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盗み銭ーぬすみぜにー

 さて、今から語る纏屋まといやまつわる六章目の物語に行き着いた。否、連れ去られた男の話を物語の基礎として基盤である所の起承転結の"起"。そう起こりとしてつづって差し上げようと思う次第です。

 この地の文を語っている私の事は言うまでもなく。否、言うべくもなく。知る必要すらも無い。読み手である所に何者でもない君たちが座しているように、紡ぎ手である所に当てられた私も何者でもないしもしや、よもや人間ですら……無いのかも知れないのだから。

 ◯
 始めまして。窃盗犯です。
 

 なんてそんな言い回しを現実で使っていいなら、さっさと、そそくさとその言葉をいの一番に嬉々として使い、そして今を生きている誰よりもたくさん使うことになってしまうだろう人間は多分この俺だろう。
 

 名前なんてどうでもいい。どうだっていい。どうせ、盗んだ物の1つだ。
 くどくどと初手から、初っ端から戯言ざれごとのような独り言を垂れ流している俺だがなんの捻りひねりも、曲がりもなくあっさりスッキリ言ってしまえば、窃盗癖があった。
 おいおいおい、先入観に任せた偏見で人を見ないでくれよ。これでも苦労しているんだぜ?俺も。俺すらも。

 今、1つ産まれた勘違いを正すとすればそれは、盗み方に苦労しているんじゃないって所だ。盗まないように苦労しているんだ。知っているか?クレプトマニアって。決して甘んじているわけじゃないけどな、一種の病気なんだと。

 こんな皮肉ひにくれた性格なもんだから、医者が言ってた精神的な要因って奴を信じてもいないこの俺だが、確かに生活に実害が出るほどにこの病気に悩まされているのは事実だ。実際警察のお世話になったことも少なくないからな。あんまりにも立て続けに捕まるもんだから地元の警官とはもう知り合い超えて親友だ。治すには心のケアとか認知行動療法なんていう要は精神論での治療が一番有効なんだと。下らない。まぁ、通院かよってはいるけど。

  一括ひとくくりにクレプトマニア、病的窃盗びょうてきせっとうといっても対象は様々だ。痴漢や下着の窃盗みたいな性的対象、交通違反なんて言う規制を破る行為自体が対象になったりもあるが、一番多いのはやはり物欲だ。欲しい物を見ると人は誰だって・いつだって・なんだって手に入れたくなるもんだ。だが大体の奴は金銭面や生活面とかっていう"今"と照らし合わせて手に入れるか決めるのが大半だろう。
 けどその考えはクレプトマニアにはまるで無い。まるっきり抜け落ちてしまう。そして衝動的に、突発的に盗んでしまう。

 いきなり長ったらしく語っては来たが、今、病院の帰りに寄ったボロい本屋で早速盗みをしてきた所だ。あれだけ語ってきた割には中々治らないもんだ。むごい話で、ひどい人生だ。

 にしてもあの年季の入った本屋。埃は被ってるわ、本は色褪せてるわで管理状態ってやつが酷いどころの話じゃない。何が入っていたかもわからない古い段ボールが端に積まれてそのまんまだし、蛍光灯も所々切れていて薄暗い。耄碌もうろくした店主のジジイは新聞片手にうたた寝をしている有り様。まぁ、こっちからするとそのほうが有り難い。だって、欲しい物があったんだから。

 なぁ、聞きたいか?聞きたいよな。

 巻物。偉く古そうな奴だったけどやたら綺麗でな。汚い段ボールの上にぽんって乗っかってたんだ。値段も、値札もついてないからったんだ。多分あのジジイは気づいていない。見つかってないし、騒がれてもないからな。

 コートの裏に隠して店を出た後からだ。凄い気分がいい。晴れ晴れとしたいい気分でいい気持だ。そして店側はいい気味だ。普段だったら盗んだあとって言うのは陰鬱な気持ちに溺れ、項垂うなだれて早々に家に帰るんだが今は違う。軽く散歩でもして街を見て回ってもいい。

 片側3車線の忙しい国道が続く歩道を歩けば、キラキラとした俺の目を焼くほどの光景が映る。
 カフェに土産屋。流行りの飲食店にスイーツ店。
斜向はすむかいなはずなんだが、少し来ないうちに随分と様変わりしたな此処ここも。」
 
 俺の住むこの街は1つおかしなところと言うか、いびつなところがあった。住み始めた頃は俺もその歪さに困惑した。それは昔で言う遊郭と同じ、1つ道を外れたら先程のキラキラした繁華街とは打って変わって古い骨董店や古本屋、やっているかもわからない年季の入った喫茶店が道端死体みちばたしたいのように転がって居を構えている頃にあった。まるで遊郭裏にあったと言われる夜鷹よだかの袖引きみたいにだ。

 まぁそこのほうが、俺にはお似合いだっていう自覚があるから救いもない。

 繁華街から右に入った路地は特に不気味の一言だ。不思議じゃない、不気味だ。
 その路地に入ると結構な頻度で雲が覆い、先程の快晴は嘘のように鈍色にびいろの曇天が頭を撫でる。

 「マジかよ。さっきまで、晴れてただろうがよ。気分良く散歩と洒落込んでいたのに。」
 そんな独り言を垂れても、此処を通らないとすげぇ遠回りをしないと家に帰れないから住む所を間違えたと毎回後悔する。
 
 「最悪。いっそ、引っ越そうかな。」

 この言葉も此処を通るたびに漏れて、もう何回目だろう。いや何100回目か。
 暫く進むと薄暗い中、赤い行燈あんどんに照らされた1つの家屋が見えてきた。

 その光景はもう昼間じゃない。
 「こわいなぁ。やめてくれよ。いかにもだろあの提灯。今から出ますよ!って感じの。露骨すぎるってあれ。」

 通るしかねぇよなぁ。そうブツブツ言いながら横目に写る纏屋書店の文字。まさかの書店。しかもえらく達筆で恐ろしいほどボロボロなガラス戸とガラスの奥に見えるおぞましいほどの暗闇。

「いやいや、もう夜だろその暗さは。」
 失笑しながらガラス戸に手をかける。上手くはまっていないのかギギギっと音を立てる。やたら重い。行燈の横に細い掛け軸が垂らしてあったが何が書いてあったかは知らない。

 開くとそこにはさっき盗んだ巻物と同じ奴が中央の廊下を挟んで立つ本棚に綺麗に敷き詰め置かれていた。続く廊下の奥に広がる畳間には真ん中に帳台。見えはしないが四ツ端から漏れる火の光が当たりを照らしていた。

「このご時世に、蝋燭って…。」
 此処の店主はよほど物好きで変わった思考の持ち主なんだろう。けど、確かに雰囲気と風流はある。にしても客どころか店主の影すらも無い。扉は開いたし入ったあとになんだが、本当にこの店やっているのか?と疑問が浮かぶ。

 すると帳台の上。置かれていた蝋燭にいきなり火がついた。
 巻物を物色していた俺の目はそれを見て心臓に早鐘を打たせる。

 「ゔっ」

 くっそ、変な声がでた。
 その瞬間、奥から眼鏡を掛けた陰湿な女が声を掛けてきた。
 「いらっしゃいませ。驚かせてしまいました。申し訳ありません。つい先程店を開けた次第で。」

 その女は、黒縁の丸メガネに細身の体には似つかわしくない程白いパキッとした大きいYシャツと黒のスキニーを履き、いかにも小説家ですと言わんばかりの格好だった。
 腰まであるストレートの黒髪を片耳だけ掛けて目に被さっている前髪の中から覗く目がこちらに微笑む。パッと見て目を惹かれる魅力は無いが顔は整っている。

 「いや。少し気になったもんで、開いてたから入っただけなんだけど。」

 「それはありがとうございます。此処に立ち寄れる方も少ないので…。」
 そう呟くと目線を本棚の下の方に視線を落とす女。偉く含みのある話し方をする。
 何を見たのだろうと思い、続けて俺も下を見る。薄暗いせいなのか一番下。押しつぶされそうに詰まっている巻物が少し光を帯びているように見える。薄い青。水色とはまた違い、綺麗な色だった。

 だが、触れる気にはなれない。なんというかその巻物には心惹かれなかった。けど、この女には何かしらの思い入れや執着があるんだろう。
 「貴方のお店なんですか?年季が入った書店みたいだったんで、てっきり爺さんとかがやっているイメージだった。」
 すると、ふふっと笑って話してくれた。

 「いえ、店主は今店を離れています。潜っていまして。私は此処で使用人をしていて留守番を。申し遅れました石出と言います。」

 書店員と言わないあたり何か訳アリのように思えたが、気にすることもないし、聞くのは野暮だ。ごゆっくり。と軽く会釈えしゃくをされ胸に抱えた2つの巻物を帳台に持って行った。

 左右の本棚を一通り物色し終わった頃。盗んでコートに入れていた巻物が、少し震えたような気がして手元に出す。するとその巻物は濁った黄色と青緑が混ざったような汚い茶色の光をしんしんと放っていた。

 それを見ておおぉ、と思わず声が漏れる。
 するとそんな俺のたじろいだ姿を見ていた石出さんが声をかける。多分石出さんもこの光が見えているのだろう。眼鏡をかけ直して説明してくれた。この色は枯野かれのと言うらしい。冬枯れふゆがれした芒野原すすきのはらのような寂寥感せきりょうかんと罪悪感を助長させる風景や心象を表すことの出来る色だと教えてくれた。

 「解いて読んであげてください。貴方なら紡げると思いますので。」
 店主はいつもお客さんにそう仰るのです。そう言って笑う石出さんの目の奥は濁っているように見えた。

 言われるがまま開く姿は、さっきまでの店全体に疑いを持っていた俺からは想像も出来ないほど素直だっただろう。
 そして俺は純粋に物語を巡っていた幼い頃と同じように文字でつづられる文物ぶんぶつに目を通していった。

 ◯
 「どうか物語に"呑まれぬ”よう…。」
 細めた目で哀れみを向ける石出 幽いしで かすかの言葉を、読み始めた男の耳はとらえることが出来なかった。

 ◯
 目を覚ますと、見知らぬ天井だった。
 分かる奴は分かる一文で一場面だよな。俺も新世紀に生まれて機械をがちゃがちゃしたかった人生だったがそんなご都合展開なんてこの現実にある訳はない。
 確かに同じ病院ではあるが、病態と病状が違う。普通に言ってしまうと不幸の連続で俺はこうなっているんだ。

 体も動かないし、痛みもまだある。なんなら片目も見えていない。ほらな、散々だ。ため息をつこうと息を吸うときでさえ肋骨がきしむ。はぁ、嫌になる。全身の痛みに加えもう見えなくなるかもしれない片目をなぞるたびに来る絶望も一潮以上だ。

「あーあ、最悪。これ見えるようになるのか?無理そうだなぁ。この先、片目だけってすげぇ嫌だな。マジで。」

 呟いても現状は変わらない。知っている。そんな事は知っているけど弱音が漏れる。いいだろ、少しぐらい。此処までの悲劇が襲ったんだ。甘えても、甘んじてもばちは当たらない。なんならこの事故がばつみたいなものだろう。
 
 かぶる布団が外と俺を隔てて蹲ってうずくまっていたら外から扉を引く音と共に聞き慣れた声が聞こえてきた。

 「よぉ。車と事故ったってきいたから、お見舞いに来てやったぞー。親父さんから偉く凹んでるって聞いてすげぇ心配して来てやったんだ。」

 はぁ、そうだ。この声とこのノリ。昔からだ。小さい頃からの幼馴染で腐れ縁の倭文 弥しとり わたるだ。いつも明るくて小さいことは気にもとめない性格で昔は"3人"でひっきりなしに遊んでいたけど、俺が地元を離れてパタリと会わなくなった。まさかこんな再開になるとは思ってなかったけど。
 
 「久々に会う友人が事故に打ちひしがれてるってのにお前は相変わらずだな。少しは様子見て入ってこいよ。」
 
 そんな事言うなよと微笑を浮かべていた顔が更にニヤけて手に持っているものを顔の近くに持ってくる。あの顔は何か悪巧みを考えてきた顔だ。
 「なんだよ、それ。見舞いにしては見慣れない箱だな。普通バケットに果物とかだろ。お菓子かそれ。」
 「へへ、いや、酒。」

 でた。普通こんなもん病人に持ってくるかよ。
 「なぁ、弥。病人にアルコールなんて飲ませに来る友人がどこにいるんだよ。看護師に止められなかったのかよ。声かけてきたんだろ?」
 「あぁ、じゃないと病室もわからねーもん。そんな細かいところまで見やしねーよ。大丈夫だよ。」

 ほれ、と弥は高そうなお酒を備え付けの机の上においた。
 「せっかく親友が見舞いに来たんだぜ?寝てないで身体起こしたらどうだよ。」
 「いや、それは嫌だ。あとが酷いからな。」

 実のところ体はなんとか起こせるけど、起こしたくない。此処2ヶ月程前から全身に蕁麻疹じんましんのような湿疹痕しっしんあとみたいなあざが体を覆っているからだ。鏡を通して見た自分の全身はパッと見るともう人間じゃなく化け物だ。

 んだよ。そんなの気にしないのに。と呟く弥の何気ない軽い言葉に涙が出るほど嬉しくなった。昔からこうゆう奴だ。だからずっとこの関係が続いているんだろうなと思いが巡る。

 「なぁ、弥。お前は引かないでくれよ。」
 「お?どうしたんだよ急に。別になにも思わねーよ。」

 「もう一人で抱え込める状態じゃないんだけどさ。親には言えないし他人に見せるのも怖い。」
 そう言って俺は病衣びょういを開けて上半身を弥に見せた。弥の眉間にシワが寄る。いつものニヘラとした表情のあいつはいなかった。それもそうだろう。俺の体にはき拷問痕のような火傷にも似た痣が腕から胸、首筋からお腹、背中まで満遍まんべんなく浮かび上がっているからだ。
 
 「お前がそんな顔をするのもわかる。キモいよな。これを見た担当医も世話をしてくれていた看護婦も不気味がって近寄らなくなっちまってな。これが2ヶ月前から日毎に1つずつ増えてるんだよ。痛みも、痒みも無いのが尚更怖い。浮き始めた痣が30を過ぎた頃だ。」

 「1ヶ月後。」
 そう弥が返す。

 「あぁ、そうだ。腕から始まってな。その頃にはもう長袖しか着られなくなってた。この痣を気にしすぎてたのもあるんだろうけど、足を捻挫したんだ。その時捻挫した左足を氷みたいに冷たいモノに握られたような感覚があったんだわ。それから今だ。」

 「2ヶ月目がこの交通事故で今の病院って事か。」
 
 「あぁ、そうゆうことだ。それでこの事故で片目を失った。もう呪いだろ。此処まで来ると。こんな不幸の連続、ドラマでも見やしねぇよ。流石に凹むわ。それと怖いんだよ。3ヶ月後どうなるかって。怖くって何も出来ねぇ。死ぬんじゃねーかなこのままって嫌な想像しか浮かんでこねぇよ。どうしろってんだよ。」

 あぁ、唯一の親友を前に心が揺らいだのか愚痴の吐露とろが止まらない。でも、いいだろ少しぐらい。俺が何したってんだよ。

 一通り愚痴を聞き終わるまで、弥は相槌を打つぐらいで黙って聞いてくれていた。そして急ぎの用でもあるのか、すぐ元気になるから落ち込んでんなよと声をかけて、病室を出ていった。

 元気をもらえたから、取り敢えず今は怪我を直さないとな。そう自分に言い聞かせて俺は眠りについた。

 ◯
 見舞いに行った友人は片足と片目を失っていた。随分と落ち込んでいたけど、当たり前だ。あの状態で頑張っている方だ。にしても。

 「りょうの火傷痕。百々目鬼どどめきって盗人ベースの妖怪に似ていたなぁ。」
 昔、記憶も曖昧なほど幼い頃。変な本屋でひたすらそれこそ日が登り、沈むまで妖怪の本を読みふけっていた時に見たことがあってそれを覚えていた。

 「でもあれって…。」

 帰ったら親父に聞いてみよう。そんな独り言を呟きながら家路に向かう足を早めた。

 「ただいま~。」
 おかえりなさいと返ってくる母に緩い返事をしてそのまま父がいるリビングに顔を出す。夕食を待っている間に聞いてしまおう。

 「なぁ、父さん。」
 ん?と間の抜けた声で目線をテレビに向けたまま返す眼鏡を掛けた父。全く休みの日は1日テレビとか映画とか見てるんだからなぁ。よく飽きないで見ていられるもんだ。

 「僕らの村にさ、土地神以外のモノを信仰してる神社とか神事とかってあったっけ。」

 どうしたんだ急にとテレビから目線を外して真剣に僕を見る。こんな父親だけど、この村の歴史や文化を守り、担う村保ち(ムラムチ)って呼ばれる人間だ。だから村の信仰や神事、歴史や文化にはめっぽう詳しい。こうゆうときだけは凄い頼りになる。

 「僕の同級生の涼っているじゃん。」
 「あぁ、九石さざらしさん家の長男坊だったか。お前幼い頃からずっと一緒の子だろ?」

 「そうそう。最近事故に遭ったみたいで今入院してるんだよ。その状態が酷くって。状況も聞いてきたんだけど、安直な言い方すると呪いみたいな感じだった。立て続けの不幸と変な痣が蕁麻疹みたいに体を覆っていてさ。村の信仰とかを疑うわけじゃないんだけど因習いんしゅうとかって関係あるのかなって。」

 あ、言い方を間違えたかも。因習って聞いて父の顔が少し歪む。やばい、怒られるかも。そう身構えたけど涼の心配から入ったので強くは言われなかった。

「大丈夫なのか?涼くんは。」
「だから今日、見舞いに行ってきたんだよ。精神的にまいってるみたい。」

 そうかと頷く父。あ、そっか。何も伝えずに出ていったからわかっていなかったのか。悪いことをした。

「うーん、父さん因習って言葉はあまり好きじゃないけど、この村にはそんな歪んだ神事とか歴史はないと思うぞ。お前が言う因習とかって例えば、丑の刻参りとかってことだろ?確かに女しか入れない場所とか、男しか飲めない酒とかってもんはもちろんあるけど呪ったり、祟ったりってのはないぞ。知る限りだけど。」

 「そっか。なら隣の村とか、周辺の地域で聞いたことある?」

 「この村の事はある程度知っているけど、他の地域は知らないなぁ。どうだろうな。呪いとか妖怪とかっていうならお前のほうが詳しいんじゃないか?子供の頃変わった巻物転がしてずっと読んでただろ。河童やら子泣きじじいやら妖怪の辞典みたいな奴。」

 今だから言うけどな。あれ見ていて、親ながら心配してたぞ。そう笑いながら目線をテレビに向けた。巻物だったかはわからないけど、妖怪の本や物語を読んでいた記憶はある。明日も休みだから少し調べてみよう。

 ◯
 あぁ、寝すぎた。昨日夕飯後から明け方までオンラインゲームに明け暮れ、夜明け頃に寝たのがいけなかった。身支度を整えて家の扉を開け放ったのが15時過ぎ。なんならもうすぐ夕方だ。

 「取り敢えず村外れの田んぼらへんまで歩いてみるか。まぁ真昼間は暑すぎるしちょうどいい時間だって思えば…。思うことにする…。」

 誰も聞いていない独り言を漏らしながら足を進める。30分程歩けば周囲に民家はほぼ無く畑と田んぼを区切る畦道あぜみちに変わる。

 そうだ、此処ら辺だと思う。幼い頃この辺りにあった本屋で青髪の浴衣を着た子どもと遊んで、店を出たら夜だった。道もわからず泣き喚いて近所の人に手を引かれて帰った苦い思い出がある場所だ。
 「懐かしいな。近場っちゃ近場なんだけど大人になったらこんな近くでも足を運ばなくなるからな。」

 そう思いを巡らせていたが、いつまでも感傷に浸ってもいられない。もう夕刻。黄昏時で周りも茜に染まり周囲の景色に赤が混ざる。薄暗くなっていく景色を畦道の真ん中から一人見渡す。映画のワンシーンだったらさぞ映えるんだろうけど、実の所そんなことはないし、なんなら若干怖いぐらいだ。

 十字路に差し掛かった頃、山側に続く道。その先へ目をやるとそこにはかつて一緒に遊んだ青髪の男の子が巻物を両腕で抱えてじっとこちらを見ていた。

 なにもない田んぼと畑の中に、浴衣を来た青髪の男児。違和感は確かにあったけど不思議と恐怖感はなかった。夕焼けが逆光となって背中から漏れ、顔は薄暗くてよく見えなかったが、目だけが爛々らんらんと翡翠のように光っているように見えた。

「懐かしい。僕、君に知っている。君も僕を知っている。おいで、おいで。」

 聞こえた。いやどちらかというと頭に直接流れてくる様な、そうまるでテレパシーって奴みたいに。
 んだ儚い声ではあるけど芯がある通る声って訳じゃない。姿は見えるし口が動いているのもわかるけど辛うじてって感じだから声なんて届かない距離なはずだ。不思議、そう。ただただ不思議な感覚だった。

 そう言ってくるりと袖をひるがえして振り返り、そしてゆっくりと体を揺らし歩き出した。
 「ちょ、ちょっと、待ってくれよ!」
 言葉が自然と口から漏れた頃には僕の体は青髪の子に引っ張られるように前かがみになって追いかけ初めていた。

 追いかけて数分。畦道を抜け、県道に入ってすぐの路地に青髪の華奢きゃしゃな子は曲がっていった。そこは陽の光も入らない夕日影ゆうひかげおおう小道だった。茜の世界に開く夜への入口のような、宵の口って言葉そのままの情景じょうけいが広がっていた。目をやると奥の奥。青白い光を薄く纏う青髪の子は、赤い提灯ちょうちん煌々こうこうと光る家屋の前に体を向けていた。

 「いつの間に。」

 そう呟きながらゆっくりとその子の隣に寄る。その露店に垂れる提灯の下に纏屋書店と偉く達筆な書体で書かれていた。

 その時、右手首にヒヤリとした冷たい感覚、そして握られた感触があった。驚きの余り、咄嗟とっさに目をやると青髪の男の子が手を握っていた。ちょこんと握るその姿に恐ろしさなんてなく、むしろ可愛いとまで思ってしまう僕はもうあちら側なのかもしれない。

 薄暗い中見えたのは真ん中に敷かれた通路とそれを挟んで並び立つ巻物が積まれた本棚。中奥なかおくに広がる畳間と中心に座している帳場だった。それを四ツ端から蝋燭の火が照らしていた。そして帳場には片膝を曲げて腰を据えている中性的な美人がにこやかにこちらへ笑顔を向けていた。

 白の大きめのYシャツに上からは無数の黒鳳蝶が彫られた袖広なレースカーディガンを羽織り、右に持つ銀煙管の羅宇らうから淡い青が漏れている。

 髪の毛は毛先が銀色の黒髪のウルフ。まるで銀狼を思わせるような人、まるで。
 高嶺の花。
 よくそんな言葉を聞くがこの人には凄くその言葉が相応ふさわしいと思える程の美人だった。

 「いらっしゃい。久しいね。随分と大きくなったじゃないか。少年。」

 この店主は昔から僕を知っているような口ぶりで言葉を投げかけた後、銀煙管をくわ紫煙しえんを吐いた。その煙が僕の鼻をくすぐる。この甘い匂いは知っている。記憶は曖昧だが、この書店の雰囲気と煙の匂いは初めてじゃない。

 匂いを頼りに鮮明に思い出そうとしたけど薄ら靄うすらもやが掛かったように記憶が止まる。

 昔、僕はこの青髪の子と同じぐらいの時に、道に迷って此処にたどり着いた事があった。そこで積まれていた巻物を広げて書かれている物語を読み耽っていたはずだ。思い出した思い出した。そうだ、この青髪の子も隣で一緒に読んでいたんだ。

 「あざね?。」
 そう、名前を呼ぶと僕の顔を見上げていた青髪の子はニコリと嬉しそうに笑った気がした。
 
 だとするとだ。此処にある物語は全部各妖怪や怪異が出てくる不思議な物語ばかりだったはず。それらを取り扱っている店主さんの事だ。もしかしたらソレ等について詳しいのかもしれない。

 「あの、店主さん。少しお聞きしてもいいですか。突拍子とっぴょうしもない話なんですが。」
 「あぁ、構わないよ。どうしたんだい。」

「目の様な痣が身体中に浮かび上がる妖怪とかって確かいたはずなんですが、知っていたりしませんか。今、友人が変な症状に悩まされていて、立て続けの不幸も重なっていて。もしかしたら…。」

 「魑魅すだまの類だと疑っている、という理由だね。」
 と続きを返す店主に頷く。そして父にも話した涼の容態と風土や怪異について調べている事を全て伝える。

 それを聞いた店主は、思っていたより早く事が訪れた様だねと囁くように漏らした。
 小さくて聞こえづらかったけど、店主は確かにそう言った。まるで起こっている事の一部始終を知っているかのような含みを持ったみと小言だった。

「それは恐らく百目鬼という怪異だ。かつて人間にしては珍しい怪異を絵に起こせたやからがいてね。鳥山 石燕とりやま せきえんという。」

 昔に思いを馳せるように煙管を吸い甘い紫煙と共に店主が続ける。

「その浮世絵師うきよえしが姿を与えたことで噂と認知が広まった。知られている百々目鬼は信仰や神体どころか、ましてや扱われる事すらもない程に薄い存在ではあるのさ。けれど地名があるように百々目鬼を信仰している一部の地域も残ってはいる。君と友人の後ろに付いて遊んでいた許嫁も確かそこの出だろう。」
 
 そうだ。この店主さんが言うように幼い頃、僕と涼にはもう一人一緒に遊んでいた女の子がいた。体が弱く、栃木の都市部から空気が合うって理由で引っ越して来た女の子だ。幼稚園の頃この地域に来て、小学校に入るころには三人でよく遊ぶようになっていた。涼が2年生の頃。
 "皐月さつきはいっつも俺に付いてくるよな!好きなのか?なら許嫁にしてやる!"。
 って言われて頬を赤らめていた可愛らしい少女だった。

 今となっては連絡は取らなくなってしまったが。
 
 涼はこの書店には来たことは無いはずだけど、皐月は一緒に来たことがあるんだっけか?じゃないとこの店主が知っているはずがない。
 
 その信仰が原因なのかもしれないね。と話す店主の口が歪んで微笑ほほえみが不気味に切り替わる。
 「けれどね。願う"名前"が悪かった。」
 「え?名前…ですか?」

 「あぁ、そうとも。百々目鬼の元の起こりは中々に悲惨でまわしいものでね。められ、騙されおとしめられた。救いもない母子の物語なのだよ。貧しさにあえぎ、あらがう為に身体を売るも安値で叩かれ、貰った性病で片目は腐り落ち、道端に落ちていた鳥目ちょうめ…俗に言う銅銭だね。それを拾ったが最後。見つかり盗人との汚名を着せられ、鳥目使って全身に焼印やきいんをおされたんだ。それが浮かび上がりさもうごめく眼のようだった。」

 君が言った今の友人の状態のようにね。と店主の目が細くなる。

 「拷問に耐え抜き村へ戻った女が見た光景は、我が娘が野ざらしの中。柵に入れられ痩せ死んでいる姿だったんだよ。石で鍵を叩き壊そうとするうち、掴む手は血に染まり両の指の何本かは潰れて使えなくなった。鍵を壊して感覚もない手に娘を抱え、はらいと言うなの拷問にて酷使した潰れた喉で叫んだ結果。負荷に耐えられず喉が裂けて死に至ったんだ。そんな金と男になぶられ笑われて死んでいった、女の怨念が百々目鬼の起源なんだよ。」

 「名前も百々目鬼とは違う。起源は怒怨女鬼(どおめき)だ。」

 
 それを信仰の時、知ってか知らずか起源の方を名乗ってしまったがゆえに彼に取り付いたのだろう。と話してくれた。やはり頼って正解だった。異界や怪異、魍魎もうりょうに妖怪。そういった魔のモノと呼ばれる書物の扱いに長けている人は大体、往々にして対処みたいな事まで知っていることが多い。それまで教えてくれたのは助かった。

 "これを持っていくと良い。役に立つだろうから"。
 そう言われて受け取った一度も開かれたことのないだろう真っ新な灰色の巻物を渡してくれた。
 
 「そろそろ宵の口が終わり、闇が馴染む頃合いだ。もう帰りなさい。訪れる客の質が変わってくるからね。うっかり出会うと大変だ。」

 ありがとうございました。そう一言伝えガラス戸を閉める時。青髪の子、あざねが悲しげに僕の顔を見たのが気がかりだった。
 薄暗い畦道を早足で実家に帰る道中。田んぼを挟んだ道に黒い大きな影がのそりのそりと纏屋の方面に足を引きるように向かっているのが見えて悪寒が走り、鳥肌が立った。

 …僕は、何も見なかった。

  ◯
 あの書店から戻って、一週間ほど立った日中。店主が言っていたことを思い出す。
 『君の周りに百目鬼どめき地方の出の者がいるか探してみることだ。怒怨女鬼どおめき氏神うじがみとしてまつり上げ、熱心に信仰している者がいない限り人に影響を与える程の力を持ちうる怪異ではないからね。』

 調べるとやはり皐月は百々目鬼地方、今で言う宇都宮うつのみや市の産まれだった。昔から涼に好意を抱いていた皐月がやったとは思えなかったけど両親を初め、村の知り合いに聞き回ったが皐月と家族以外に宇都宮出身の人物は居ないらしかった。

 「涼が退院して昨日で一週間か。そろそろ頃合いかな。連れて行かなきゃ。早く祓ってやらないと。」

 彼が動ける様になった頃、彼を連れて百目鬼地方の明神山みょうじんやまに出向くといい。
 店主はそう言っていた。山道の最奥にほこらがあるらしい。そこで起源の名を唱え、銅銭を3つ並べろと。真ん中の銭が自分たちの方に弾かれたら、巻物を広げ載っている呪禁じゅごんを唱えろって言っていた。やることは簡単だ。やれる。多分。

 銅銭はばぁちゃんから貰った。何に使うか聞かれたが誤魔化した。信心深いばぁちゃんの持ち物だ。絶対止められる。
 そうして手順を独り言のように呟いて整理していたら下から名前を呼ばれた。父からだ。

 「おーい。弥。降りてこい。急ぎで伝えることがある。」
 焦りからか、少し怒気が混ざっているように聞こえて下に降りた。冷や汗を垂らし、暗い表情の父が僕に告げた。

 「落ち着いてよく聞けよ。九石さんの所の涼くんが家の前で交通事故にあって亡くなった。」
 素直に言おう。悲しさよりも怖さが先に来た。

 今日でちょうど、3ヶ月目だったからだ。

 ◯
 
 涼の葬式の最中の記憶はあまりなかった。最後の別れのさかずきをした時、涼の表情は安らかそのものだったけど顔まで広がっていたあの痣はまだ残っていた。別れの言葉をかけた後、場の空気に耐えられず庭へ出た俺に涼の母親が色々と教えてくれた。

 退院した次の日から夜な夜な目の痣が見開いてぎょろぎょろ蠢いているんだと怯えていた事。次第に悪化していき一昨日、亡くなった日には半狂乱になって外に飛び出した途端、車に撥ねられて息を引き取ったという。轢かれた涼の姿は悲惨そのもので、両手の人差し指と中指がねじ切られるように無くなっていたと。

 「苦しんでいたのに、私は何も出来なかったの。」

 そう呟き泣き返す涼の母親を他所に僕の意識は涼の状態の方に向いていた。想像すればするほど纏屋で店主が話してくれた怒怨女鬼の起源の姿に酷使しているんだと気づき背筋がゾクリと粟だった。

 日が傾きかたむきかけている頃。葬儀も一通り終わり、夜が訪れる前に帰ろうとした時。涼が亡くなった道路に眼が向いた。

 「え、何あれ。ありえない。」
 そこには赤黒くただれた皮膚の女が酷い猫背で頭をカクンと落とし、長い髪を揺らせながら立ち尽くしていた。足が笑って動くことも出来ず鳥肌が立ち、喉が渇く。一歩踏み出す足が重い。

 僕の視線に気づいたのかその女の首が上がると同時。赤黒い皮膚全身に浮かぶ鳥目のような痣がぎょろりと眼を開き、一斉に僕の方を見た。あまりの恐怖に目を背けたくなるが女のどこを見ても張り付く眼と視線があう。

 最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。
 
 どうしよう。本当に。どうしよう。何をすればいいんだっけ。と、取り敢えずだ。名を唱えろって言っていたはずだ。あとは知らない、思い出せない。思い出す余裕なんてあるわけ無い。

 「怒怨女鬼様、怒怨女鬼様、怒怨女鬼様。」
 え、このあとなんだっけ。何を言えば良いんだっけ。あ、そうだ。小銭こぜに。銅銭だ。

 ズボンに入っていた銅銭を取り出そうとした時、眼の前の黒い女がカタカタカタと痙攣けいれんするように震えだし長い髪に隠れていたおでこから鬼のような2本の角が膿んだ皮膚を突き破り生えてきた。い、いやあの位置は違う。嫌な思考だけが頭によぎる。おでこじゃない。目があるところから生えている。きっと眼を内側から貫き生えているんだろう。

 そして、時空でも歪んだかのように、異様な走り方と緩急の付いた動きでこっちに迫ってくる。角が目と鼻の先に来た時、その女は両手を僕の頬を掴み角で潰された双眸を近づけてきた。

 はぁ、はぁと温く生臭い息が鼻にかかる。僕は失禁した。

 頬に触れる手の感触は気持ち悪いの一言だった。皮膚の下に膿でも溜まっているんだろうかと思うほどブヨブヨしていて色も黄色っぽい。頬に激しい痛みが走る。包丁で切られたような鋭い痛みが数か所から一斉に僕を襲う。

 痛みと恐怖で完全に自我が壊れ、自分が出している絶叫ですら他人事のように遠くから聞こえてくるような気がした。その中で黒い女の声だけははっきりと聞こえてきた。そう、耳のすぐ近くで。

 「リョウ…アイし手ル。」

 僕は、正気を失った。

 

  ◯
 両手の指で下瞼したまぶたを引きちぎれるほど掻きながら見開く眼に、つり上がった口からは血の混ざった泡を吹いて絶命している倭文 弥の横に佇む一人の人物。それは纏屋の女店主だった。

 銀の煙管を一吸いして甘い紫煙を吐いてしゃがむ。風に押されふわりとなびく黒鳳蝶のカーディガン。
 そして倒れる男の隣に、爛れた人間の皮膚で作られた人皮紙のような質感の巻物が転がる。
 それを手に取って嬉しそうに呟く。

 「強い想いを寄せる事は良いことだ。だが願う名前が悪かったようだね。3人共亡くなってしまった。」

 そう笑う店主の影は無数の黒鳳蝶に変り飛び立ち消えた。

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