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【子育て&教育の夫婦ゲンカの解決へ】母性的な育児の延長線と父性的な教育の価値観の違いの理解と社会的に壮大な夫婦ゲンカの落とし所

「生命を守る」と「生き残るために戦う」は、似ているけど少し違う。

自身が受けた教育と10年ほど日本の学校教育とそこに対するご家庭の想いや考えを現場で触れてきて考えるのは、「皆に合わせる」「マイナスを無くす」「上からの指示に従う」という「リスク回避」が主軸となる理由が「生物として生き残るための母性愛的に湧き出る不安」が根っ子にあるというもの。

自然界でも、多くの個体数の群れの中で生きる時、何か特別な能力や才能よりも、いかに皆についてゆくか?落ちこぼれないか?が、生命を守る手段であり、「とにかく生命を守りたい」というのが、生まれたばかりの赤ちゃんにも抱く親の自然な感情かと思います。

ただそのリスク回避中心の育児や保育、子育ては、やがて群れから離れて社会へ出てゆくための教育へとなるはずですが、その幼き頃の子供への想い、考えのまま、教育や社会に対しても同じように立ち向かう「沢山の母性愛」があるように、多くのご家庭の話を聞いてて思います。

しかしその元は、家庭や教育を考えずに外で仕事だけしてきた日本の男たちが原因ではあるので、今更急にそこに論理だけを振りかざして、母性愛的に頑張って来た気持ちや不安を否定するかのような議論も無茶があり、それこそ子どもを巡る夫婦喧嘩の原因でもあります。

もちろん単純に「男の仕事と女の家庭」と言う昭和を批判したいのでは無く、母性愛言っても、これも、女性全部を指すわけでない(必ず私は違うという女性が出てくるので)のですが、「生命を守る」側の想いを中心に教育をしてきて肥大して、そのままそこに色々と正当性を持たせてきたというのを、日本社会がヤバくなってきた今、ちょっと整理していこうよというものです。

そのために必要なのが、女性に比較的多い(あぁ面倒な言い回し)「生命を守る側の育児、子育て」の想いや考えを、良い悪いでは無く、ホルモンに左右されず、認識する事。

そして、もう日本社会が平和で安全な牧場では無く、サバンナのようなサバイバルが必要な時代になってきた事を、安全な場所で「生命を守る側」として頑張ってきてくれた想いに感謝をしつつ、これからの生き残りについての教育部分について、「守るだけではヤバいみたい」という話をしなければならない時期に来たように思います。

これは下手したら、子育てにおける壮大な夫婦喧嘩のような可能性があるので、「生命を守る」と「生き残るために戦う」のそれぞれの想いも考えも、父も母も互いに理解しながらの冷静かつ笑顔の話ができたら良いかと思います。

ただこの時に厄介なのが「私は私の考えと想いで生きてゆく」という、交わらないことを良しとする身の守り方をしちゃう人々。

子育てや教育に関係無い人なら良いけど、人が成長過程の中で生きてゆくには、父性も母性も必要なので、自分とは根本的に異なると思ってしまう相手とも、もう離婚だ!とせずに、ある意味考えを同居しかてもらう必要がありますね。

これからも「オモシロと学び」の情報や考え方を伝えていきたいのでサポート頂けたら嬉しいです!