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ヒトは誰もが、自分基準

いつでもどこでも、ほとんどのヒトは『自分基準』です。
自分のことは棚に上げて、自分を疑ってみることを怠って、『自分基準』を押し付けようとする性質が、誰にでもあります。

ほとんどのヒトが、自分が『常識の基準点』だと思って、自分以外のヒトを見て捉えているわけなので、『ヒトがヒトを評価する』という世界は、非常に厄介で難しいことになっていきます。

だとすると、誰にとっても、心の底から信頼・信用できるヒトからしか、自分の評価は受けたくないわけで、そうじゃないヒトから何を言われても素直に取り込めない(取り込まない)のではないか、と思います。

信頼関係が不足しているところでやる『ヒトがヒトを評価する』は、相互にとっての先々の関係性、効果や結果においても、難しいことを多くしていきます。権限や立場を利用して強要に走れば、肝心の信頼関係構築がますます遠ざかっていくばかりか、相手の仕事人生を壊しかねません。

所詮、ヒトは誰もが『自分基準』です。

その基準とのズレを『差』で捉えるほどに、相手の批評や否定ばかりがしたくなります。少し変えて、その基準とのズレを『違い』として捉えてみると、相手の持ち味や個性として尊重できる見方が、拓けてきます。

若いヒトたちと付き合っていくと、前者の『自分基準 × 差』というモノサシはもはや古臭くて通用しないことを教えてくれます。今世代と次代にもマッチした『自分基準 × 違い』という新しいモノサシを使いこなして、彼らにとって心地よい『信頼関係』を作っていく必要があると思う(相手のほうに媚びていく、という意味ではありません)。

肝心の『自分基準』が凝り固まっていると、うまくいきません。

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