なぜ寂しさが込み上げてくるのか?
こんばんは、行政書士・財務コンサルタントの吉野です。今までブログで更新してましたが、これからはここで自分が日常でふと感じたことを中心にたまには実務的なことも書かせてもらおうと思います。
今日もふと感じたことを書いてみました。
最近めっきり季節も冬になり寒い日が続くこともある反面、コロナでもイベントみたいなものが多くなり、どことなくせわしい感じになりました。
子供の頃はわくわくみたいなものが年末年始にはありましたが、まあ大人になるにつれて特に特別感もなくいつもと変わらない日を過ごしてしまっています。
ただ、最近は特に年齢を重ねたせいなのか理由は分かりませんが、特に一人ということの寂しさを実感することがあります。
普段とても仲のいい経営者仲間や腹を割って話せる親友もいるので、そんなかけがえのない人たちと会っているときはそんな寂しさとかいう言葉は微塵も感じないですが、
寂しさってなんであるんだろ?
ふと一人で事務所で仕事をしている時とか、特に誰とも会わない日があるとき、無性にその「寂しさ」という芽が顔を出してきます。
一人でいることや孤独は嫌いでないほうだとは思うんですが、独立してからやっぱり同僚のように普段から近くで仕事をしている人もいないですし、意識しないと一日誰とも会わない日もあるくらい、独立すると孤独の時間が多いなという実感が湧いてきます。
あとは、なんでこんなにも寂しさがあるのかな?と思うと、
当たり前かもしれませんが大切に思える人がいるからなんだなと思いました。
家族、親友、好きな人、彼氏・彼女etc.
そんな大切でかけがえのない存在がいるから寂しさというのが増すんだなと思いました。
今ここで二度と会うことができないような状況になったとしたら、そんな残酷なことはないなと。
でもそれは、幸せなことだなとも感じました。これも当たり前ですが、人それぞれ人生の歩み方も違いますし、大切な人の数というのも違います。
私はこんなことを書いていますが、小さいころから親や家族に恵まれており、何ら不自由なく生活してきました。
かたやそんな私が不自由と感じていなかったことができなかった人もいる。
私が小さいころ感じていた当たり前が、当たり前でない人がいる。
大切な人がそばにいること。
これは奇跡のようにすごいことなんだなと最近強く思えました。
私はそんな大切だという気持ちを伝えることが昔から苦手です。
なぜなら恥ずかしさが先行してしまうから。
でも、大切だということを伝えることに何ら後ろめたさや恥じらいなんかいらないよなと今更ながら思いました。
それと同時にそんな後悔めいたことは決してしたくないなと決意のようなものもしました。
というなんともまああんまオチのない話でしたが、今の自分の気持ちにあるものまんまを吐き出してみました。
ここで書いたら少し、気持ちがすっきり晴れました。
読んでいただいた方感謝です。ありがとうございました。
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