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本気でSWになろうと思った頃の話

この記事を開いていただいてありがとうございます。30年ほど前の当時を思い出して書きますが、当時の思いを表現していく中で、人や組織や仕組みを否定するつもりはなく、当時の時代背景からそういう時代だったのだということが、キッカケだったことを振り返ってみたいと思います。

大学卒業後、病院に入職した
それまでの話はこちら↓

病院に就職したけれど・・

一般企業の内定を辞退して病院に就職したのは
新築移転開設に興味を持ったから
30年前は福岡に1か所しかなかったストレスケア専門病棟
鹿児島の端っこに新設する
併せて認知症専門病棟(当時は痴呆専門病棟)も新設する
従来の病棟も明るく開放的に、廊下には絵画を飾ったり
食事も病院食のイメージを壊して食べる楽しみにこだわって
ストレスケア病棟は日本全国から利用していただけるように
などなど・・
30年前としてはびっくりする話に興味を抱いたから
研修後に新病院開設準備室で仕事をするかと思っていたら
SWとしてやっていくことになった


何もないし、どうしよう・・

部屋もデスクも椅子もない
記録用紙も業務内容も参考になるものもない

新病院開設準備室のデスクを使っていいと言われたものの
病院からは離れた小さな建物は・・
研修でお世話になった検査室(1人部署で部屋も超狭い)のおじさんのデスクを横から端っこだけ使わせてもらうことになるけれど
記録する用紙もないし、何すればいいかな・・ってなった
記録用紙は大学のテキストを参考にして作ろう・・
パソコンは院長と検査室にはあったから
少しずつ教えてもらおう・・それで院長とも仲良くなった
インターネットはもちろん、Windowsもまだ存在しない頃
MS-DOS のパソコンを少しずつ覚えるのは楽しかった
雑用のようだけど、パソコンで何をするか、記録項目は何が必要か
そんな作業していて思った「何事も意味がある」
どんな意味があるのかを知ることの大切さを感じた


まず患者さんと話してみよう

200名以上の入院患者さん
数十年入院している人がたくさんいた
22歳だった僕の人生以上を入院生活で過ごしている患者さん達
しかも、病院の敷地から出たことがないという
噂で「あそこに入院したら出れない」と聞いたことはあった
本当だったんだ・・・でも何故?どうして?
患者さん全員と話してみよう
畳部屋一部屋に6人くらいがいる
1日6人づつ話してみれば、2ヶ月くらいで全員と話せるだろう

言葉が聞き取れない人もいた
会話が成立しない人もいた
たくさん話してくれる人もいた
徐々に聞き取れない言葉もわかるようになった
カルテの記録に驚くことも多かった
中学や高校から入院している人も多かった
自分の産んだ赤ちゃんや家族を殺めて入院したという人もいた
家族はいるけれど面会には何年も何十年も来てないという人もいた
初めは僕が偏見を持っていたし怖いと思っていた
でも、話していくと「何かが違う」「何かがおかしい」と思った
素直で純粋な人ばかりだった
病気の症状に苦しんでとった行動で入院したけれど
社会では許されない「迷惑行為や犯罪を犯した人」とされたけど
病気の症状が問題で「人が問題ではない」ことを感じ始めた

ある患者さんの思い

学生の時から入院している
病院から出たことはない、面会もない
「親族に会いたい」「外に出てみたい」「仕事もしてみたい」
職員に尋ねてみたけれど
「無理」「無駄」「誰が責任とるの」そんな言葉ばかり
親族に連絡してみても「死んだときだけ連絡して」
電話だけでは納得できずに会いに行ってみた
入院前に困った話を全力で感情をぶつけられた
親族も泣いていた

できそうな事の優先順位を変更して
一緒に「外出すること」を考えたけれど、実現までは数ヶ月かかった
その間に県内の他の病院のPSWとして働いている方に会いに行った
どんな仕事をしているのか知りたかったし参考にしたかった
患者さん全員と話をしていることを伝えると
「職員と話すこと」も大事だと勧められた
夜勤の時間に全職員と話すことにした
PSWってどんなことをする人か説明できる自信はなかったけど
話題は「大卒なんでしょ?いいよね給料たくさんもらうんでしょ?」
大卒は医師と薬剤師くらいで珍しいらしく
毎晩そんな会話の繰り返しで虚しくなった


この国に生まれた不幸

職員とも患者さんとも全員何巡目かのコミュニケーションをとって数ヶ月
この国に生まれた不幸、この時代に生まれた不幸、この病気になった不幸
どこかで聞いた言葉の意味がわかってきた
患者さん、病気、法律、社会、歴史、向き合っていくと
僕の中に「怒り」「人間不信」が大きくなっていくのを感じた
偏見の怖さを感じた
一緒に働く専門職が諦めていることの「怒り」
実際を知らないで犯罪者のように否定する一般の方への「怒り」
これが現状なんだという「不信感」と仲間がいない「孤独」
これは変わっていくのだろうか?
いや変えないとダメなんだ!

本気でSWになろうと思った1年目の夏の頃だったと思う


最後まで読んでいただいてありがとうございます
30年前の昔話ですが、何か考えを整理するキッカケになれば幸いです

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