虐める事で愚かさを埋めていたのよね。」

 「だっていじめの確信犯、主犯格になってさえいればみんなが貴方の味方だったものね。だけれど残念ね。今この時からその立ち位置、立場も無くなった。」

 「そう文字通り地に落ちた。周りを見てごらんなさいな。あれだけ貴方に従い、尊敬むしろ敬愛に近い目を向けていた彼女たちは全て、軽薄けいはくで迫害的な視線に変わったわね。あぁ、男の子ならなお悲惨。見てみなさいな、過去を知って貴方が1番向けられたくないあの目。全員総じて強い弱いに漏れる事なく、かつての屑だった貴方の父親と同じ目を貴方に向けている。」

 今まで押さえていた反動だろう。言葉が、言葉が、言葉が止まらない。

 怯え、しゃがみ、頭を掻きむしりながら泣き喚く阿南の姿。あぁ、この子がいじめをやめられない理由がわかった気がする。

 愉悦・支配・報復・征服。確かに最高の気分ね……。学んだカラスは殺せない。いや、欲かく猿は止まらない。
 
 そこからは色々言葉を吐き落としていたけれど、何を言っていたか覚えていない。ただ、耳に残っているのは端から聞こえる蔑みさげすみと、欲望が混ざる噂話と目の前で嗚咽おえつ混じりの阿南の阿鼻叫喚。そして私の笑い声…。

 記憶と意識がはっきりと戻ったのは雨に濡れながら歩く帰りの道中だった。
 ずぶが付くほど濡れてしまって服が重いしなにより寒い。
 やってしまった。言い過ぎてしまった。そんな後悔が外に降る雨と連鎖するように降り濡らし、この身を重くする。

 私は学校を辞めた。

 ◯
 あれから2年がたった今、この私。隠岐 褥は中学3年になった。あれから隣町の学校に転校をした。自分で言うのもなんだけどそれからは、そこからは人間関係も上手くいき順風満帆の言葉が合う程に、似合う程にいじめとは程遠い生活を手に入れていた。

 「ただいま、今帰ったよ母さん」

 学校から帰って流れているテレビに目を向ける
 「あら、今日は少しばかり遅かったじゃない褥。雨だった事もあるのかしら。」

 「あ、うんそんなところ。霧雨に変わるまで待っていたらこの時間だよ。」
 まぁ他に、重い物思いに浸っていた所もあるのだけれど、それは言わない。バックをソファーに置いて図書館から借りた本を探す。音聞き無沙汰ぶさたな耳へ前に通っていた学校の名前がテレビから聞こえてきて視線を投げる。
 
『〇〇日未明、庚分水かのえぶんすいの端で身体の一部が発見されました。残りの遺体はまだ見つかっておらず、行方不明の生徒、阿南巳さんとの関連がある可能性もあり、警察は事故・事件の両面の可能性を視野に入れ捜査をしています。』

 庚分水。2年前まで暮らしていた隣町の中央から区画を割るように流れていた大きい分水嶺ぶんすいれい。農業用水から生活排水まで全てを担っていた用水路ではあるのだが、霊が例に漏れる事も、漏らす事もなく他者を呼ぶのだろう。昔から自殺スポットとしても、心霊スポットとしても名が上がる程に有名だった所だ。

 まぁ本当に自らなのか、さては呼ばれたのか…。その死は曖昧だ。雨が降ると当然の如く水が溢れかえり危険度が増す一方、元々の地形が良いからなのか水の流れ方が綺麗で濁流になってもその水の流れは龍の形を成し、人を魅せる。それもあり、水に足を取られて亡くなる人も後をたたないとの噂だった。

「前の学校の子らしいわ。貴方は同じクラスだったかはわからないけれど、内情も、現状も悲惨の一言だったようね。」

「母さん、何か知っているような口ぶりだね。何か聴いてたりするの?」

 そうね、周りには噂好きが多いから。そう、あきれ混じりのため息と一緒に語ってくれた。

「まほろばの滑落かつらくなんて言い回しがそれこそ当てはまる程に生活が激変したみたいなのよね。もともといじめをする側の生徒だったようだけれど、ある日を境に周りからの視点と視線が変わったらしいの。それから虐めていたその子は、虐められる標的に地位を落としたらしいわ。性的、そして精神的な虐めから心を病んであの用水路で自殺したんじゃないか…なんてささやいていたわ。」

 聞いていてあまりいいものではないわよね。そう言いながら目線を下に落とし家事をする母。

 無性に、無情に罪悪感と寂寥感せきりょうかんが湧き出し心を蝕み黒く染める。

 母は知らない、そのいじめっ子の行方不明者、阿南 巳が虐めていた対象が私であること、そしてこれは不測的で憶測の域をでないけれどあの日、私が言葉で攻め立て退学を決めた日に、この結末が決まってしまったかも知れないことを。
 
 家に居座る気にもなれず、雨の降る外へ出た。霧雨は肌を刺す氷雨ひさめに変わっていた。

 ◯
 気がつくと逆鱗に触れられた龍と化しつつある濁流を眺める私の眼からは光が消えていた。
 茫然自失・心神喪失・一挙両失いっきょりょうしつ

 此処に阿南は身を投げた。私のせいで、私がきっかけで。すると後ろから声がかかる。この雨と水の轟音の中、なんのひねりもなく普通な表現をするなら頭に直接聞こえるようにノイズがかかったさびれてしゃがれた声が聞こえる。

 「やっぱり綺麗よね其の後ろ髪。」

 そう聞こえて用水路に背を向ける。悪寒が走り、鳥肌が立つ。膝が笑い、鼠径部そけいぶから力が抜けて失禁する。そこには阿南の、阿南 巳の生首だけが浮いていた。

 長らく水の中にいたのだろう、顔全体は水分を含んでぶよぶよになり、所々青紫に変わっていて見えている骨には白い脂が張り付いている。

 大木か流木に貫かれたみたいに首元には、喉仏がついた赤黒い食道が垂れて胃液混じりの黄色い血がしたたっている。片目は溶けて落ちかけもう片方は……小魚の頭が生えていた。

 ビチビチと激しく痙攣する魚の頭と、首の上。恐ろしい。
 
 なんて具体的な観察と説明なんて出来たものではない。私は口と弁は立つが冷静なわけではないからだ。
 怖い、恐い。怕い!こわい‼︎コワイ‼︎!
 
 痙攣する血濡れた頭はなお叫ぶ。
 
 「褥よね、褥だね、褥かな、褥だわ、褥なの、褥でしょ、褥だな、しとね、シトネ、死とね死とね死とね死とね……。」
 ゆっくりと迫る…私の名前を呼びながら。
 
 後退りあとずさりした其の時、後ろから生臭い潮の匂いが鼻をついた。出所を見ようと振り向こうとした時、後ろ髪がつっぱり首ごと後ろに持っていかれた。
 
 片手で鷲掴みにされ用水路に引っ張られる。ブチブチと音を立てて抜けていく黒髪。その度に激しい痛みが喉を通り心臓に響く。
 もげそうな程に強く引く力に髪と皮膚は耐えられるはずもなく、首の皮は裂け始め血が滲み始める。いっそ髪の毛だけ抜けてしまえばと、願うも叶わない。そう敵わない。
 
 もう、悲鳴も出てこない。前後から迫る狂気と失う正気。恐怖と恐懼きょうくが身を包み、体さえも凍ってくる。それは氷雨の寒さとはまるで物が違う。違いすぎる、異質すぎる異常な悪寒。

 引き摺りずり込まれる水の中、掠れ遠のく意識の中、生首だけになった私に最後まで残っていたのは罪悪感と謂れいわれもない喪失感だけだった。

 
 ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

 

 ◯
  「後ろめたい事は誰しもが持っているもの。いよいよ夢々後ろ髪を惹かれぬよう・・・。」
 

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