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若さゆえの選択⑨ (母) ~瞳が語る覚悟~

 親にたて突くような反抗的な態度に、私は我慢なりませんでした。
 いつから詩乃は、こんな屁理屈をこねる身勝手な娘になってしまったのでしょう? きっと、夫がいつまでも甘く、また、詩乃も悪い友達に影響を受けてしまったせいかもしれません。さっき立ち寄った、なんとかハウス? とかいう数人が共同生活をするアパートに住んでいた人たちも、ちゃんとした定職にも就けてない、チャラチャラした頭の悪そうな子たちでした。

 こんな子といたら、うちの詩乃はますます悪い影響を受ける――。
 私はそう心配して、必至で詩乃を説得しました。しかし、詩乃は私の言葉に耳を貸しません。そして、あろうことかずっと口を閉ざしていた夫が、「詩乃を応援したい」と言い出したのです。私は、頭がくらくらして、めまいがしてくるようでした。

「……ちょっと、あなた。何言ってるの? 私たちは今日、詩乃を連れ帰りに来たのよ。詩乃にちゃんとした職につかせて、将来を考えさせるの! もし詩乃が後で後悔して、悲しむことになったら、ちゃんと説得しなかったあなたの責任よ」
 隣りに座る夫を睨みつけ、私は言いました。夫は、何か言いたいのを堪えるように、苦り切ったような顔をしています。私には、夫のその表情がたいそう不快に映りました。

「お母さんは、いつも他人任せだよね」
 意識の外で聞こえた声の意味を理解するまで、しばらく時間がかかりました。声の方を振り向くと、前方で詩乃が哀れんだように私を見ていました。
「何かあっても、いつも私やお父さんのせいにしてるだけ。お母さんはまるで、なにも悪くないみたいに」
 詩乃の言葉に、私は身体の奥がカッと熱くなりました。追い打ちをかけるように、詩乃の言葉が続きました。「そんなに、自分のせいになるのが恐いの?」と。
 眉間にしわを寄せ、心配そうに尋ねる詩乃。そんな様子が、私の心を逆撫でしました。
「責任とか、そういう問題じゃないの! 私はとにかく、詩乃のためを思って……」
 反論しようとしたところで、「千香」と隣りの夫に声をかけられました。振り返ると、夫が抑えて抑えて、と両手で落ち着くように促すジェスチャーをしています。いつの間にか声が大きくなり、周囲の注意が自分に向いているのを知った私は、羞恥心でいっぱいになりました。
 それもこれも、みんな言うことをきかない詩乃や、詩乃を甘やかす夫のせいで……。

 夫に指摘されて小さくなった私に、詩乃が訊ねました。
「私の人生の責任、お母さんに取れるの?」と。
「何言ってるの? 取れるわけないじゃない。詩乃の人生なんだから、自分で責任をとりなさい」
「わかった。じゃあ、そのかわりお母さんも私の人生に、余計な口出しはしないで」
 ピシャリと言い切った詩乃に、私は一瞬、返す言葉を失いました。
「お母さん、さっき言ったよね? 『もし詩乃が後で後悔して、悲しむことになったら』て。どうして、私が後で後悔して、悲しむことになるってわかるの? だって、私は今目の前のやりたいことを一生懸命やって、それで幸せに生きてるんだよ。何で、後で後悔するようになるのか、私にはわからない」
 反論できるものなら、どうぞやってみろ。そう、詩乃の目が言っているようでした。
 私が何も言えないでいると、詩乃が言葉を続けました。

「人が生きるのは、過去でも、未来でもなく、今この時なんだよ。
 お母さんの言う通り、もしかしたら、あとで振り返って『ああ、あのときこうしていれば良かった……』と思う日が来るかもしれない。でも、それは結果論であって、たらればの域を出ない話。人生は、選択の連続。瞬間瞬間で、その時その時にベストだと思える選択をしていくしかない。――今、私は万華鏡づくりを一生懸命やっているこの選択が、自分にとってはベストで、間違ってないと思ってる」

 確信を込めた口調で、詩乃はそう言い切りました。芯の通った、ゆるぎない声。
 私は、思わず隣りの夫を振り返りました。夫も驚いたように口を開け、そして私と目を合わせます。呼吸が、急に苦しくなるのを感じました。私はゆっくりと、詩乃に向き直ります。
 すぅーっと息を吸い込み、詩乃がまた口を開きました。
「もし私が今、万華鏡づくりをやめて家に帰ったら――。
 私は後で、間違いなく後悔する。絶対に。そして、きっと思う。『何であそこで、お父さんやお母さんの反対を押し切ってまで、自分の選択を信じて貫き通すさなかったんだ?』て。そんな後悔を背負って、私は生きたくない」

 どうしようも、できない――。
 そんな諦めが、じわじわ胸の中に滲んでくるのを感じました。
 認めたくない。けれど、認めざるを得ません。
 詩乃は、私たちが考えるよりずっと真剣に、一生懸命、詩乃の人生を生きている、と。
 ひどく落ち着いた、いえ、むしろ何かを覚悟したような目を、詩乃はじっとこちらに向けています。そんな詩乃の目を見た瞬間、ふいにハッとしたのです。
 ――この子は、万華鏡職人が稼げない、お金にならないと分かってる。けれどそれでも、一生懸命その道を歩もうとしている。唐突に、そんな思いが胸を占めました。
 
 それまで私は、きっと世間知らずの詩乃のことだから、将来の人生設計やお金のことなんて全く考えず、ただ一時の感情で、万華鏡づくりなどという子供の夢みたいなことをしているのだとばかり思っていました。
 ところが、落ち着いてじっとこちらを見つめる詩乃の目が、物言うことなく語っていたのです。
 ――私は、全部わかっている。わかっていてなお、この道を歩みたい、と。
 覚悟を決めてしまった娘を前に、夫も私も、ただ茫然と言葉を失っていました。

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