平成の終わり その2、なんで建築と民藝が好きだったんだっけ

今日は考えごとが捗るぞ。

なんで美学やったの?と聞かれて、ボケなわたしはいつも答えにどもっていたけど、そういえば…というのを思い出した(というか思いついた?)ので、ちょっと日記がわりに書き留めておこう。

もともと建築の仕事をしていた父母の影響で、小さい頃のおもちゃと言えばスケッチブックとクーピーだったり、

家にいろんな絵や画集(見ていたのはほぼいつかのスターウォーズ展の図録…)があったり、父母共にマンガアニメが好きだったりしたお陰もあって、

自然と芸術分野に興味を持つ環境ができていたことは明らかで、もしかしたら父母の試みが実った成果かもしれない。

ただ、それだけではなくて、わたしの経済環境(というほど大袈裟なものではないが)が、更に何に興味を持つかという点で寄与したことも特記すべきであろう。

決して、わたしの幼少における経済環境が悪かったとは言わない。特に小さい頃は家族3代で毎年北海道に行ってそれなりのリゾートで過ごしたりもしたし…

他方、中高生の頃などは、親は服を買ったりもしてくれないので、お昼ご飯用にもらう500円/日のお小遣いを、1日100円のおにぎりで我慢して残り400円を貯金し買い物や娯楽に投じたのは、やはり自分の中でも特筆すべき歴史の1つのように思う。

それを振り返るにつけて、決してとても裕福ではなかった、というのがわたしの印象である。

芸術における美の追求や、哲学における真理の探究は、やーーっぱり時間とお金に余裕のある人のすることだなというのが今の正直な感想である…

もちろんわたしは美しいものが大好きだし、絵を見るのもそれについて思いを馳せるのも好きなのだが、

この絵はこういう点が優れている、とか、この点が面白い!とか、そういった議論は、わたしにしてみればある種の思考訓練、趣味のようなものでしかないような気がする。残念なことに、わたしにはそれに多くの資源を割く余裕がない。

さて、その点まず建築は、絵やら彫刻やらとは異なって、まず実用に関わるという点で、例えば同じ必要コストを前提としても工夫次第で美しくなる可能性を秘めている(美しくするのに追加コストを要さない)といったようことが、貧乏な(笑)わたしの心を打ったように思う。

民藝-日用品もその延長で出会ったもので、卒論で扱った柳宗悦は、特に美しいものは日用で使われるべきである、それを叶えるのが、日用のために作られ、また素朴ゆえの美をたたえた、そして基本的に安価である民藝品だ、というところに共感を覚えたのであった。

平成の終わりまで時間がないので委細割愛するが(笑)、そういうわけでわたしの興味は建築と民藝に向いたわけなのである。

しかし、結局柳宗悦もそうであったように、こういうことを書いている暇があるわたしもまだまだ裕福な側の人間であるわけだし、畢竟矛盾は尽きないのである。

この後の思考訓練は新時代への宿題ということで!


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