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そもそも『私』とは一体何者か?

これまで『障害年金』と自分が旅したりサッカー観戦した感想を記事に載せたのですが、そもそも私自身はどんな人か紹介していなかったので、ここではそのことについて触れたいと思います

まず、私は『発達障害』の当事者です
聞いたことないかもしれないので、くわしくは下記の通りです

発達障害とは、生まれつきの脳機能の発達のアンバランスさ・凸凹(でこぼこ)によって、社会生活に困難が発生する障害のことです。(NHK 発達障害て何だろう 発達障害て何?から)
発達障害は、生まれつき脳の発達が通常と違っているために、幼児のうちから症状が現れ、通常の育児ではうまくいかないことがあります。成長するにつれ、自分自身のもつ不得手な部分に気づき、生きにくさを感じることがあるかもしれません。
ですが、発達障害はその特性を本人や家族・周囲の人がよく理解し、その人にあったやり方で日常的な暮らしや学校や職場での過ごし方を工夫することが出来れば、持っている本来の力がしっかり生かされるようになります。
(厚生労働省 発達障害から)

つまり、自分自身は何も感じないままに、自身の行動に『こだわり』を持ちすぎたり、忘れ物が多すぎることによって、周りから白い目で見られたり、いじめの対象になりがちになるわけです

ここからは、どうして自分が『発達障害』だとわかったのかですが・・・
振り返ること10年前のことです
当時、仕事をしていて、何か違和感を感じていました
『言いたいことが伝わらない』『相手の気持ちが理解できない』
『空気が読めない』『記憶力がない』
そんな日々が続きました
そこで自分で調べた結果
『アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)』ではないかと知りました
10年前のことなので、世間ではあまり知られていなかったです
ただ自分がもしかしたら・・・と思い、地元の『発達障害者支援センター』に連絡を取って判定してほしいとお願いして、地元の大学付属病院に検査をしてもらいました

検査は積み木を積むこと、計算問題と読解力を試すことの2つ(他にもあったと思いますが・・・)
結果は『障害とは言えるかはわからない』ということ
つまり『グレーゾーン』でした
この結果で自分は『障害ではない』と認識し、単に自分が『しっかりしてないだけ』と捉えて今までと変わらない生活を送っていました
その捉え方が、この先の人生でより苦しむことになるとは思ってもいませんでした

今となってわかったのは、障害年金の申請の時に『病歴・就労状況等申立書』を作成した時のことです
生まれた時から何かしらの『不自由』を発信していたということ
しかし、当時は『障害』とは認識していなかったので、わかるまでは相当な時間を待たなければいけませんでした

結局、疑問を持ち始めてから7年の時間がかかりました
その間は本当に生きてることに苦しみを感じ、苦しみから『解放』されても『トラウマ』は続いていました
それでも、再度検査を行って『障害』と判定された時はほっとしました
努力不足でもなければ、自分が怠けているわけではないことがわかったのですから

少し、内容にまとまりがないので・・・
障害だからといって、悲しむことはないです
障害だからといって、生きていけないわけではないです

もちろん、ここまでたどり着くには相当な時間、周囲の理解と自分自身の意識を変えることだと思います
失ったものはありましたが、それ以上に得られたものはたくさんありました
たくさんの仲間とつながることができました
地元の奈良、大阪、そして東京でも

いつも思うのは・・・
誰でも、生きやすい世の中になってほしいことです

長々となりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます



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