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【投稿企画】私にとっての幸せ〜ウェルビーイングのために〜

#ウェルビーイングのために

note公式さんの記事を引用すると、

「「ウェルビーイング(Well-being)」とは、well(よい)とbeing(状態)からなる言葉で、世界保健機関(WHO)によると「個人や社会のよい状態。健康と同じように日常生活の一要素であり、社会的、経済的、環境的な状況によって決定される(翻訳)」

と書かれていますが、

WHOは健康の定義の中で「Well-being」という表現を使っています。

WHO 「健康の定義」(1947年)
「健康とは、肉体的、精神的及び社会的に完全に良好な状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない。」
"Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."

そして時が経ち、様々な技術が発展し人々の生活が変わっていく中で、1998年に健康の定義を見直す動きがあったことをみなさんはご存知でしょうか?

肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも満たされているが、それでも健康だとは言えない人、他の部分において満たされていないことによって健康や幸せを手にすることができていない人がいたらからです。

そこで出てきた改正案が次の文章です。

WHO 「健康の定義」(1998年 改定案)
「健康とは、身体的、精神的、スピリチュアル、社会的により良い、調和のとれた状態であり続けることで、単に疾病がないとか、虚弱ではないということではない。」
"Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity."

この改正案は「健康」の確保において<生きている意味・生きがい>などの追求が重要との立場から提起されたのですが、
元々あった定義に2つの単語、すなわち、dynamic(動的・継続的)とspiritual(スピリチュアル)を加えようとしたのでした。
 
結果的に色々な事情があってこの改正案は否決されたのですが、人間の健康について考え直す大きなきっかけとなりました。

聖書を読むと、人間には<肉体>の他に<霊体>があると書かれています。
<霊体>というと拒否反応を示す方もいらっしゃるかもしれませんが、<本質的なこと>だと捉えてくださったら大丈夫です。
愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制といった、臨時的・瞬間的な喜びとは一線を画した人間の本質の部分です。

そして、聖書には以下のような有名な言葉があります。

『マタイによる福音書4章4節』
イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」。

人はご飯を食べて肉が満たされるだけでは幸せになることができず、
神様の御言葉を聞くことで自分の霊、自分の本質的な部分が満たされてこそ、生きがいを感じることができ、真の愛・真の幸せを感じて生きることができる。

ということです。

だから「私にとっての幸せ」とは、
美味しいものを食べる・自分が好きなことをする・社会の役に立つ、その全ても幸せの一部と言えますが、
「より根本的で、より永続的で、より真実な幸せは、愛に満たされている状態であり、
愛が満たされるためには、愛の根本であられる神様の愛を受けてこそ、本当の意味でウェルビーイング(Well-being)が実現される」

と考えます。

ヨハネの第一の手紙4章16節
わたしたちは、神がわたしたちに対して持っておられる愛を知り、かつ信じている。神は愛である。愛のうちにいる者は、神におり、神も彼にいます。

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