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セルフ-アクセプタンス(自己受容)のとらまえかた

セルフアクセプタンスは日本語で、自己受容と言い、下記のような定義があります。

自分の思考と感情をあるがままの状態にしておくこと。その思考・感情が喜ばしいものでも、つらいものでも、心を開いて、それを受け入れる場所を作ること。思考に抗うのをやめ、それが自然と湧き起こったり消えたりするのに任せること。
明日から使えるACT入門
自己受容とは、自己の現実の姿について正確な観察を行ない、自己の特徴を十分自覚していることを意味するもので、 個人の自覚内容を価値判断を含めずに受けいれること。
Combs&Snygg(1959)
価値ある一人の人間として、非難よりむしろ尊敬に値するものとして自分自身を知覚すること」であり「自分の基準を他人の態度や願望に基づいたものでなく、むしろ自分自身の経験に基づくものとして知覚すること。そして、受容しているか否かの程度を問題にするのではなく、受容としてありのままの特徴をうけいれる態度や構え。
Rogers(1949)


この「受容」という言葉を誤解して、自分の人生に取り入れている人がいることが多いように感じられます。そして、それはあまり人生を豊かにしないように思われます。

受容という言葉から連想されるのは、受け身(パッシブ)な状態です。なので、自己受容を、「 諦めること、我慢すること、耐えること、忍ぶこと 」 などというように、今の状況の意味を変えることで、受け身な状態を肯定するように認知を書き換える、または、とらまえ直す行為が伺えます。

それはそれで不安定なこころを落ちつかせる、宥めるには効果的かもしれません。しかし、これは本来の自己受容(アクセプタンス)とはかけ離れたものです。

なぜなら、今の状況を受け入れて肯定することにより、自分の生活をより豊かにする行動から遠のいてしまう状態を引き起こす。つまり、改善する行動を起こさないようになるということが起こる可能性を秘めているからです。

ある種、妥協的に今を受け入れるというような姿勢になる場合があるということです。

問題はこの姿勢が人生を豊かにするのかというところにあります。

ここでいう自己受容(アクセプタンス)というものは、受動的ではなく、能動的(アクティブ)なものです。ここに大きな違いがあります、

能動的とは、他からのはたらきかけを待たずにみずから活動すること。
goo

何のために能動的に受け入れていくのか。それは、「 自分の価値に沿ってより豊かな人生にする行動をとるため 」です。

そのための行動を止めないために、能動的に受容していく姿勢を自己受容(アクセプタンス)と言います。主に、過去の経験から培ってきた生存戦略の壁にぶつかることになるのですが。

また、受容するという行為は、その受容する対象をコントロール(制御)しようとするのではなく、コントロールすることを手放し、俯瞰して観察できる場所にそっと置いておく。というマインドセットです。

例えば感情は、一時的な身体の平衡状態の乱れですが、動的に平衡状態を保とうとする身体も揺らぐものです。

波紋は近くで見ると大きな波を描きますが、距離が離れれば離れるほど、その波は揺らぎのない一本の線のように見えます。ですから、その一点にフォーカスするのではなく、視野を広げることで気にならなくなります。





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