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青いドレス

朝6時のアラームを止め、ふとんをまくりながら上半身を起こす。起床後は、まずはベランダの窓を開ける。車の走行音が耳に届き、肌をなでるような風を顔、肩、腕に感じる。向かいの家の梅の木が咲いている。そろそろ春だろうか。

ぼくは、出勤前の朝6時半から7時半まで公園にいくことを日課にしている。目的は、人間観察だ。さまざまな人間の表情や服装、行動をながめては、その変化を観察している。この日課を続けて、もうすぐ1年になる。

「アレクサ、今日の天気は」
「今日の天気は、おおむね快晴です。予想最高気温は15℃、予想最低気温は4℃です。またいつでも聞いてください」

なんとなくSNSを5分程ながめた後、ささっと支度をして公園へと向かう。歩いて10分くらいの距離だ。

外に出ると、都心へ向かうトラックが目立つ。びゅうーん、びゅうーんと後ろから車がときおり走り抜けていく。まだまだ空気は冷たい。空は朝を思わす水色をまといはじめているが、地平線の薄紫色が夜の余韻を感じさせる。気付くと深呼吸していた。

「いやあ、これだ。朝だ。朝がやってきた」

歩きながら、空は明度を少しずつ高め、青さが増していく。今日も社会が、経済が、ぼくの1日がはじまった。

* * *

公園につくと、入口からそのまま左の道を進み、いつも座っている鉄製のベンチに腰をおろす。座る部分は木製だから、冷たさがやわらぐ。

大型とまではいかないが、目の前に円形の芝生エリアが広がるこの公園は、ランニングができるほどの大きさではある。たまにある地域の大きめの公園といった感じだ。

ランニングをしている半袖の40代男性。ゆっくりとした歩みで散歩をする老夫婦。犬の散歩をする若い女性。だいたいこの3組は常連である。あっちからしたら、ぼくも常連だろう。

ランニングをする男性の服装は青と黒の2パターンがある。走るペースは一定で、早くも遅くもなく、小さく「は、は、は」と呼吸しながら、広場の円形の道を淡々と走っている。

老夫婦はいつもなにか会話をしながら散歩している。内容が聞こえないときもあるが、つい耳をそばだてて聴こうとしてしまう。

「いつもスーパーでQRコードを出すの忘れちゃうのよ。つい現金だしちゃう」
「今月はポイントつくから、QRのほうがいいぞ」

老夫婦を追い越すように、後ろから若い女性が犬を連れて歩いてくる。おそらく大学生であろうその女性は、スマホを見ながら進んでいる。老夫婦の奥さんのほうが、その光景にすこし鋭い横目を注いでいる。と思ったら視線は犬に移り、笑みがこぼれる。

「かわいいねえ」

女性と犬が目の前を通り過ぎようとするあたりで、犬が茂みに向かって走ろうとする。それに女性がつられて早足になり、なんらかの作業を中断した右手がスマホを強く握っている。

「ちょっとハナ、ちょっと」

ベンチに座りながら目線で追っていると、ふと女性のパーカーの背中の文字が目に入る。YOLOと書いてある。

「You only live once.」

「あなたの人生は一度きり」これを略したものであることに気づくのに、数秒かかった。「ヨロ」なんて、響きは軽いが、いい言葉だ。そのまま飲み込むと重たすぎる言葉を、圧縮して、軽くみせている。

こうしてぼくの朝の時間は、ベンチに腰をかけながら過ぎていく。

彼ら彼女らは、これからどういう1日を過ごすのだろう。そして、明日の朝はどんな顔をしているのだろう。一方的な観察で身勝手ではあるが、変わらない日常こそが、平和そのものの光景ではないか。

「ちょっとすみませんね」

老夫婦の奥さんにふと言われ、我に返る。気づいたら足を組み、思考にあわせて左足を前後にゆらしていた。つい考え込んでしまっていたようだ。他の通行人ともすれ違う関係で、足がすこし進行の邪魔をしていたようだった。

「あ、すみません」

ぼそっと伝える。奥さんは無言でそのまま通り過ぎてしまった。

こういうとき、テンションが下がる。1日の流れに汚れをつけてしまったような気持ちがする。あまり強い精神は持ち合わせていない。はあ。

* * *

翌日の朝、公園はいつも通りだった。ただ、老夫婦が通り過ぎるとき、昨日のことを思い出してしまい、普段通りの観察はできなかった。不安な気持ちになったのだろう。

その日は、若い女性は犬を散歩しながら、なにやらスマホに喋りかけていた。誰かと会話している様子はなく、おそらく友人に音声メッセージを送っているのだろう。

「おはよう〜 夢見るアリス団のチケット買った?早めに買っておかないと売り切れになるかもしれないから、よろしくね!」

メッセージを送ると満足したようにスマホをポケットにしまい、若い女性は歩く速度を戻し、犬の散歩を続けた。今日のパーカーにもYOLOの文字があった。これで2日連続だ。昨日はモノクロのシンプルなものだったが、今朝はレインボーカラーのYOLOである。

「一体何枚もってるんだ。なにかの安売りでまとめ買いしたのか。それにしてもYOLOデザインだけのセールなんてあるのか」

そんなふうにまた考え込んでいると、目の前にひらひらと踊る青が視界に飛び込んできた。見上げると、青いドレスを着た女性が横切っていた。

* **

その女性は、数メートル離れたところにある正面左側のベンチ前で歩みをゆるめ、体の向きを90度変え、ゆっくりと腰をおろし、バッグを置いた。

ドレスは縦線のしわが1センチ間隔で入っているようなデザインになっていて、生地は薄そうだった。そこに同じ色のマフラーを合わせていた。青といっても青空にふさわしい天色といった感じで、光が当たると余計に鮮明になった。バッグとブーツは黒だった。

この公園に1年間通っているが、初めて見た。服装が違っただけで、同じ女性を見かけた可能性はあるが、あの青いドレスは一度見れば記憶に残る。印象的な新参者がやってきた。

その女性は、バッグからワイヤレスイヤホンを取り出し、両耳にはめて、そのままずっと公園をながめていた。わざわざベンチに座ってからイヤホンをつけるあたりが、なにかしらの儀式を思わせないでもなかった。

結局、彼女はぼくが帰る時間になっても、イヤホンをつけたまま、ずっと公園をながめていた。

* * *

翌日も、翌々日も、1週間後も、青いドレスの女性は現れた。決まったようにぼくの正面左側のベンチに座り、イヤホンを両耳にはめて、ずっと公園をながめていた。

3週間が経過して、青いドレスの女性はぼくのなかでは常連になった。すっかりぼくの毎日の平和な光景に馴染んでいった。

* * *

青いドレスの女性が現れて1ヶ月ほど経過したある日、彼女を撮影している人を見かけた。気づかれないように、少し離れた位置から撮影している。

「それは盗撮ではないのか」

そうモヤモヤしながら、撮影する人は日に日に増していった。毎朝、2〜3人は見かけるようになった。おそらく気づいているであろう青いドレスの女性は、何も起こっていないかのように、イヤホンをつけたまま公園をながめている。

その夜、SNSをチェックしていると、青いドレスの女性の動画が流れてきた。思わずスクロールする指が止まる。

そこには短いコメントと撮影した日付がそえられていた。

「この人、いつ撮っても同じ動きしてない? 2030.3.18」
「バッグの置き方、まじで一緒 2030.3.20」
「先週の水曜日とまったく同じ動きじゃん 2030.3.27」

特に多かった動画が、彼女がベンチに座るとき、帰り際にベンチから立ち上がるときの動画だった。動画にそえられたばらばらの日付を信じるならば、確かに違う日なのに同じ日に撮影したかのような動作のシンクロがある。服装だって同じである。

「この人、アンドロイドだったりして」

そんなコメントが目に入り、ぼくは急に不安になる。もしかしたら、ぼくは観察されていた側だったのか。見ているつもりが、ずっと見られていたのか。

* * *

青いドレスの女性の動画は、ネット上でどんどん増えていき、なかには50万いいねがついているものもあった。ほとんどの動画には「青いドレスを着たアンドロイド」を意味する「#bluedressAndroid」というハッシュタグがついていた。全国、いや世界で話題になりつつあった。

「彼女はアンドロイドなのだろうか」

そんなことを考えながら、毎朝公園にいき、青いドレスの女性をながめる。

「いつも同じ動きしてない?」

ふと動画のコメントを思い出し、彼女がベンチに座る動作を観察してみた。ベンチの2メートルほど手前で歩みをゆっくりに、両足をそろえ、90度回り、腰をおろし、彼女からみて左側にバッグを置いていた。

観察すればするほど、日に日にその規則性を感じずにはいられなかった。ベンチに向かっているときは右手でバッグを持っているが、体を90度回すタイミングで左手をそえて両手持ちに切り替え、座った後にバッグを置くときは必ず左で置き、その後ちゃんと置けたかどうか確かめるように右手でバッグの取手をぽんと2度触る。毎日、同じだった。

公園をながめているときだって、観察対象を切り替えるように、2〜3分おきに顔の向きを変えている。それを5回繰り返すと、足を組み、また5回繰り返すと足を戻すようだった。

「彼女は、本当にアンドロイドなのかもしれない」

世間での注目度と連鎖するように、ぼくの不安は大きくなっていった。彼女を撮影しにくる人たちは日に日に増え、いまや常に10人ほどいるような状態だった。その状況をなんとも思っていない彼女の様子は、さらにアンドロイドであることを裏付けているようにも見えた。

ぼくの毎朝の平和な時間が、乱されてしまった。

* * *

ぼくは体調を崩した。こんなのいつぶりだろう。体がだるい。足が重い。歩くのがきつい。もう3日間、公園には行っていない。職場の上司には連絡を入れ、休みはとらせてもらったが、大事な習慣が途切れてしまったことがなにより大きい。

ふと、あの青いドレスの女性を初めて見かけたときのことを思い出す。あのふわっと舞う天色。思えば、当時は老夫婦の奥さんの一言で気持ちが沈んでいたときだ。そんなストレスのことはすっかり忘れていた。ストレスにさらに大きいストレスがかぶさると、以前のものは上書きされるようだ。

もう、彼女がアンドロイドかどうかなんてどうでもよくなってきた。それより、早く回復して、朝の公園を再開したい。

* * *

翌朝SNSで流れてきた青いドレスの女性は、レポーターの前でいきいきと喋っていた。

「夢見るアリス団所属の桜花(おうか)と申します」

公園での様子とはまったく違い、表情豊かに喋っている。どうみても人間にしか見えない。よかった。アンドロイドではなかったのか。

そのまま続きを見ていると、レポーターが「ネット上でアンドロイドなんじゃないか?と話題ですね」と質問する。

「あ、いやいや、もちろん人間ですよ」

彼女は公園にいたときとは想像もできないような笑みで、顔の前で左手を左右に振り「ちがうちがう」と示すように受け応えている。

「今年の冬に上演予定のための稽古の一環で、自主的にやっているんです。AIと人間の共創がテーマなのですが、私がアンドロイド役なんです。アンドロイドは人間をどう見ているのだろう?って思って、それで毎朝公園にいって、同じ動作をして、できるだけ感情をおしころして、人間を観察しています。というか、そのフリみたいなものですけど。稽古の効果があるかどうかはわかりませんが」

その数分間の短いインタビューで、彼女はうまい具合に公演の告知を最後にはさみこんでいた。ぼくにとっての朗報は、彼女がアンドロイドではなかったこと、彼女の自主稽古が終わったことだった。

また、いつもと同じような光景を公園で見られる。大切な習慣を再開できる。そう考えると、体がすこし軽くなったような気がした。

* * *

翌朝、上司の電話で目が覚めた。

「体調どう?ちょっと緊急で人手が足りなくてさ。もし回復してるようだったら、病み上がりで申し訳ないんだけど、明日これない?」

もう1日休みたかったところだったが、青いドレスの女性の件がスッキリして回復傾向だったぼくは、しぶしぶ承諾した。

「わかりました。今日ちょっと病院に行ってきます。7割回復している感じではあるんですけど、念の為行ってきて、明日できるだけ万全の状態で勤務します」

「ありがとう。そこまでしなくてもいいとは思うけど、もし必要だったらリフレッシュしてきてな」

* * *

病院が混雑していると困るから、その日は公園の再開をお預けにして、そのまま病院に向かった。15分ほど待って、医者と対面した。

「1週間ほど前から体がだるいです。足も重いし、外にでるのが億劫でなりません。ただ、昨日からだいぶマシにはなってきています」

「マシ」という言葉に表情をやわらげる医者だったが、「念のために」という感じで言葉をそえてきた。

「こういうことって最後に起こったのいつですか?」

滅多に風邪はひかない。最後は5年前だっただろうか。そう医者に伝えると、表情が少し厳しくなり、一呼吸おいてぼくにこう伝えた。

「そこまで長期間問題がなかったとすると、今回のダメージは表層に出ている以外にもあるかもしれません。一度治ったと思っても、1ヶ月後あたりにさらに重たいのがくる可能性があります。あなたの体は、おそらく風邪に慣れていません」

「念の為ではありますが、リフレッシュしておきますか」

少し考えて、ぼくは承諾した。やはりしておいたほうが安心かもしれない。最後のリフレッシュは、10年近く前だったはずだ。

「では、後ろを向いていただけますか」

そう言って医者は、ぼくの首の後ろにケーブルを差した。


※「練習ちょー短編」シリーズは、練習がてら、ちょー短い物語を書いていくシリーズです。

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