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こうして歴史と文化はあっさりと消えていく

『平安の苑』廣江美之助(ひろえ みのすけ)/1981年(昭和56年)平安神宮発行

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京都・平安神宮の庭園は「平安神宮神苑」と呼ばれ、約10,000坪(総面積約33,000㎡)の広大な庭園が社殿を取り囲むように東・中・西・南の四つのエリアからなる明治時代の代表的な日本庭園として親しまれてる。
この本はそんな平安神宮神苑の一応の完成を記念するとともに「他に類なき新機軸の事業の一助として、植物文化史的な資料となるべく記述したもの」という野心作だ。

そこでここでは『平安の苑』をありがたく「植物文化史的な資料」として是々非々に活用させてもらう。

本著作に収められた植物の数は180種にのぼる。その中には「大麻」の項目もあり、その他の植物と同じように平安時代の著作である『竹取物語』『伊勢物語』『古今和歌集』『枕草子』『源氏物語』などの古典での登場とともに紹介されてる。

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大麻の項目で著者は、『伊勢物語』『古今和歌集』『枕草子』での大麻の記述を紹介しつつ「麻と大麻は麻薬取締法により、栽培禁止植物である」と断言する。
そして「神社庁では、天照皇大神宮のお札様を、神宮大麻の名称で配布されているが、これは禁止植物の大麻をその名称とする旧来の風習は良くない」として「神宮招霊(じんぐうおがたま)」と「改名した方が時代にふさわしい」と述べる。

ちなみに麻薬取締法、現在の「麻薬及び向精神薬取締法」だが大麻はそもそも取締の範囲ではない。大麻は「大麻取締法」の範疇であり、余談だが「麻薬及び向精神薬取締法」「大麻取締法」「覚せい剤取締法」「あへん法」の4つを合わせて、薬物四法と呼ばれている。まぁ、それはさておき、神宮大麻が筆者の提唱する「神宮招霊」に変わらなかったことは「喜ばしく」ある。

また筆者は水戸烈公(水戸藩第九代の藩主、徳川斉昭の諡号(しごう))の「誰も知れ麻よりも亦文草は直き心におふべきものと」という歌を紹介しつつ、「現代は絹、羊毛、更には化学繊維などによって、アサの生産は漸次狭められて、栽培も痕跡を残すだけになった。まして栽培禁止植物となったアサは、今後、法務大臣の許可なくしては、栽培不能なことから、今後はその植物の生存すら疑わしいものである」と述べる。

日本における大麻栽培は「痕跡を残すだけ」ではなく本書が発行された1981年も、この文章を書いている2020年もその数を減らしながらも継続して続いている。そして法務大臣の許可ではなく厚労省の管轄であり、各都道府県知事の許可で栽培可能である。
大麻という植物は日本において生存し続けている〜生存という言葉もどうかと思うが〜ばかりでなく、世界に目を向けると「グリーンラッシュ」と呼ばれるほど注目の植物となっていることは「喜ばしく」あることは明記しておきたい。

「喜ばしくある」変化

僕は必ずしもすべての文化が継承されていくべきだとは考えていない。例えば生贄が人ではなく饅頭や土偶などに変化したことは「喜ばしく」ある。時代の変化とともに文化そのものを変化させることが実は文化を守り歴史を引き継いでいくことにも繋がることも知っている。それは「古典」「クラシック」という名を持つジャンルがある音楽や演劇、ダンス、落語、歌舞伎と枚挙にいとまがない。それは新旧のジレンマでもあり命題でもある。

そして『平安の苑』の著者が大麻について「喜ばしくある」こととして述べているのはある神社が著者の「注告」によって大麻を使わなくなったことだ。

「京都、上賀茂神社の夏越祭は、麻でお祓いをする習慣であった。しかし筆者の注告により昭和五十五年夏からは、麻を取止め、榊のお祓と改められたことは喜ばしく、又時代の変遷でもある。」

著者のいう夏越祭は夏越大祓式(なごしのおおはらえしき)のことだろう。思わず、「お前かー」とツッコミを入れたくなるが、これが筆者の言う「時代の変遷」でもあり、「ダメ、絶対」という戦後から続く時代の雰囲気だったのだろう。とはいえ、神社が大麻を使わないように働きかけたことをなんの罪悪感もなく、どちらかというと誇らしげに「植物文化史的な資料」に記録してしまう神経がわからないが、記述してくれたことでなぜ神社において必要不可欠なものと思われる大麻が消えていったのか、その変遷が分かる点では本書は大麻史であるとともに神社史でもありまさしく植物史でもあるようだ。ただし迫害史としての歴史書であり「喜ばしく」あることでは決してない。「植物文化史的な資料」を目指した本とは思えず、もはやたちの悪いブラックジョークでしかない。

本書における著者の略歴を見ると、

植物系統分類学専攻(京都帝国大学を経て、カルフォルニア大学留学) 理学博士 京都大学53年勤続後退官、京都府警察本部植物分類学顧問 池坊文化学院講師日本画専門学校 救世専門学院講師 京都老人大学講師 カルフォルニア大学、ケンブリッジ大学植物共同研究員 環境科学総合研究委員 同附属研究圃場委員長 日本各種植物学学会関係会員 西アメリカ植物学会会員 洋蘭友の会会長 世界平和協会理事 泉湧寺を守る会評議員 救世観音奉讃会会長 鞍馬寺総代 鞍馬山自然博物苑委員 竹の会顧問 奈良女子大学、京都府立大学講師歴任 上田秋成研究会会長 城南離宮の庭顧問、平安神宮神苑顧問等

とあり、Wikipediaから略歴を拾うと、

廣江美之助(ひろえ みのすけ、1914年6月7日 - 2000年1月12日)は日本の植物学者である。専門はセリ科植物の分類学的研究である。
岐阜県出身、東京大学の植物学科を経て、カリフォルニア大学に留学した。京都大学の教授を長く務めた。昭和30年頃から警察の植物鑑定に協力し、『捜査植物学』全4巻を出版し、京都府警永年捜査貢献賞を受賞した。

さらに本書冒頭に書かれた発行時の平安神宮宮司によると、「理学博士で日本唯一の古典植物研究者」という感じだ。反論することが不可能な死者に鞭打つようで、気が引けるが、立場からなのか、だからこそなのか、立場に寄り添ったのか、もはや本人に確かめることはできないが、『平安の苑』における筆者の大麻への偏見は、さまざまな思い込みの上に成り立った見解と解釈、そして権威を利用した高慢傲慢な態度だと断言したい。そして記載された神社仏閣以外にも影響を与えたことを想像することは容易い。このような影響力のある人が現在にまで続く「ダメ、絶対」の基礎を作っていったという事実を重く受け止めたい。そして植物学者が一植物への愛着ではなく嫌悪をあらわにしてしまっていることを悲しく思う。

「植物としての大麻」

日本に根付いている「ダメ、絶対」と「神の依代」としての大麻。それは法律と信仰の問題でもあり、歴史の断絶の問題でもある。大麻への理解を進め、未来に繋げていくためにはもしかしたら一番のベースとなる「植物としての大麻」を取り戻す作業からはじめなければならないのかもしれない。

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