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自分だけの辞書を持ち、言葉と向き合う。

社会人時代、仕事で悩んでいるとき、「仕事って一体なんなのだろう」と思ったことが何度もあった。辞書を引けば、ある意味での説明はのっているけど、僕がほしいのはそんな説明ではなかった。

そんな時期から(24歳か25歳くらいだろうか)、僕は頭の中に自分なりの「辞書」をつくるようになった。なにかに悩んだとき、その事柄ってそもそもなんなの?ということを、自分が納得しやすい形で、「◯◯とは、◯◯である」みたいに貯めていった。

言葉って不思議で、辞書が説明してくれる(ある意味で常識的な)意味とは別に、その時代の社会や文化がおしつけた「印象」というものが、一緒についてくる。例えば「仕事」という言葉には、どこか「がんばるもの」という印象がある気がする。


『夢のカリフォルニア』という大好きな日本のドラマがある。堂本剛演じる大学生が、就活で面接を受けた企業の担当者に「仕事ってあなたにとってどんなものなんですか?」と質問して、こんな答えが返ってくる。

仕事っていうのは、人生において、ものすごく大きいものだよ。ただ、それが全てではない。仕事が全てではないんだ。

僕にとっては、この言葉が人生で最初の「辞書にのっている意味が全てではない」と思った瞬間。そして、自分の辞書を意識的につくっていくきっかけにもなった。

そうして僕は「仕事とは」への答えを、自分の中でどんどんアップデートしていった。

仕事とは、自分の中の青い炎を燃やすこと。
仕事とは、意味のあることをすること。
仕事とは、自分が生きやすい社会をつくること。
仕事とは、楽しさと社会貢献がちょうどよく混ざったもの。

答えを見つけることが目的ではなくて、自分の中でしっくりくる言葉を継続的に探していくことが大切。そして、頭の中の辞書がアップデートされると、日々の気持ちや行動にも影響を与えてくれたりするのが不思議だ。


「仕事とは」ではなくても、「働くとは」でもいいとは思う。今日の午前中に友人が記事を書いていて、なるほどなあと思った。「はたらく」とは、「畑を楽にすること」であると。

「はた=畑」。自分の耕す"畑"を、土地と自然現象に従い、時には対抗し、作物がうまく育つように、知恵を絞って"楽"な環境を整えていくことが、ここでいう「はたらく」ということ。

”畑”とは自分たちの暮らしをよくしていくために必要なもので、その土壌を耕していけばいくほど、どんどんよりよいものになっていく。

この言葉は、「仕事とは」にも置き換えられなくはない。さっそく、自分の辞書に追加しようではないか。

仕事とは、自分の中の青い炎を燃やすこと。
仕事とは、意味のあることをすること。
仕事とは、自分が生きやすい社会をつくること。
仕事とは、楽しさと社会貢献がちょうどよく混ざったもの。
働くとは、畑を楽にすること。


人生誰でも、どこかで迷ったりすることがある。そのときに、その経験と単語(もしくは動詞)をむすびつけて、自分なりに意味を付け加えておくと、のちのちの姿勢に役立つのではないかと思う。

それが人によって「旅とは」「恋とは」「人生とは」「友情とは」「家族とは」など、選ぶワードが変わってくるかもしれない。


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そういえば最近、「雑学ってなんだ」と思った。なんだか雑学って「役に立たない知識」って印象がある気がしたんだけど、いや、そんなことないじゃんって。まあ、辞書を引いたら「なるほどな」という意味が書いてあったのだけど。どこか「自慢するために勉強する」みたいな意味合いもあるのかなあって。雑学王、みたいなね、、、

こんな感じで、どんどん色々な言葉に違和感を感じてしまうのだけど、まあ、それがよいことなのかは、ちょっと判断ができない。

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