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ソーシャルワーカーが必要なくなればいい

今回は時々思っていたことを書いてみます

言い訳から

有資格者の先輩方、後輩、仲間たちや資格取得を目指している方から
なんてことを言ってるんだと反感をかって怒られそうなタイトルですが
否定的な言葉ですが、SWの存在を否定するつもりはありません
体調崩して退職を選択して僻んでいるわけでもありません( T_T)\(^-^ )
むしろ必要ということを協調したかった
そんな言い訳から書き出してみました(๑╹ω╹๑ )


「必要なくなればいい」の理由

専門職の知識や技術ではなく
一般的に誰もが知って理解して行動できるソーシャルワークになれば
身近な人、ご近所、地域の人がコミュニケーションを大事にして
多様な価値や個人を尊重し合い支え合う社会になればいいなぁ
そうすれば入所とか通所ということではない集いの場が自然にあって
支え合うネットワークは自然につながって構築されて
専門職でなくても誰もが普通のこととして支え合えれば
ソーシャルワーカーなんていなくてもいい世の中になればいいのに
そんなことを時々思っていたのです


20代の頃のショックが原点

「本気でSWになろうと思った頃の話」にも書いたように
人や社会に「怒り」「不信感」を抱いた新人の頃に出会った患者さんたち
病気の苦しさを正しく理解されていなかった社会だったために
人生のほとんどを病院から外に出してもらえず
時代が変わり理解を拡げようとしても、今更、社会復帰なんて酷な話
多くの患者さんを親族の代わりに見送る経験に何度も泣いた

癌が見つかり余命残り少ないとわかった患者さんの最後の願い
「墓参りしたいな」
病棟スタッフも願いを叶えてあげたいと共感してくれた
「帰るの何十年ぶりかな・・覚えてないな」と呟く患者さんと一緒に
人生初という飛行機に驚いたり、メニューにない食事を注文したり
夜に部屋を抜け出し自販機で買った缶ビールをわざわざ部屋に持ち帰って
グビグビと音を立てて飲むのを気づかないふりしたり
(事前に主治医と相談済みd( ̄  ̄))
とっても珍道中だったなぁ
さとうきび畑の間を一緒に歩き実家だったところを呆然と眺め
海岸沿いにある荒れたお墓を一緒に掃除して
一緒に泣いた
統制された情緒的関与なんてクソ喰らえだった
社会の不合理さの被害に何も不満を言わずに過ごした人生を終える前に
「亡くなった親に会って手を合わせたい」という人
SWと患者さんの関係だけど、ただの人と人として過ごした数日間
帰院してから嬉しそうに「ビールを飲んだ」と主治医に話していた
旅立つ前に願いが叶ってよかったと旅立つときに一緒にまた泣いた


いろんな人生があるからSWは無くならない

ふりかえると印象に残るエピソードが多すぎる
「命」「人生」「社会」「法律」「知識」
誰も悪くないけれど、全部が「理不尽」で酷すぎるよなぁ・・

いろんな人生がある
いろんな価値観がある

正義があれば悪がある
正義にも悪にもそれ以外にもグラデーションが・・
万人が満足な社会だったことなんてない
どんなに便利になっても人生が豊になるのではない
いろんな人生があるからこそ
社会の課題もなくなることはない

ソーシャルワークが必要になる
ソーシャルワーカーは必要とされる
その時代に必要な知識とスキルを学んで

すごくいい仕事だと思う


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