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【企画】佐世保シビックテック探偵団(私塾)の立ち上げ


企画概要

自分の住む佐世保のまちの課題を、学生たちが自分たちで歩いて見つけ、みずから草の根のプロトタイピングを駆使して解決していく、学生向けシビックテックの私塾を作りたいと考えている。

その目的は、3つある。

「卒業などで佐世保を出る前に、自分たちの住む街をよく知り、もっと好きになってもらいたい。」

「小さな小さな課題であろうとも、能動的に自分から関わり佐世保に小さな変化を起こすことで、街づくりを自分ごとにして、わたしの街という意識を持ってもらうこと。」

「プログラミングやIoTなどのテクノロジーに親しみ、それを使いこなす楽しさを若い段階で知ってもらうこと。」

プログラム内容

プログラムは、こうした内容を想定している。

① まちの課題を見つける(1ヶ月間)
実際にフィールドワークで街に出て、自分が住む街の好きなところとその改善点を見つけてくる。あるいは自分が大好きな街の人の悩み事を見つけてくる。

② 課題の解決に有効なソリューションとテクノロジーを検討する(1ヶ月間)
地域のエンジニア、社会人、実業家なども交え、学生が見つけてきた地域の悩み事に対して、どんなアプローチがあるかを考える。

③プログラミングやIoTプロダクトを使って、プロトタイプを作ってみる。(1ヶ月間)
課題に対するアプローチが整理できたら、地域のエンジニアのサポートのもとで、学生同士でも教え合いながら、プロトタイプを作成する。

④ 実際に街の現場でプロトタイプを使ってみて、フィードバックをもらう。(1ヶ月間)
実際に作ったプロトタイプが機能するか街の中に持ち込み、関係者の意見などを聞きながら、改善点を確認する。

その後は、②〜④のサイクルを反復しながら、プロトタイプの精度を高めていきます。そして、その過程はSNSやウェブサイトを通して情報発信し、学生が大事だと感じている地域の悩みで、企業や行政などと連携が取れそうなものは、街の総力を上げてシビックテックとしての解決を目指していきます。

スパーリング

さて、こうした企画内容を幾人かに話をし、あえて厳しいフィードバックをもらっていった。

これをスパーリングというらしいのだが、「意味のイノベーション」と言われる考え方に基づいた方法論であるらしい。「デザイン思考」などは、対象をよく観察しその解法を探すという、外から内へという思考の流れになるのに対し、内から外へと向かう、内発的な個人の動機を大切にする思考法であるらしい。

というのも、ソリューション(解法)を探している場合は、外部を観察し、それを最適化し、答えを導き出すというデザイン思考は妥当なステップだ。ただ、イノベーション、未来にある未知の価値や意味を探求していくフェーズでは、その考え方では到達できない物があるということらしいのだ。

詳しい内容は知りたい方は、こちらのリンクの記事などに目を通してみてもらいたい。

内発的動機 私を動かしているもの

というわけで、このスパーリングに置いても、企画者である私の根源的な衝動と企画が接合できているかや、私が実施する必然性が感じられるかということが重要になってくる。

実際のスパーリングでの、フィードバック内容を共有する前に、その前提となる私自身の内発的動機を少し整理していきたい。

まず私は、現在まちの小さな金融機関に所属して、地域振興に関わる部署に所属している。その部署では、地域の事業者や学生と連携をし、地域の活性化に繋がる内容であれば比較的自由にプロジェクトを進められる環境となっている。

そうした中で、教育系や学生支援の複数のプロジェクトが現在平行して進んでいる。それは地域の人達との出会いや、縁によって方向性がついてきたのもあるが、私が「教育」という志向を持っていることも関係していると思われる。

高校中退、大学中退、落ちこぼれという自己認識

私の衝動の根っこを探り当てるためには、少し時間を遡る必要があるだろう。今から四半世紀ほど前、四国のある地方都市の公立校の1年生だった私は、金網越しに夜中の誰もいない真っ暗なグラウンドを見つめ、イヤホンで音楽を聞きながら涙を流していた。本当は、学校へ戻りたかったのだと思う。

受験をくぐり抜け入った進学校だったが、私は徐々に勉強への意欲と動機を失ってしまい、成績はどんどん下降していった。地方の進学校なので「東大、京大、旧帝大をヒエラルキーの頂点にした国立大学にいかに入れるか」というのが学生の評価のウェイトの多くを占める環境だった。(あとは強豪であった野球部員であるか)そこに、当然、私の居場所はないように思え、徐々に学校へ行かないようになっていた。

長引く突然の息子の不登校に、家業を継ぐことを期待していた母親は困惑し、神仏にすがるぐらいの勢いで取り乱し、哀れみと混乱の混じった眼で私をいつも見ていた。

その時、私も同じ様に、混乱と絶望の中にいた。「旧帝大を頂点とするヒエラルキーと親の希望」という「人生のものさし」しか知らない10代半ばの私には、自分はあきらかに落ちこぼれてしまい、無価値で、二度と取り戻しがきかないぐらいに出遅れてしまったと、強く信じ込んでしまっていた。今思えば全くそんなことはないのだが。

結局、私は、その学校に戻ることはできず、ライ麦畑的な小説と、松本大洋的な漫画と、物悲しげなポップスをぎりぎりの心の支えにし、2年で高校を中退した。そして、大検を取るために、友人たちに告げることもなく、自分の育った街を離れることになった。

プールに限界まで潜って上がろうとしたら、水面に大きい鉄の蓋をされてしまったような、あの頃に感じた絶望と息苦しさは今もずっと心のなかに残っている。

他の選択肢はなかったのか??


不登校の渦中にいた私に、周囲の人はいろいろな態度を示した。

東大を出て数学の教師をしていた担任は、私が「なぜ勉強をする必要があるのか?」と問うと、鼻で笑い「高校で習うようなことはただの一般教養だよ。知らないと恥をかくよ」と言った。大人に頼るのが苦手だった私には、学校の教師は全て冷たく見えた。(今でもあの教師は好きではない。)

1年生の時、同じクラスだった男の子は、ほぼ毎朝、学校を一度通り過ぎて、わざわざ私の家まで迎えに来てくれていた。2年生の時の友人たちは、放課後意味もなく私の家まで様子を見に遊びに来てくれた。(今思い出すと、どちらも本当にありがたい。なんていい奴らだ。)

ふらりと覗いた写真部の暗室で、真っ赤なライトに照らされて、白黒写真の現像を見せてくれた部長は、体育祭でも運動部員に負けないぐらい足が速く、撮る写真はきれいで、とてもかっこいい人だった。しかし、結局私は母の反対を振り切ることができず、写真部に入ることはなかった。

あの時、友人たちに弱った心を素直に開き、助けてほしいと言えていたなら、彼らは間違いなく、私をはげまして勉強を手伝ってくれただろう。

あの時、親の反対を押し切って写真部に入り、もう一つの居場所と、もう一つの「ものさし」を持つことができていたら、きっと卒業式を無事迎えることができていただろう。美大に行きたいという隠れていた気持ちですら親にぶつけれていたかもしれない。

今、振り返ると、いくらでも16歳の彼にかけられるやさしい言葉がある。そして、強い後悔と、もろもろへの怒りがある。タイムマシンがまだ完成しないのなら、せめて今を生きる学生や若者たちには、私と同じ苦しみや悲しみを味わって欲しくないと強く思っている。全力で彼ら彼女たちを救い出したいと勝手に思っている。

誰かに押し付けられた「ものさし」で自分を評価して絶望しないでほしいということ。

世の中には、幅広い別の選択肢と多様な価値観があり世界は広いということ。

他人に迷惑をかけてもいいので近くの信頼できる誰かをすぐに頼ってほしいということ。

何かを始めるのに遅すぎるということはないということ。

そんなことを、体感として腹落ちできるような、家でも学校でもない安全な第3の場所を街に作りたいと思っている。

その後、私は同じ過ちを大学に入ってからも繰り返してしまう。それはそうだ。大検を取り、何とか大学には入ったものの、心の根っこの部分に向き合って問題を解決していなかったからだ。

そして数年後、準備不足で就活を迎え、本命企業からお祈りメールをもらい、息と心臓が止まりそうなぐらいのショックを受け朦朧とすることになる。意識低い系モブキャラ学生として、ありがちな醜態を晒すのだ。芸がない…。それ以降の懊悩は長くなるので、ここでは割愛する。

スパーリングのフィードバック

さて、衝動の根っこをさらったところで、スパーリングの結果を共有していく。特に印象的だった2つに対して、自分の気持を記す。

Q.「学生の支援をしたいのはわかるとして、シビックテックはどこから出てきた?テクノロジーである必要は?」

テクノロジーである必然は無いかもしれない。私が学生をサポートしたいのは、「オルタナティブな選択肢」を伝え、選べる道を増やすこと。そして、その選んだ道へ入門するための扉を開く手伝いをすることだ。その先は、学生自身で切り開いていけると思うので。

そういう意味では、アート、ビジネス、テクノロジーなど、学校では手厚く教わらない、オルタナティブな選択肢を広く知る場を提供するのが、理想ではあると思う。ただ、そういきなり幅広くもできないので、テクノロジーというスタートになっているのだと思う。

あと、プログラミングだと、私が写真部を親に反対されたような、親ブロックが発動しにくいのも大事なポイントだと思う。少なくとも2022年辺りに生きる親で、子供がプログラミングや英語を学ぶことに反対する人は少ないものと思われる。そして、プログラミングを入り口にして、アートやビジネスに展開することもできそうなので。

Q.「大きな社会課題から逆算した、個人の動機のない、きれいな企画になっていないか?」

うーん、これは難しい。何度も色んなメンバーから同様なことを言われているのだけど、社会課題を解決したいという方向性自体が問題なのだろうか?噛みちぎりやすいサイズに社会課題が、まだ切り分けれていなく、個人の手触りや温度感が企画に乗っていないということなのだろうか?

でも、綺麗事だろうが、きれいな社会課題だろうが、誰かが必ずやらないといけない事ではあると思うので、ここはずっとすっきりしてない。冷笑や達観では世界は1ミリも変わらない。滑稽な夢想と実行のほうが1ミリは世界を変えれる。これは、とある別の地方都市で学んだことだ。

クラウドファンドへ向けて

今回考えた企画をクラウドファンドに合うプロトタイプのサイズに落とし込んでチューニングして行く必要がある。

個人の情念をもとに生まれた、自分でコントロールのできるプロトタイプを作り、外に出し反応をもらう。この、一連のサイクルを回すことで、自分で物を作る手触りを体に覚えさせる必要があるからだ。

そろそろ固めたいのだが、まだ時間がかかってしまっている。企画を考えると佐世保の街のサイズまで主語とスケールが大きくなってしまう癖がある。手触りと体臭のある、小さなソーシャルグッドな何か。もう少しだけ考えていきたい。

最後に

不惑を過ぎ、社会人生活も長くなると、ある程度の悩みはコントロールできるようになってくる。文字通りの不惑。人生も折り返し地点に入るころだ。

この先は、若者たちの、くすぶっているハートに火をつけて、彼らの進む道を邪魔する壁を全部ぶち壊していきたい。非力なモブおじさんなので時間はかかるが、自分に可能な限り少しでも多くの壁を壊してから死にたい。

これは、きっとソーシャルグッドなどではない。16歳の私が過ごしていた窮屈な世界への叶うことのない復讐で、16歳の自分への意味のない弔い合戦で、自己満足なリベンジマッチなのかもしれない。で? それの何が悪い?






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